第3話 クソな日々が流れていく瞬間
◇◇
ターゲットをよく知る者を酒場におびき寄せ、酒に酔わせて弱みを口にさせる、というのは、暗殺者なら常套手段だ。
だが酒場は『声』が多くて、良すぎる耳には不快このうえない。
そしていつも同じような会話が、勝手に耳に入ってくるのだ。
「あのクソ上司め! 俺を何だと思ってんだ!!」
「うちのとこも同じさ。上司もクソなら、仕事もクソ、家に帰れば太った女房にどやされるのもクソ。でも、この一杯があれば、なーんでも忘れられる! だから飲めや、飲めや!」
「ガハハハッ!! 酒はクソを洗い流す下水っちゅーわけだな!!」
「おい、てめぇ!! せっかくの酒がまずくなるようなクソみたいな例えなんてするんじゃねえよ!!」
しかしいくら酒を飲んでも、地獄の日々の記憶が薄れたことなど、一度たりともなかった。
そこで俺は気づいた。
ヤツらにとってクソな日々を洗い流すのが『酒』なら、俺にとっては『安眠』なのだ、と――。
身分証を手にした翌朝。
面接に臨むため、王宮の外にある小さな小屋に入ると、クルっとカールした青い髪の女が、屈託のない笑顔で挨拶してきた。
「こんにちは! こちらはシャルロット様の執事に応募される方を面接する場所です!」
「そうか。だったら面接してくれ。これが身分証だ」
「え? あ、はい」
慣れた手つきで身分証の写しを取り終えた彼女は、あどけなさの残る可愛い顔を歪ませた。
「あなたはまだ若い。考え直した方がいいわ」
あんただって若いだろ。見た目は俺よりも年下に見えるぞ。
「いえ、働かせてくれ。俺は夢をかなえたいんだ!」
心おきなく爆睡する夢をな――。という部分は伏せて声を荒げる。
女は俺の熱弁に気圧されたのか、ため息混じりに首を横に振った。
「はぁ……。では任期は王女様が成人するまで……つまり2年よ」
「そうか。意外と短いんだな」
「明後日には永遠に感じられるから」
「どういう意味だ?」
「いえ、いいの。あと、あらかじめ忠告しておくけど、王女様からクビを言い渡されたら
「問題ない。クビにされるようなことをするつもりはないから」
「前の人もそう言ってたわ」
「そうだったのか。ところで前任者はどうしているんだ?」
「聞かないでください」
女がハンカチを取り出して涙をふく振りをする。
「…………分かった。聞くのはやめておこう。ちなみにどんな時にクビにされるんだ? まさか何の落ち度もなくいきなり『お前はクビだ!』なんて言われたりしないよな?」
「いくらなんでもそこまで酷くないわ。クビになるのは命令をこなせなかった時だけよ。でもその命令が普通じゃないのよ……」
「そうなのか。なかなかハードな条件だな」
「ならやめる? やめるなら今のうちよ」
女の顔がぱぁと明るくなる。
「いや、今さら引くつもりはない」
「やわに見えて、意外と強情なのね」
呆れた顔で首を振る彼女に、俺は淡々と返した。
「おまえにどう見られても関係ない。ところでもう一つ聞きたいんだが……」
「今度はなんですか? ちなみに王女様を口説いたりしたら、その時も死刑ですから」
「そんなつもりも全くないから安心してくれ。俺が聞きたいのは、王女様が死んだ場合はどうなるのか、ということだ」
女の目じりがピクリと動く。
しかしすぐに元通りの、おっとりした表情になって言った。
「その場合は執事と侍女の全員が責任を取らされて死刑」
「うむ。少し理不尽に感じるが――」
「だったらやめたいですよね!?」
女は控えめな胸を突き出してぐいっと詰め寄ってくる。
美女に迫られるのは嫌いではないが、この場合は鬱陶しくてかなわない。
「今さら引くつもりはない、と言っているだろう」
「はぁ……。分かりました。では――」
彼女はドンと大きなハンコを俺の身分証の写しに押した。
「あ、ちなみに私の名前はメアリーよ。あなたとは
短い間?
言っている意味がよく分からないが、まあいい。
俺は彼女が差し出してきた右手を軽く掴んだ後、
◇◇
メアリーの案内で馬車に乗り込んだ後、どこまでも続く石畳の道を移動していく。
「王宮の敷地にはね。国王陛下と王妃様、それに第一王子様の3人が暮らす宮殿があるわ。その他にも、王族や貴族が暮らす館も建てられているのよ」
「そうか。なかなか広いんだな」と率直な感想が口をついて出てくる。
メアリーは自分が褒められたかのように得意げな顔になる。
「王宮と言えば、専属のお菓子職人がいてね。彼女の作るマカロンが最高に美味しいのよ! 一度しか食べたことはないんだけど、口の中に入れた瞬間に溶けちゃってね! 私のほっぺも一緒にとろけるかと思ったわ! そうそう、それからチーズケーキも――」
どうやらメアリーは食べることが好きらしいな。延々と一人でしゃべり続けている。俺はその間、外を眺めながら王宮内の地図を頭に描いていった。
知らない土地に足を踏み入れたら逃げ道の確保が、暗殺者としての最優先事項だからな。そのくせがまだ抜けていないようだ。
「あっ! あそこに見えるのがシャルロット様のお屋敷よ。敷地には森や山、川や海まであるんだから。西の森ではキイチゴ、北の山では綺麗な湧き水、南の海ではヨダレアナゴ。美味しいものの宝庫なの!」
よく目を凝らすと遠くに館らしきものが見える。
「あんなところに一人で暮らしているのか?」
「ん? ああ、シャルロット様のこと? ええ、そうよ」
「どうしてだ?」
「さあ……。王族にしか分からない事情でもあるんじゃないかしら?」
メアリーが眉をひそめて肩をすくめる。
どうやら彼女は何も知らなそうだ。
しかし16歳の少女が、家族が暮す王宮とは馬車で20分以上も離れたところで一人暮らしをしているなんて、普通には考えにくい。
(なんだか深い事情がありそうだな)
だが深入りするつもりはない。安全な場所で寝ることができれば、他のことなんてどうでもいい。
「ところで俺はどこで寝ればいいんだ?」
「寝る? ああ、寮ね。お屋敷の隣に使用人たちに与えられた建物があってね。私たち侍女10名、料理人5名、常駐の警備兵が5名、図書室の司書1名が暮らしているわ。そこに執事のあなた1名が加わるという訳よ」
メアリーが使用人たちの名簿を手渡してきた。
なるべく早く覚えてね、ということだろうが、俺の興味は自分が寝る場所に対してだけだった。
「そうか。部屋があるのはありがたいな」
「ふふ。変わったことを言うのね」
そんな会話をしているうちに、馬車は巨大な門をくぐった。
色とりどりの花が咲き、綺麗に整えられた緑が並ぶ中庭を進み、大きな噴水の前で馬車から降りる。
目の前には3階建ての巨大な館。その大きさに思わず感嘆がもれる。
「ここが王女の館か……」
「ええ。そうよ。さあ、こっちよ」メアリーがぐいっと俺のすそを引っ張った。
シャルロットの館の隣には、2階建ての、こちらも立派な建物がある。
その中に入ると、すぐに大きな広間に出た。
「ここが使用人たちの控室。毎日夜明け前からここで支度をしてから、シャルロット様のお部屋へうかがうの」
「そうか」
「あなたの部屋はあそこよ」
指をさされた場所には小さな扉がある。どうやら控室と直接つながっているらしい。
中に入ってみると、簡素ベッドが一つ、それに小さな机と椅子が置かれている。
その他には小窓しかない、こじんまりとした部屋だ。
先ほど見たシャルロットの館とは比較にならないほど質素。だが今まで過ごしてきた牢獄のような部屋とは天国と地獄くらいの差がある。
「こんな
声が弾んでしまったのも当然だ。
「ふふ。おかしな人ね。狭すぎるって文句言う人が大半なのに」
メアリーが口元を抑えながら笑みを浮かべる。
(いきなりこんな良い部屋をもらえるとは……。執事って最高だな!)
だが俺は肝心なことに気づいた。
「なあ、毛布はないのか?」
「は?」
きょとんとしたメアリーに俺は力説した。
「気持ちよく寝るには、薄い布が掛け布団では物足りないだろ! 俺は毛布が欲しい!!」
「そんなのダメに決まってるでしょ!」
「なんでだ?」
「贅沢すぎるからよ! まったく……。そんなに欲しいなら自分で作るしかないわ」
「自分で作ればいいのか?」
「うん、たぶん……。お料理も自分で作ったものは食べていいって、リゼットさんが言ってたし」
「リゼット?」
「使用人たちのリーダーよ。侍女たちは半年、執事は3か月もしないうちに、みんなここを辞めていっちゃうの。そんな中、リゼットさんは5年もシャルロット様の侍女をつとめてるんだから! すごいでしょ!」
「ああ、確かにすごいな」
「ふふ。すごく優しいし、美人なの。私たち侍女にとっては憧れの存在――いわば、最高級のお肉みたいな存在なの」
例えの意味がよく分からないが、まあ、いい。
俺にとってはリゼットよりも毛布の方が大事だ。
「分かった。だったら毛布は自分で作るよ」
「まだそんなこと考えてたの?」
そんなこととはなんだ?
こっちはいたって真剣に考えているのに。
だがメアリーは俺に反論する隙を与えなかった。
「バカな話はここまでにして、これに着替えてちょうだい」と、白シャツに黒のベスト、それから燕尾服とスラックス、さらに黒のネクタイを手渡してくる。
「リゼットさんに知らせてから、他の侍女たちを全員控室に集めるわ。それまでには着替え終わってね」
そう言い残して、部屋を出て行ったのだった。
毛布のことは自分でなんとかしよう。
とにかく今は部屋が手に入った喜びにひたろう!
「よっ!」
俺はシングルベッドに向かって仰向けに倒れた。
――ギシッ。
固いマットレスが鈍い音を立てる。
決して気持ちいいとは言えない。
だが確かに感じたんだよ。
地獄の日々の記憶が流れていくのを――。
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