夢野不動産

筋肉痛

第1話

「おら、東京に住むズラ!」


 今時珍しい携帯の電波も通じない山奥から従兄弟の田吾作たごさくが歌手を目指して上京してくると言う。


「住む所、どうすんだよ。先に言っておくが、俺んちは絶対駄目だからな」


 いろいろ言いたいことはあったが一番言いたい事だけ言っておいた。鬼や悪魔と罵られたが都会の厳しさを予め教えておく必要がある。

 10,000歩譲って、不動産屋に一緒に行くことになった。面倒くさいが同居人が増えるよりは10,000,000,000倍マシだ。



「お待たせずら!」


 待ち合わせ場所に現れた田吾作は何故かプロレスラーがするような覆面をしていた。

 お前は神サンダーライガーなんですか?


「なんだ、その格好!?」


「東京ではマスクしないと殺されるんだべ?怖い所ズラー」


 いや、俺はお前の方が怖いよ。とりあえず覆面は脱がせてコンビニで普通のマスクを買わせた。


「おらぁ、ワクワクしてきたぞ!不動産屋には、谷岡って飲み物売ってんだべ?」


 不動産屋に向かう道すがら田吾作が聞いてきた。

 谷岡?山奥では谷岡という人を飲む風習があるのかと思ったが少し考えてタピオカのことだと気づく。流石、田舎。流行りがだいぶ遅れて伝わっている。

 タピオカドリンクを出すカフェに併設された不動産屋もなかなか斬新で面白いが、相手にするのも面倒なので適当に相槌を打つ。


「ああ、売っているといいな」


 と、視界に不動産屋の看板を見つけた。"夢野不動産"。個人経営と思われるがこういう店の方が掘り出し物があるかもしれない。

 入り口近くの大きなガラス窓に貼られた物件をいくつか物色していると店の中から店員らしき女性が出てきて声をかけられた。


「いぃらっしゃいませぇ⤴︎どうぞ⤵︎ご覧くださぁぃ⤴︎」


 アパレル店員のような呼び込みの仕方だ。どうでもいいが、アパレル店員はどうしてあんな高音を出すのか。前世がイルカで超音波で会話していたに違いない。


「谷岡、くれズラ!」


 田吾作がイルカに勢いよく話しかける。

 俺が謝罪と断りの言葉を発する前にイルカが超音波を発する。


「谷岡ですかぁ。どうぞ中でご試着くだぁさぁい」


「谷岡って何のことか分かってます?あ、あとご試着ってどういう!?」


 俺の質問を待たずにイルカは田吾作の手を引いて店内に引きずり込んでしまった。仕方なく俺も入店する。

 入店した瞬間、甲子園球場でプレイボールを知らせるサイレンが現地と同じくらいの音量で鳴った。


「な、なんだべ!空襲だべか!?」


 田吾作も動揺している。そこへ営業担当と思われる男が近づいて来る。


「ああ、すみません。入店を知らせる装置ですよ。コンビニとかでよくあるやつです」


 コンビニでこんなの鳴らしたら即炎上だろうな。


「あっわたくし、ご案内させていただく夢野仏権ゆめのぶっけんです」


 そう言って男が名刺を差し出してくる。それよりもこの男、何故白い全身タイツなんだ?中世ヨーロッパ貴族のなりそこないか?


「さすが、東京の人はオシャレずら〜」


 いや、奇抜な格好をお洒落とする風潮を俺は断固糾弾していくぞ。


「オシャレなんて滅相もない。これは初心に帰ろうという私の決意の表れなんです!」


 初心?どの辺が?貴方はどこから始めたの?多分スタート地点間違えてるよ。


「なんかカッコいいべ!俺も真似する!」


 してもいいけど、俺のそばには近寄るなよ。


「お客様もこのザーメンルックの良さがお分かりになりますか!?」


 ザーメン!?えっ精子だよな?初心ってそういうこと!?確かに生命の起源だけど戻りすぎだよ、貴方。


「あ、あの物件探しに来たんですが」


 沸き出る心の声を押し殺し、俺は話を進めた。


「ああ、すみません、すみません。どうぞこちらにお座りください」


 夢野が案内した椅子は、紛うことなき便だった。うん、確実にトイレだ、これ。


「はえー、椅子もオシャレだべ!!」


 田吾作、お前んち奇跡のボットン便所だもんな。これが便座だとは分からないよな。

 でもな、田吾作。これはな、便所にあるべきものなんだ。


「あの、これ……」


 俺はなんと言っていいか分からず、便座を指差す。


「ああ、大丈夫ですよ!!用を足していただいても」


 違う。言いたいのはそういうことじゃない。俺の顔はそんなにトイレに行きたそうに見えたか、ザーメン男よ。


 話すだけ時間の無駄だと感じ、思い切って便座に座る。ズボンを履いたまま座ると不思議な感覚だ。これはこれでアリかも……ってなるかーい!普通に気持ち悪いわ。


「それで、どのような物件をお探しで?今ならこのハッピーセットが超オススメですよ」


「それがいいズラ。幸せになれそうズラ!」

「ちょっと待て。あの、セットって……」


 田吾作を制止し念のため質問する。


「おまけが付いてきますよ!白い粉とか不発弾とか死体とか!」


 それは事故物件というんだ、馬鹿ザーメン。


「結構です。予算がこれくらいで駅近。間取りは1Kがいいんですけど」


「やだな、お客様。7円じゃアパートなんて借りられないですよー!」


 俺の提示した指の数を勘違いして夢野は笑う。


「そうだべかぁ……東京は厳しいずら」


 いや、お前は気付けよ。っていうかまさかホントに7円で探すつもりか!?


「桁が違います」


「まさか!?7億?」「7万です」


 夢野が桁を飛び越したので食い気味で訂正する。


「そうですねー、そのご予算ですとこちらの物件なんていいんじゃないでしょうか?なんと駅まで徒歩10秒」


「それはすごいズラ!」

「確かに」


 やっとまともな提案が聞ける、そう思っていた時期が俺にもありました。


「まあ、この駅実在しないんですけどね」


 じゃあ紹介するなよ!!って叫ばなかった俺は偉いと思う。立派な社会適合者だ。


「存在する物件にしてください」


「お客さん、面白いこと言いますねー。もしかして、コメディアンの方ですか?ここは不動産ですよ。現実の物件を扱っているわけないじゃないですか!」


 あはは、じゃないんだよ。何笑ってるんだよ。無駄にした時間返せよ。


「そうですか。田吾作、他を当たるぞ」


 そう言って俺は立ち上がる。


「帰るズラ?夢をもっと見たいズラ!」


 お前はもう結構無理めな夢見てるんだから十分だろ。


「お待ちください、お客様!!」


 帰ろうとした俺の前に夢野が立ちはだかる。白タイツの股間部分が盛り上がっている。今までのやり取りのどこに性的興奮を覚えているんだ、コイツは。






「無いものは創ればいいんです!!」







 いや、名言風に言っても何も解決してないからね。


「帰るぞ、田吾作」


 妙な沈黙が支配している店内の空気に耐えられなくなった俺は田吾作の顔を見て言った。


 コイツ、泣いてる!?



「お、おらぁ感動したズラ!!おら、絶対歌手になって、夢野さんのことを歌にするべ!」


 夢野と田吾作は熱い抱擁を交わしている。もう勝手にしてくれ。

 背を向けた俺に夢野が声を掛ける。


「あっお客様!タピオカだけでも飲んでいってください」


 それは本当にただのタピオカだった。ミルクティーに浸かるわけでもなく、ただただ黒くて丸いタピオカがコップに入れられているだけだ。


 ただ、俺はホッとしていた。

 谷岡をすり潰した飲み物じゃなくて良かった、と。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夢野不動産 筋肉痛 @bear784

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ