第45話 シャルロットのハッタリ

◇◇


 この頃は日が暮れるとすぐに寒くなる。

 国境近くの町で夜を過ごすことになったシャルロット一行。

 ここら一帯はノーマ地方と言い、とても豊かな土地で、毎年多くの恵みを王都にもたらしてくれるらしい――エルドランから聞いたのをシャルロットは思い起こしていた。

 

 ――大事なものは絶対に手放してはならんぞ。だからわしはノーマを直接統治しているのだ。家族以外の誰にも譲る気はない。


「大事なものは絶対に手放してはならない……ね……」


 そうつぶやいたシャルロットの口元に乾いた笑みが浮かぶ。

 同時に浮かんできたのはクロードの顔だった。


「はぁ……」


 誰ともしゃべりたくなくて、できる限り外に一人でいた彼女は、日が落ちるとともにベッドに潜り込もうと心に決めていた。

 

 クロードがいない――。その事実が重く、そして辛い。

 

 つい半年前までは顔すら知らなかった男に、強く依存している自分が怖い。

 でもいくら抗っても、彼のことが頭から離れないのを、よく分かっていた。

 

 ――私ね! 決めたの!


 あの言葉の続きを、クロードはちゃんと理解してくれているだろうか。


 ――あなたに恋をする!


 ちゃんと口に出して言えればよかったのだけど、つまらないプライドが邪魔をした。

 もしかしたらそのせいで今、自分は辛い目にあっているのではないか。


「クロード……。私を助けにきてくれるよね?」


 そうつぶやきながらドアノブに手をかけた瞬間、ポンと肩に手をかけられた。


「さあ、それはどうかな?」


 耳元でささやかれ、ぎょっとした顔で振り返ると、そこにはフェリックスが立っていた。

 屈託のない笑顔。だがあまりに完璧すぎて作り物のようだ。気味が悪い。


「どういうこと?」

「日が暮れるまでに雑用を頼んだんだけどね。まだ完了の報せが届いてないんだ」


 空はオレンジ色に染まっている。

 あと少しすれば辺りは闇に包まれるだろう。


「まあ、もうどうでもいいんだ。俺が今、ここにいるのはね。君に用があるからなんだよ」


 フェリックスがぐいっと顔を近づけてくる。

 シャルロットは思わず部屋の中に逃げ込んだ。


「こないで!!」


 シャルロットの叫び声を無視するようにフェリックスは部屋に入り込み、後ろ手でドアを閉める。


「ひどいな。俺と君は夫婦になるんだよ?」

「私はまだ認めてないし、これからも認める気はないわ! だから出て行って!」

「あははっ。どうやら君には別に意中の人がいるようだ」

「……っ!」


 シャルロットは言葉に詰まり、きゅっと唇を噛んだ。

 

「もしかしてクロードかい?」


 すべてを見透かしているかのように、さらりとした口調でフェリックスが問いかけてくる。


「うるさいっ! あんたに関係ないでしょ!」

「関係? それなら大いにあるさ」

「どういうことよ?」


 一歩また一歩とシャルロットとの距離をつめるフェリックス。

 シャルロットはじりじりと後退していき、ベッドの淵まで追い込まれた。


「俺はね。家族には隠し事をしたくない。だから本当のことを言おう。実は、クロードは俺の弟なんだ。あいつは妾の子。俺は皇妃の子。だから血は半分しかつながっていないけどね」


 シャルロットの思考が止まる。

 リゼットからクロードのことを『グリフィン帝国の暗殺者だった』と聞かされた時も頭が真っ白になりかけたが、それ以上の衝撃だった。

 

(フェリックスの弟、ということはグリフィン帝国の皇子ってこと?)


 頭の整理が追いつかない。

 だがフェリックスが待ってくれるはずもなく、彼女はベッドに押し倒された。


「きゃっ!」


 フェリックスがニタニタしながら彼女を見下ろす。

 恐怖と混乱のあまり、シャルロットは身動きが取れない。


「君も気づいてるだろう? あいつは君を愛してる。まるで家族のようにね。でもあいつには誰かを愛する資格なんてない」


 粘り気のあるフェリックスの口調が、とても淡白なものに変わる。

 目つきも鋭く、冷たくなっていた。


「なぜならあいつの存在が俺の家族をぶち壊したんだ。あいつさえこの世に生まれてこなければ、母さんが自殺することはなかった。あいつの母親は悪魔。あいつは悪魔の子。それなのに父さんは……父さんはあいつらのことしか愛していなかった! それがどれだけ苦しいことか!」


 フェリックスが腰に差した剣を抜く。目は血走り、口元が歪んでいる。

 シャルロットは必死にベッドから転がり落ち、床を這ってフェリックスとの距離を取る。

 しかし狭い部屋では逃げる場所は限られている。

 すぐに隅に追いやられてしまった。


「君に恨みはない。俺はあいつが憎いだけ。愛する者を奪われた苦しみをあいつにも背負わせるんだ」


 もう後はない。

 

(クロード、どうしたらいいの?)


 シャルロットは目をつむった。

 ……と、その瞬間。

 クロードにかけられた言葉が、脳裏によみがえってきた。


 ――大丈夫だ。日が暮れる前には迎えにいくから。いいか。どうしようもなくなったら、ハッタリをかますんだ。真実とウソを織り交ぜれば、絶対に見破られることはないから。そして隙を見て逃げだせ。


 ぽっと心に火がともる。

 まだ空は明るい。あきらめるにはまだ早い。

 だっておとぎ話の王子様はいつだって刻限ギリギリになって、お姫様を助けにくるものだから。

 シャルロットは腹を決めた。


(クロードを信じて、最後の最後まであがいてみせる!)


「あんた、ほんとバカね」

「なに?」


 フェリックスの顔がぴくりと引きつる。

 シャルロットはここぞとばかりに舌を回した。


「まるで自分が悲劇の主人公を演じているみたいだけど、私に言わせれば滑稽なピエロにしか思えないわ」


 シャルロットに向けた剣の切っ先が、小刻みに震えている。


「なんの苦労も知らない小娘が知った口を叩くな!」

「だったら聞くわ! 悪魔の化身と蔑まれ、家族から見放された私の気持ちがあんたに分かるって言うの!?」

「なに?」

「私はあと2年もしないうちに悪魔に姿を変えて、そばにいる人間を容赦なく襲うことになる。クロードはそうなる前に私を殺すためにそばにいたの! 報酬は最高級のベッドで一生寝られること。彼が私を愛していた? ははは! 勘違いもほどほどにしてよね! あいつが愛しているのは『安眠』だけ。それくらい兄なら知ってて当然だと思うけど?」

「ウソだ……。そんな話、エルドランから聞いてないぞ」

「あんたってとことん能天気なのね。そんな都合の悪い話を敵国の皇子にすると思う? あわよくば悪魔になった私があんたを殺してくれたらいいな、くらいに思ってるわよ。絶対にね」


 愕然としたフェリックスの肩が落ちる。

 逆にシャルロットは「殺せるものなら殺してみろ」と言わんばかりに、ぐいっと身を乗り出した。


「クロードって暗殺者なんですってね。彼が教えてくれたわ。もっとも楽な暗殺の仕方ってやつをね」

「もっとも楽な暗殺の仕方だと?」

「ふふ。自分じゃなく、誰かが殺してくれるように仕向けることなんですって。そりゃそうよね。自分の手を汚さずに、報酬だけは懐に入るんだから」

「それは……」


 フェリックスが一歩後ずさる。

 腕を組んだシャルロットは、ふんと鼻を鳴らした。


「やっと気づいた? あんた、お父様とクロードに踊らされてるのよ。きっと今ごろは二人してワイン片手に高笑いしてるわ。厄介払いができたってね」

「ウソだ、ウソだ!! 俺はそんな話、信じないぞ!!」

「だったら私に魔法をかけてみなさいよ! 悪魔には『どんな魔法も吸収してしまう』っていう特徴があるんだから!」


 フェリックスがぎりっと歯ぎしりをしてシャルロットを睨みつける。

 シャルロットは平然と両手を広げた。


「さあっ! あんたに真実を確かめる勇気があるなら、私に魔法をかけなさい!」

「ああ、いいさ! お望み通りやってやるよ!!」


 氷の刃がフェリックスの左手から放たれる。

 直後に、シャルロットの口角がニタリと上がった。


「かかったわね」

 

 シャルロットが片手を氷の刃に向ける。

 すると刃は反転し、フェリックス目がけて飛んでいった。

 彼女は自分に『魔法を跳ね返す能力』があるのを、リゼットに襲われた日に気づいていたのだ。


「なにっ!?」


 ぐさりという鈍い音とともに、フェリックスの右肩に深々と刃が突き刺さる。


「ぐっ……」


 片膝をついたフェリックスの横をシャルロットは駆け抜けていった。


「あはは! バイバイ!」


 部屋を出てしまえば、逃げ切れる――。

 ……が、甘かった。

 シャルロットがドアを開けた直後に、雷のようなフェリックスの声が響く。


「皆の者!! 王女は悪魔だ! 絶対に生きて逃がすな! 殺せ!!」


 とたんにバタバタとすぐ近くで足音がする。

 部屋のすぐ外で、グリフィン帝国の兵たちが待機していたのだ。


「そんな!」


 シャルロットの顔がさっと青ざめた。


「殺せぇぇぇぇ!!」


 フェリックスの金切り声とともに、兵たちが一斉に襲いかかってきた。


「キャアアアアアア!!」


 絶体絶命のピンチ。

 だが彼らの剣がシャルロットの身を切り裂くことはなかった。


「ぐあっ……」


 なんと一瞬のうちに全員が床に倒れたではないか……。

 そして彼女の目に映ったのは……。


「シャルロット様。ご無事で何よりです」


 無双の剣士、リゼットだった――。

 


 

 

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