第47話 香崎師匠! 僕の初めてを奪ってどういうつもりですか⁉

 しばらく経つと、香崎こうさきが戻って来た。


「ふー。……やっと落ち着いたっスよ」


 時刻はすでに昼3時を回っていた。香崎は空いているイスに腰かける。


 疲れ切った様子の彼女に僕は声をかけた。


「おつかれ。結構、繁盛してるんだね」

「そうっスね……まぁ、忙しいのは休日のお昼時だからっスね」

「本当に手伝わなくてよかったのかな?」

「いいんっスよ。お客さんはゆっくり乳繰り合ってくれればいいんっス」

「しないよ! そんなこと!」


 ぐったりとしてる割に香崎の口は元気だ。


 もちろんイヤらしい意味ではない。


 そんなことは置いといて、僕は待っている間に考えていた。


 愛澄華あすかにチョコリングを渡せばいいと蒼華そうか飯塚いいづかに促されて買いに来たけれど、肝心のチョコリングは売り切れ、なら作ればいいと行動するも、おいしいとは程遠い。


 もう当初の予定通り、チョコリングを買うのでいいのではないだろうかと思えてきた。


 別に今すぐでなくてもいいわけだし。明日、日曜日。もしくは来週の土日に買いに来ればいい。


 そう結論付けて口を開こうとしたところで、香崎母がまるで僕が話し出すのを遮るかのように多くのパンを持ってきた。


「どうぞ! 好きなだけ食べてって」

「いや……そんな悪いですよ」

「いいのよ。遠慮しなくて」


 厨房を借りた上に、パンをご馳走になるなんて、僕はそんな厚かましいことはできない。断ろうとするも、聞き入れてもらえなかった。


夏波かなだって言ってたでしょ。お客さんなんだからいいのよ」

「お客さんなら尚更なおさらです。そうだ! お金払います」


 客がサービスを受けたらお金を払う。そんな現代の当たり前を実行すべく、僕はポケットから財布を取り出す。


 少ない額ではあるが、千円を取り出し香崎母に渡そうとするも受け取ってくれなかった。


「お母さんがいらないなら、私がもらうっスよ」

「いや香崎は関係ないでしょ」


 香崎はイジワルそうな笑みを見せたあと、あらぬことを言いだしてくる。


「立石先輩? 香崎って誰のことっスか?」

「……? 香崎は香崎だろう」

「この場に香崎は3人いるっスよ?」

「はー、確かに香崎は3人いるね」

「それで? 先ほど立石先輩が言った香崎とはいったい誰のことっスか? 知ってるんっスよ。私が忙しく働いている間に、蒼華ちゃんや飯塚先輩の呼び方がグレードアップしたことを!」


 香崎の背後でドンッ! と爆発音が聞こえた。


 幻視に幻聴なんて疲れているのかな? 空腹かな?


 香崎は「さーさー」うるさいし。いったいどうしたものかと、香崎母が持って来てくれたパンの中にカレーパンを見つけた。


 蒼華と飯塚はすでにお好みのパンを選び食べている。それを知った僕は……。


「いただきます」


 空腹が原因だと結論付けて、遅れた昼食を摂ることにした。


 昼食を摂っている間、香崎が冷たい視線を送ってきているようだが、無視を決め込む。


 パンを食べているうちに気持ちが落ち着いてくる。


 先ほどまで再度土日に赴いてチョコリングを買えばいいと考えていた。


 だがもしこれが愛澄華が作ってくれたパンだったらと考えてみる。


 すると、おいしいという味覚による幸福だけでなく、嬉しいという感情による幸福も上乗せされるのではないかと思えてきた。




「さぁ第二ラウンドといこうか?」

「立石先輩、まだヤる気なんスか? 初体験からこんなに飛ばされたら私の体がもたないっスよ」

「なにを言ってるの。まだまだ付き合ってもらうよ」

「そんな~。もっとのんびりイきましょうよ」

「のんびりしてもいられないんだ。僕にはやらなければならない使命がある」

「立石先輩は私と使命、どっちが大事なんスか?」

「……? もちろん使命に決まって……っていうか、さっきから言葉のチョイスおかしくない?」

「いやん。先輩のエッチ」

「直球にぶっこんできたよ! この人!」

「立石っちは意外とプレイボーイなんだね」

「キモッ!」

「もう! 変な誤解が生まれるから止めて!」

「誤解じゃないっスよ。だって立石先輩、文芸部の部室で……」

「わぁー! それじゃまずは、材料を混ぜるところからでいいですね。師匠!」


 僕が文芸部室で部誌に掲載されている官能小説を読んだことを香崎が言おうとしたところで、僕が制止しにかかった。


「あんた。なんか今、盛大になにかを誤魔化そうとしなかった?」

「えー? そんなことないよ。僕は健全な男子高校生。やましいことなんてあるわけないじゃないか」

「健全な男子高校生だからこそ……ってことかな? 立石っち」


 バレてる? いや。今のは僕が言ったことを復唱しただけだ。


 僕がどう誤魔化そうかと考えていると、意外にも香崎が元の路線に切り替えてきた。


「冗談抜きにしても、今日はもうお終いにするっスよ」

「え? どうして?」

「昼の混雑のあとは夜の混雑。私から提案しといてなんスけど、お店を手伝うので手一杯っス。だから……」

「……だから?」


 一拍だけ置いてから香崎はめんどくさそうに提案してきた。


「明日からまた来るっス」

「師匠! ありがとう!」


 こうして僕は香崎師匠のもとでパンづくりに励むことになった。


 材料を混ぜ、生地を伸ばし、チョコとクルミを生地で包む。焼いて出来上がり。


 これを繰り返す。


 幾度となく失敗するも、師匠の教えのかいがあり、徐々に上達していく。


 出来上がったパンを、愛澄華の舌を熟知してる蒼華と飯塚が試食して、プレゼントするのにふさわしいか判断してもらった。


 自宅ではやりかけのRPGをプレイする。


 それは幾度かプレイを中断しているゲームで、最後にプレイしたのは愛澄華と付き合う前だ。


 本来ならもっとおいしいパンを作るにはどうしたらいいのか考えるべきところだが、どうもこのRPGに登場する囚われのお姫様が愛澄華に似ているようでならない。


 このRPGをクリアせずして愛澄華を元気づけることはできないような気がした。


 お姫様は他国の女王様によく思われていない。国内一美しいと国民にもてはやされているのが気に食わないようだ。そこで女王様はお姫様を拉致らち監禁することにした。だが、国民は女王様を恐れ、救おうとしない。そのことで落ち込んだお姫様は暗黒オーラを纏い、自暴自棄になってしまう。そこで立ち上がったのが勇者たる主人公だ。勇者はパーティーを結成し、成長をしながら女王様が待つ国へと向かう。


 そのRPGを僕はクリアした。


 お姫様とご対面して姿を見る。その姿は金髪ゴスロリ服でまさに愛澄華じゃないかと思う。


 それから敵であるはずの女王様が「街のカフェのコーヒーはおいしいよ」と、なぜか勧めてくる。


 言われた通り、いつぞやのカフェへおもむき、店員に話しかける。


 クリアする前は「うちのコーヒーはおいしいことで評判なんですよ。一杯どうですか?」としか言わなかった店員が、


 クリアした後は「お祝いだ! コーヒーとチョコリングを持って行け!」なんて気前の良いことを言ってくれる。


 もちろん2人分だ。


 勇者とお姫様が「ありがとう」と言った瞬間にイベントが発生する。


 力の入った映像だ。


 草原の斜面に腰を据える勇者とお姫様。手にはコーヒーが入っているでだろうボトル。お姫様の膝の上にはチョコリング。


 心地よいそよ風が吹き、のどかで、平和を感じさせられる。


 店員に話しかけない限り発生しないイベントであるにも関わらず、まるでこれが真のエンディングだと主張しているかのようだ。


 会話はなく、2人を照らす太陽の光がお姫様の暗黒オーラを浄化していることだろう。


 映像を終え、僕はしんみりとする。そして思う。


 クリア前にいくら店員に話しかけてもコーヒーをくれない理由がわかった。


 愛する人を放っといて、自分だけおいしいものを食べるな。


 おいしいものは愛する人を救ってから一緒に食べるんだ、というメッセージだったんだ。


 僕と愛澄華も、勇者やお姫様のように、仲良くおいしいものを食べられる日が来るような気がした。

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