錦上の花束をあなたに

保科朱里

1-1

【第一章 播種】


「カジュ様、私たちはここまででございます。この先はお嬢様お一人で―――」


大通りの途中で足を止め、執事が喉を詰まらせたように声を出す。その顔は決して表情を崩すまいと眉間にしわが寄っている。

周りに控えている数人の侍女たちも顔を上げずその場でうつむいていた。


道を歩く人々は、急に立ち止まった一行を訝しがる様子でちらりと見ながら足早に過ぎ去っていく。今にも雨が降りそうな曇天である。


執事と侍女の様子を、泣きそうな表情で数秒眺めていたカジュは、ゆっくりと瞬きをして微笑んだ。


「今まで本当にありがとう。遠いところからでもみんなの幸せを…健やかな毎日を願っています。」


別れの時だけは、ごめんなさいと口に出さないことに決めていた。執事たちの辛そうな顔を見たくなかったのだ。


最後のわがままである。


カジュはチューリ家からの追放が決まったときから、執事や侍女に何度も謝罪の言葉を口にしてきた。

そして、そのたびに苦しげな表情で、お嬢様のせいではありませんと言わせてしまっていた。自分の謝罪が、かえって執事たちの辛さにつながっていることは分かっていた。

それでも謝罪の言葉はするりと口をついて出てしまう。謝罪の言葉を吐き出さないと罪悪感で押しつぶされそうだったのだ。


(さようなら、私の大好きな温かい場所…)


カジュは執事たちに一度深くお辞儀をして、背を向けて歩き出した。彼女が後ろを振り返ることはない。


大ぶりの雨がぽつり、ぽつりと道に落ち始めていた。




(本当に幸せだった。食べるものも着るものも何一つ不自由しなくてすんで…優しいみんなに囲まれて。)


慣れない紺色の傘を差して、道を歩きながらカジュは今までのことを思い返す。とめどない思い出を一つ一つ思い出す度に、もうあの場所へは戻れないのだという悲しさが身を貫いた。


カジュは今にも足を止めて泣き出してしまいたかったが、その歩みを止めない。


(今は、泣けない。泣くよりも先に前に進まなきゃ。)


カジュは今夜の宿を求めて、隣国のカルミア国の町を目指していた。

執事たちと別れたのはクロッカス国とカルミア国の国境の辺りであったため、すでにカルミア国に入っている。


カジュの目指している町はそう遠くはないはずだ。


(あんなことがなければ、今もずっとみんなと一緒にいられたのかしら)


カジュが、生まれ育ったクロッカス国を追われ、男爵家から追放されることになったのは、侯爵家の令嬢であるドロシーの婚約者、ミシェルに結婚を迫った罪のためだった。


(ミシェル様とは社交辞令くらいしか話したことがなかったのに。)


ドロシーが証拠として提出した、他家の令嬢たちからの証言は虚偽の物であったが、それを覆せるだけの証拠がなかった。

その結果、爵位の優劣もあってカジュは国外追放を言い渡されたのである。


(これからのお父様やお兄様、みんなのことを思うと…私だけ幸せなんて望めない。)


社交界でカジュの父や兄が苦労することは目に見えていた。罪人を出した男爵家として嘲笑われ、家業である魔法治療薬の商売も、貴族からの買い手が少なくなれば傾くだろう。


(お父様、お母様…本当にごめんなさい)


両親はカジュが男爵家から除名され、国外に一人旅立つことを必死になって引き留めてくれた。知人にかくまってもらえばいい、そして落ち着いたら戻ってくればいいのだから、と。


しかし、カジュは頑として男爵家から除名されることを望んだ。

カジュには、チューリ家が国の忠実な臣下に見えるようにという思いがあった。


自分が完全に消えることで、ほんの少しでも生家にかかる火の粉を小さくしようとしたのだ。


(これが私に今できる最善の選択。)


カジュは自分を納得させるようにぎゅっとスカートを握った。紺色のスカートは雨でぬれて色を一層濃くしている。



それからしばらく歩くと、何もなかった道路のわきに民家が見られるようになった。どうやら目的の町に着いたらしい。カジュは今晩の宿を探すことにした。


すでに腕時計は15時を指している。


(町に着けて良かった。)


カジュは安堵の表情を浮かべた。国境付近から一本道だったので道に迷うことはなかったが、この先に本当に町があるのかずっと不安だったのだ。


(誰かに宿の場所を聞ければよいのだけど…)


大通りには人がほとんどおらず、町人に宿の案内所を聞くことはできない。


(自分で歩いて探すしかなさそうね)


始めての町に戸惑いはあるが、こんなところでくじけていては一人で生きていけない。カジュは疲れている体を鼓舞しながら前に進んでいった。


(晴れていたらきっと素敵な町なのでしょうね)


町はレンガ造りの建物がずらりと並んでいる。日にあたればレンガの赤茶色が一段と輝くのだろうが、大雨の今は暗くひそやかな雰囲気を纏っていた。


カジュは町を見渡しながら、頭上にかかった看板を目で追っていく。数件分歩くと、すぐに宿の案内所の文字が目に飛び込んだ。


(宿の案内所…!ここならいい宿を紹介してもらえるはず)


カジュは傘を閉じてゆっくりと重厚な金属のドアを引く。

今まで一人で店に入ったことがない彼女は自分でドアを引いて店に入ることにも勇気がいった。


カラン、と軽やかな音を立てて店の中に入ると、橙色の光に照らされた少し小さな店内が広がっていた。

濃い色の木々の家具で統一された店内は、温もりを感じる造りになっており、外の重苦しい雰囲気が嘘のようである。


「わあ…素敵。」


カジュが思わずつぶやくと、椅子に座っていた女性が顔を上げる。


「おっ嬉しいことを言ってくれるわね!ようこそサンビタリアの町へ!」


出迎えた初老の女性はふっくらとした顔に微笑みを浮かべた。女性は短くそろえられた黒髪に三角巾を被っており、濃い朱色のスカートを履いている。

スカートの色は彼女の溌剌とした声と笑顔によく似合っていた。


「はじめまして、今夜の宿…できれば一週間ほど滞在できる宿を探しているのですが紹介していただけますでしょうか。」


カジュが背筋を伸ばし、そう口にすると女性は驚いた様子で目を丸くした。


「お嬢ちゃん、ずいぶんと大人びた話し方をするねえ。いいとこのお嬢さんかい?」


(しまった…!もう少し砕けたように言えばよかったわ…何か詮索されるかしら。)


カジュは顔をこわばらせたが、女性は気にする素振りを見せない。


「こんな町にお嬢ちゃんのような高貴そうな人が一人で来るなんて…ああ、もしかしてプリムラ学園の入試を受けに来たのかい?合格したら寮生活だもんねえ、色々一人でできなくちゃ苦労するだろうしね。」


「そ、そうなんです。練習も兼ねて一人で受けにきた所存です。」



(たすかったわ…学校があることは知っていたけれど入試の時期と重なっていたのね。)


内心はらはらしながらもカジュは話を合わせた。女性もカジュの嘘に気づく様子はなく、宿を探そうと眼鏡をかける。


「それじゃあ立派な宿がいいかね…」


そう言いながら女性は宿の一覧表をめくっていく。木でできたファイルの中には何十もの宿の概要が載った紙が丁寧にファイリングされていた。


「いえ、普通のお宿でお願いいたします。できれば朝食と夕食が付いていてフォンの電波魔法が設置してある宿がいいのですが…あと、少しお安いとさらに嬉しくて。」


カジュは半年ほど上級宿に泊まれるお金を父から受け取ってきたが、チューリ家の想いの詰まったお金を無駄に使いたくなかった。


「となると、ここなんかどうだい?朝夕付きで電波魔法も設置してあって一泊5000Gだよ!さらに連泊だとお安くなる。ちょっと学園からは離れちまうけどさ、勉強するにはいい環境だよ。どうだい?」


それを聞いて店主は一枚のページを開いてカジュに見せてきた。

ページには一間の小さな部屋にベッドや箪笥、椅子や机といった家具が置かれている。晴れた日に写真を撮ったのだろう。窓から差し込む光に照らされた部屋は明るく、木漏れ日が机にやさしく影を落としていた。


「素敵なお部屋ですね。ここでお願いします。」


カジュが目を細めて答えると、店主はにやっと笑って眼鏡の隙間からカジュを上目遣いで見上げた。


「決まりだね!ようこそ、うちの宿へ。」

「えっ」


驚いて目を丸くしたカジュに女性はふふんと鼻を鳴らして言った。


「ここは宿紹介所だけじゃなくて民宿もやってるのさ、ここの二階が部屋なんだよ。まあ民宿って言ったって個室に鍵はかかるし、私は隣のうちに住んでるから、普通の宿と変わんないんだけどね。紹介手数料がかからない分、安くできるからうちの目玉なのさ。」


「そうだったのですね…ありがたいのですが、長い間部屋を借りてしまってはご迷惑ではありませんか?」


目玉商品と聞いてカジュは少し肩をこわばらせた。自分が目玉商品の恩恵にあずかっていいのだろうか。


「あっはっは!いいのさ!この店を素敵な雰囲気って言ってくれたしねえ。お嬢ちゃんが気に入ったのよ。それにお金は払ってもらうんだからこっちだってありがたいのさ。」


変なことを気にする子だねと言いながら、女性は声を出して朗らかに笑った。

人間関係で気を遣いっぱなしだったカジュにとって、その笑顔は久しぶりに見た満面の笑みである。


カジュは女性を泣き笑いのような顔で見つめた。

先ほどまで寒いところにいたのに一気に太陽の下に出されたような、戸惑いと葛藤がカジュの心を揺さぶる。


「それじゃあ、私は店主のロメリアだよ、よろしく。」


「はい、私はカジュと申します。ロメリアさん、短い間ですがよろしくお願いします。」


カジュは差し出された手を握り、まっすぐにロメリアを見て微笑んだ。


ふと窓の外に目をやると、いつの間にか雨は上がり夕陽が水たまりに反射している。


日の落ちる直前の夕日はカジュの銀色の瞳を朱色に染めた。


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