第33話 漆黒の死神

◇◇


 暗殺者はいかなる時でも冷静でなくてはならない。

 訓練で一番はじめに習う鉄則だ。俺もそう思う。アレックスが率いる部隊に囲まれた時だって、俺は冷静だった。


 しかし今はどうか――。


 正直言って、かなり焦っている。心臓もバクバク音を立ててるし、冷や汗が止まらない。


「くそっ! くそ! くそぉぉぉ!!」


 柄にもなく汚い言葉が吐き出される。

 どう考えても状況は最悪。シャルロットがリゼットに殺されているのは、ほぼ間違いない。なんの望みも残っちゃいない。

 馬をどんなに走らせても王宮からシャルロットの館までは20分かかるからな。

 もしあのシャルロットが、無双の剣豪であるリゼットと対峙して20分も持たせることができたら、それこそ奇跡だ。絶対にありえない。


(こんな時、どうすればいい?)


 俺の取れる行動はただ一つ。

 馬上で寝る――。

 そして館の直前で目を覚ますんだ。

 その時だけは、ほんの一瞬だけ、希望が感じられるからな。


◇◇


 夢は見なかった。

 ぶっちゃけた話、あまり気持ちよく寝られなかった。

 それでも目を覚ました直後だけは、すべてを忘れていた。

 30秒間、思考が霞んでいる。


 ――王女様のこと。大切にしてくれよな。


 アレックスの言葉がふと浮かぶ。胸が痛い。やっぱり寝ても状況は変わらないな。当たり前だけど……。


 ああ、門が見えてきた。あれをくぐれば血生臭い現場はもうすぐだ。

 覚悟を決めて馬の腹を蹴る。汗をかいた馬が加速する。

 門を抜け、中庭の噴水まで出たところで、俺の目に飛び込んできたのは、なんとメアリーだった。

 俺は馬の手綱を目一杯しぼった。


「ヒヒィィィン!!」


 馬がけたたましくいななくと同時に、俺は馬から飛び降りた。


「メアリー!!」

「クロード!!」

「シャルロットはどこだ!?」


 メアリーは俺の問いに答える前に、抱きついてきた。

 頬には涙の跡。髪は乱れ、肩が小刻みに震えている。

 よほど怖い思いをしたに違いない。

 彼女を励ましたいところだが今はシャルロットのことが先だ。


「なあ、彼女は無事なのか?」


 メアリーがコクリとうなずいた!


「ほんとか!? どこにいるんだ!?」


 メアリーを胸から引き離し、目を合わせる。


「地下牢よ。カギは王女様が自分で持ってる」


 なるほど。いくら一流の剣士でも牢屋を破ることは簡単にはできないからか。

 となればひとまず安全だ。

 だったらリゼットを追い払わねば。

 シャルロットを守りながら対等に戦える相手じゃないからな。


「リゼットはどこだ?」

「たぶんまだ謁見の間よ。きっとあの子が足止めしてくれてるはず……」


 あの子? もしかして新しい侍女か?

 リゼットを足止めできる侍女って何者なんだよ。

 まあ、この際誰だっていい。


「メアリー。悪いがシャルロットのところへ行って、俺が戻ってきたことを告げてくれ。俺はリゼットをどうにかする」


 メアリーは再び無言でうなずくと、地下牢の方へ駆けていった。

 俺は謁見の間に急ぎながら耳をすます。

 いる……。確かにリゼットが部屋にいる。

 もう一人は――。



◇◇


 久々の殺し合い、なんて、ワクワクしちゃったけど、大きな勘違いだったみたい。

 だって一方的すぎるんだもん――。


「くっ!」


 赤毛の女が放った氷の魔法が顔の真横を通り過ぎていく。頬に傷ができたみたいだけど気にしている場合ではない。

 もっと言えばビリビリに破けた服も、体のあちこちにできたかすり傷から流れる血も、気にしちゃダメ。だって、ちょっとでも足を止めれば、たちまち彼女の剣の間合いに入ってしまうのだから……。


「ふふ。威勢が良かった割には逃げてばかりね。つまらないわ」


 あーあ、まいったな……。こんなに強いなんて聞いてない。いや、戦う前から「私って強いのよ」なんて言うバカがいたら、それこそ弱っちいヤツに決まってるよね。

 虫もことごとくやられちゃったし、天井に逃げようにもインビジブル・ワイヤーを引っかけるシャンデリアは床で粉々になっている。

 せめてもの救いは部屋が無駄に広いことね。逃げ回るにはもってこいだけど、そろそろ足が限界だし、心臓は破裂しそうなほどバクバクいってるし。

 一言で言えば、最悪だわ。


「そろそろ王宮から応援が来る頃なのよ。それまでには全て終わらせておきたいの。あきらめてくれないかしら?」

「あきらめる?」

「ふふ。別にあなたみたいな小物に興味はないの。だからここで大人しくしていてくれれば、命までは取らない。どう? いい条件だと思うけど」


 それってご主人様を売れってことよね?


「バカ言うな。私はあんたを殺す」

「はぁ……。これだから黒髪って嫌いなのよ」

「どういう意味?」

「ここにいた執事……あ、今は騎士だったわね。その男もあんたと同じ黒髪だったの。頑固で、自己中で、自分の欲望のためなら何でもしたわ」

「欲望……」


 ドクンと胸が高鳴る……。

 黒髪で、自分の欲望に忠実な男って……。まさか……。


「寝る事しか興味のない男だったわ……」

「クロード!!」


 思わず大声で叫んじゃった!

 だって、だって……。彼がここにいただなんて……!!


「あ、そう言えば思い出したわ。あなた。クロードに会いたいって言ってたわよね? もしかしてあなたがアンナ? 漆黒の死神の片割れ?」


 漆黒の死神ってあだ名、私好きじゃないのよね。

 だってダサくない?

 私たちのニックネームはそうね……。クワガタ・カップルとかどうかな?

 クワガタってね、オスとメスが仲良しなのよ。


「だったら何?」

「見逃すつもりだったけど、やっぱりやめとくわ。王宮に敵国の暗殺者を置いておくわけにはいかないもの」


 赤毛の女の目つきがさらに鋭くなる。

 もしかして、今まで本気じゃなかったってこと?

 本格的にマズいわね。私に残された虫は唇の裏にいるセンコウホタル1匹だけ。強烈に光って敵の目を一瞬だけくらませることができる。


 ――俺が口笛を吹いたら、そいつを敵に向かって放つんだ。敵の視界がふさがれている間に俺が何とかするから。

 ――でもクロードの目もやられる。

 ――問題ない。俺には『耳』がある。


 懐かしいな。結局は一度もこの作戦を使ったことはなかったけど。

 今は使えるかって?

 無理、無理。私の目もやられるし、効果は一瞬だけだし。

 私一人で逃げ切れる自信はない。


「言っておくけど助けはこないわよ。覚悟しなさい」


 そんなのはじめから期待してないし。

 おとぎ話で王子様が可哀そうなお姫様を助ける、みたいな話は超絶嫌いだったし。

 あと、覚悟ってなに?

 死ぬのを覚悟しろってこと?

 これまでたくさん人の死を見てきたけど、誰一人としていなかったわよ。

 目の前のヤツに殺されるのを覚悟した人なんて。


「嫌よ。あんたがここを出ていきなよ。お呼びでないから」

「ふふ。断るわ。だからせめて一思いにやってあげる」


 あーあ、ダメだこりゃ。

 惜しかったなぁ。もうあとちょっとでクロードに会えたはずなのに……。

 せめてご主人様が無事だといいんだけどな。その望みも薄そう。

 だったら私は何のためにここで頑張ってたのかしら?

 ははっ……。でも今まで何かに頑張って報われたことなんて一度もなかったし。

 今回も似たようなものか。


「死になさい」


 赤毛の女が突進してくる。

 あと数秒で私は死ぬ。

 私って何のために生まれてきたのかな。

 あーあ、最悪だよ。ほんとに……。


 ――あんま難しく考えるな。生きてりゃいいことあるさ。


 いいことか……。最後の最後に「ありがと」ってご主人様に言ってもらえたから、それでいいかな。うん、誰かに感謝されただけでも、良しとしよう――。


 ……とその時。


「ヒュゥゥゥゥッ!!」


 ドアの向こうから高音が聞こえてきた気がした・・・・のだ。 


「口笛!?」


 幻聴かもしれない。それでも無意識に口からセンコウホタルを吐き出す。

 

 ――カッ!!


 部屋の中が真っ白になる。

 やばっ。眩しすぎ。目を開けてらんない。


「悪あがきね」


 赤毛の女のつぶやく声が聞こえてきた。

 ほんとそう。自分でもそう思う。口笛なんて聞こえるわけがない。幻聴に決まってる。


 でも……。


 ほんの少しだけ信じてるんだ。



 ――大丈夫だ。俺が助けてやる。


 

 彼は……クロードは真実しか言わないから――。



 ――バンッ!


 ドアの開く音。


「くっ……!」


 赤毛の女のうめき声。


 ――ドサッ……。


 誰かが倒れる音……。

 でも私じゃない……。



「よくやったな。アンナ――」



 目をつむったままでも分かるよ。

 私をぎゅっと抱きしめるその腕も、胸板も、耳元にかかる息も。

 全部が全部、私の会いたかった人……クロード・レッドフォックスだって――。

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