第48話 プレゼント・フォー・ユー

 ――パン作り始めてから1週間後の日曜日。


 ようやくチョコリングを完成させることができた。


 お店に出す商品に劣るものの、形は整っており、味も申し分ない。と、思う。


「はい。これ」

「なに? これ?」

「メッセージを送るっスよ」


 完成したことで気の抜けた僕に香崎こうさき師匠がハート型のチョコプレートと白いチョコペンを渡してくる。


「メッセージって、なにを書けば……」

「『大好き』でいいんじゃないっスか?」

「……大好き?」

川田かわた先輩のこと(恋人として)好きなんっスよね?」

「そりゃ、愛澄華あすかのことは(友達として)好きだけど……勘違いされない?」

「勘違いもなにも(恋人として)好きなのは本心なんっスよね?」

「確かに(友達として)好きなのは本心だけど……」

「なら迷う必要はないっス」

「そうかな?」

「なら立石先輩はなにもメッセージを入れないつもりっスか?」

「……わかったよ」


 香崎に推されて半場強引にメッセージを書かされる。一文字一文字。一画一画。丁寧に文字を書き入れていき、最後の仕上げをしていく。


 ハート型のチョコに書かれた『大好き』という文字は途轍もない威力を感じられた。


 これをこれから愛澄華に渡すのかと思うと緊張が走る。


 途端。ポケットにしまっているスマホに通知が届き、スマホが震えた。送り主は蒼華そうかだ。今日のために事前に連絡先を交換していた。


 蒼華には家に待機してもらい、渡すタイミングを教えてもらう。


 さすがに親御さんがいるときには入るづらいから。というのと、愛澄華が家にいなければ渡せないからだ。


『3時頃なら大丈夫だよ』

『了解』


 蒼華からの通知で本当に今日、渡すのだという実感が湧いてくる。


 チョコリングを渡すだけで愛澄華が元気になるのだろうか。『大好き』というメッセージがあらぬ誤解を招くことにならないだろうか。


 一抹の不安が脳裏をよぎるも、ここまで来たのだから引くわけにもいかない。と、自身を鼓舞する。


 緊張で震える手で僕はチョコリングを専用の箱に仕舞い、ベーカリー香崎のロゴ入りのビニール袋に入れた。


 そして僕は川田家へと向かう。とはいっても、愛澄華は僕と同じマンションに住んでいるのだから、道順は自分家に向かうのとほぼ同じなんだけどね。


 向かう途中、僕は愛澄華との思い出を振り返っていた。


 校舎裏で告白され、僕がその返事を間違えたところから始まった。


 駅前に来たところで一緒に放課後デートしたことを思い出す。


 あのときに購入した材料でお守りを作ってくれたんだよな。嬉しかった……けどそれと同時に後ろめたさもあった。愛澄華のこと本当は恋人として好きではないのにという後ろめたさだ。


 ファミレスの前を通り過ぎる。


 あそこで愛澄華が学園一の美少女と言われるゆえんを知ったんだよな。彼女が描く絵はそう呼ばれるのも納得のかわいさだ。


 僕好みであったため、自作の小説用にイラストを描いてもらうようお願いした。


 だけど、愛澄華を騙したままイラストを受け取ることができないと思った僕は、受け取りを拒否した。


 改めて考えるとひどいやつだ。


 公園の前を通り過ぎる。


 ここで僕は愛澄華に別れを告げた。いつまでも好きではないのに付き合い続けるわけにはいかない。意を決しての行動だった。


 マンションの前に来た。


 僕たちが初めて下校を共にしたあの日を思い出す。


 彼女との日々はどれも楽しかった。ただそれは、過去の思い出であり、今ではない。


 どんなに楽しい日々が……どんなに苦しい日々があったとしても、生きている限り人生は続いていく。


 それは決して戻ることがなく、前にしか進まない。だからこそ僕たちは後悔しない道を選ばなければならない。


 誰かが決めたわけではない。自分自身で決めた道を信じて突き進む。


 たとえそれで後悔したとしても、その時の経験は僕だけのものだ。


 僕はケジメをつけ、彼女に元気を取り戻してもらうべく、後悔のない明日への一歩を踏み出した。


 川田家はマンションの5階にある。周りの景色をそこそこ見渡すことができるが、今の僕に景色を楽しんでいる余裕はない。


 インターホンを鳴らすと蒼華が中から出てきた。時刻は昼3時。


「時間ぴったり過ぎて、コワッ!」

「第一声がそれってひどくない?」

「知ってる? 人の家にあがる時は5分程遅れてくるのがマナーなんだよ」

「そうなの⁉」

「そうだよ。迎える準備があるから……ってそんなこと今はどうでもいいね。こっち来て」


 蒼華は愛澄華の部屋の前まで僕を案内してくれた。


 愛澄華の部屋は廊下を渡って左手にある。ドアに前まで来たところで蒼華がトントンとノックをして愛澄華に声をかけてくれた。


「お姉ちゃん。お客さん来てるよ」


 声をかけると蒼華そうか優雅ゆうがに奥にあるリビングへと向かった。それはまるで役目を終えたとでも言いたげだ。


「ちょっと蒼華! お客さんって……だれ……?」


 部屋から愛澄華が出てきた。


 ドアノブに手を掛けたままの愛澄華と、僕は目が合ってしまう。


 愛澄華はすけすけのワンピースタイプのキャミソールを着ていた。色はかわいらしいピンク。


 ブランケットを羽織っており、肩は見えないが、胸元は丸見えだ。


 谷間ははっきりと見え、またさらに透けているがために凝視でもするもんなら胸の形まで見えてしまいそうだ。


 ドン!


 当然のように閉まるドア。そしてドア越しに会話が始まる。


「ちょっと諒清りょうせい? どうしてここにいるんですか?」

「ちゃんと謝りたくて……」

「……謝る?」


 ドア越しに愛澄華の圧を感じる。


 それだけで彼女が僕に憤りを感じているとわかった。


 気圧されて後ずさるも逃げるわけにいかない。


「今更なにを謝ろうというんですか?」


 交際時には聞いたこともない冷淡れいたんな低い声がドア越しから僕の耳に届く。


 愛澄華の声とは思えないほどの冷たさに、僕は驚き言葉を見失ってしまう。


「……あ……いや……その……」

「はっきり言ってください!」


 あまりの圧にたじたじになってしまう。


 強気な態度。やっぱり愛澄華と蒼華は姉妹なんだと感じさせられる。


 その強さを少し、僕に分けて欲しいものだ。


 横目で蒼華を見ると、リビングのソファに腰をかけ、のんびりティータイムを楽しんでいた。飲み物をすする音が聞こえる。


 蒼華も僕のことを見ている。こちらを気にしているあたり、のんびりはしていないようだ。体はくつろいでいるようにしか見えないけどね。


 これはもはや僕だけで得たチャンスではない。


 アドバイスをくれた蒼華と飯塚。パンづくりを教えてくれた香崎師匠。厨房を貸してくれた香崎家。


 みんなの行動が……思いが僕に力を貸してくれる。


 そして僕は意を決して思いの丈を愛澄華にぶつけた。


「ごめん! 僕は愛澄華を騙してた」

「今更なにを……」

「だけど、これだけは伝えさせて欲しい」


 一呼吸置いて、僕は続けた。


「楽しかった!」

「……!」

「愛澄華との日々は楽しかった。これだけは胸を張って言える。その気持ちに嘘はない。……だけど、好きだと言ったのは嘘だった。そんな嘘を吐いたから愛澄華を傷つけたのは事実だ。だから謝らせて欲しい。本当にごめん!」


 僕は伝えたかった思いを伝えられた。あとは愛澄華がどうするかだ。


 拳を握りしめる。ビニール袋が擦れる音が鳴る。僕はチョコリングが入ったビニール袋を手に持っていることを思い出す。


「おびとして一緒にチョコリング食べない?」


 渾身こんしんの誘いを言ってから沈黙が場を支配する。


 時間にすると数秒。だけどそれは永遠のように長く感じられた。


 思えば僕は彼女に一緒になにかしようと誘ったことがあっただろうか。


 交際、登下校、駅前でのショッピング、ファミレスでの勉強会、遊園地…………どれも彼女から誘われた。


 告白を受けた側だから、彼女を好きではないから……そう考えると誘いを受けてばかりだったのも納得かもしれない。


 本当は交際に乗り気ではなかったのだから当然とすら言えるだろう。


 でも今回は僕から誘った。


 それは今まで彼女を騙し続けてしまった。正確には告白の返事を間違えてしまった。


 そんな僕のバカで間抜けでヘタレでどうしようもない自身への償いでもある。もちろん彼女に元気になって欲しいという思いもある。


 愛澄華との関係をこじらせたまま終わらせたくない。


 この前クリアしたRPGにようにお姫様と仲良くピクニックしてハッピーエンド……とはいかなくても、交際中の時のようにかわいらしい笑顔を見せて欲しい。


 ドアの向こうで微かに息を呑む気配を感じた。


 愛澄華の答えが返ってくる。


「食べるわけないでしょ! もう帰ってください!」

「……そう」


 僕の努力が水泡へと帰す瞬間だった。


 そこで僕は当初抱いていた不安を思い出す。


 チョコリングを渡したところで僕の罪が消えるわけではない。たとえ彼女が無類のチョコ好きだとしても、それは同じだろう。


 チョコリングを渡せばいいと提案した蒼華や飯塚を責めるつもりはない。ただ僕の考えが甘かっただけだ。


 僕はそっとドアの前にチョコリングが入ったビニール袋を置いて、川田家を後にした。

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