第4話 悪魔の化身と言われた王女

◇◇


 メアリーから言われた通りに着替え始めていると、控室にやってきた侍女たちのひそひそ話が勝手に聞こえてきた。


「ねえねえ、そろそろ北の山では『ホワイト・ムーン』が咲く頃よね? あそこでしか咲かない、貴重なお花なのよね。私一度も見たことないから、見てみたいわ」

「でも今年は無理よ。だって北の山にキラー・グリズリーっていう熊の魔物が出たっていうじゃない」

「聞いたわ。どこかから1頭だけ迷い込んだのよね」

「王国軍きっての天才剣士ダグラス様が討伐に挑んだらしんだけど、あっさり返り討ちにされたって噂よ」

「うっそー! 私、ダグラス様が推しだったのにー!」

「ふふふ。でも安心して。大けがを負ったみたいだけど、顔は無傷だってよ」

「そっかー。よかった」

「ところでキラー・グリズリーのお肉ってすっごく美味しいんだって! 誰かが倒してくれたら、こっそりおすそ分けしてくれないかしら?」

「もうっ! メアリーったら! いつも食べることしか考えてないんだから!」

「でもキラー・グリズリーのお肉があったら、どんな嫌なことも忘れちゃうんだろうなぁ。それくらい美味しいみたいだし」

「はぁ……。お肉が食べたいわぁ」


 耳が良すぎるというのも、こういう時は鬱陶しい。

 だが俺がしかめっ面をしていることなど知る由もなく、彼女たちの話は続く。


「昨日も一人辞めたわね」

「これで今月に入って3人目よ」

「また私たちの仕事が増えるわ……」

「人は減っても仕事量は変わらないものね。また睡眠時間が削れちゃうなんて……」


 なに?

 それは聞き捨てならないぞ。

 俺は寝るためにここにやってきたのだ。

 寝る時間が減ってしまうのは、何としても避けねばならない。

 だがそんなことを言いだせるはずもなく、引き続き彼女たちの会話に耳を傾けた。


「これもすべて王女様のせいよ」

「王女様って見た目はすっごく可愛いのに、性格はアレだもんね」

「わがまま」

「傲慢」

「すぐに癇癪を起こす」

「人を人と思わない」

「まさに悪魔の化身だわ」


 おいおい……。どんだけ嫌われてるんだよ。

 これから初めて対面するっていうのに、気持ちが萎える。


「それに使用人の名前なんて一切覚えようとしないのも、どうかと思わない?」

「ああ、そうね! リゼットさん以外を名前で呼んだのを聞いたことないわ!」

「ほんとよね。『おい』とか『あんた』とか。執事にいたっては『貴様』なんて言われてたわよ!」

「人を人と思ってない証拠よ」

「だから誰からも慕われず、どんどん人が辞めていくんだわ」

「せめて名前で呼んでもらえたら、ちょっとはやる気が出るんだけどなぁ」


 俺も暗殺者だった頃は『人』として扱われなかった。

 あの時の俺は命令に従わねば生きる道すらなかったから、心を殺して任務に没頭していたが、彼女たちは違う。やる気を失えば、自由に辞めることだってできる。

 逆に言えば、やる気を失わないようにすれば、辞めていくことはない――ということか。

 ……と、その時。ドアを軽くノックする音とともにメアリーの声が聞こえてきた。


「どう? 準備はできた?」

「ああ、問題ない」


 低い声で返事をしてから部屋の外に出たとたんに、ドアの向こうで待ち構えていたメアリーがぐいっと顔を近づけてきた。


「あなたのことは私が連れてきたんだからね。しゃきっとしてくれなきゃ、私がリゼットさんに𠮟られちゃうわ」


 彼女がさらに近寄ってきた。ふんわりと柑橘系の香りが鼻をつき、ひとりでに胸が高鳴る。

 だが彼女は俺のことなどおかまいなしに、俺の首筋に手を伸ばした。


「もうっ、ネクタイが曲がってる!」


 女性にネクタイを直されるなんて初めてのことだ。ちょっとくすぐったい。

 周囲の侍女たちがニタニタしながら俺を見ているが、見世物じゃないっつーの。


「リゼットさんがきたわよ」


 誰かのかすれた声とともにメアリーは俺から離れて、ピンと背筋を伸ばす。

 彼女の視線を追うと、ゆったりとした歩調で赤毛の若い女がこちらに向かって歩いてきた。

 すらりと伸びた高い背と、大きな胸、整った美しい顔立ち。

 いかにも仕事ができそうな、自信に満ちた表情。


「あなたが新しい執事?」


 低くて、よく通る声だ。

 何でも見通すような瞳で俺をじっと見つめている。


「ああ」


 俺が返事をすると、彼女はワンテンポ置いてから、右手を差し出してきた。


「リゼットよ。よろしく」


 やはりそうか。彼女が侍女たちのリーダーだ。

 絵画から飛び出してきたような美女だが、近寄りがたいオーラが漂っているな。


「クロードだ。よろしく頼む」


 彼女の差し出された右手を握る。ふんわりと柔らかな感触がてのひらに伝わった直後には、彼女の方から手を離した。

 そして姿勢よく待っている侍女たちを見回して言った。

 

「さあ、行くわよ。みんなも支度はできてる?」

「「はい!」」


 妙な緊張感に包まれる中、リゼットを先頭にして、シャルロットの館へ向かう様子は、戦地に赴く兵士を彷彿とさせた。


◇◇


 謁見の間――。

 ダンスホールのように広い空間、大理石の床、赤い絨毯、大きなシャンデリア。

 王族に相応しい荘厳な大広間だ。

 その部屋に入ってすぐ近くの壁ぎわに侍女たちを集めたリゼットは、声を潜めて言った。


「あなたたちはここで待っていなさい。私はクロードと一緒に王女様へ挨拶してくるから」


 侍女たちの顔があからさまにホッとした表情になる。

 どんだけシャルロットは避けられているんだ……。


「いきましょう」とリゼットが俺に声をかけてきた。

「ああ」


 短く返事をして前を向く。

 目を引く豪勢な椅子に肩肘をついて腰かける少女が見える。

 クルクルとカールを巻いたブロンドのツインテール。

 華奢で小さな体に、人形のように整った綺麗な顔立ち。

 彼女こそ俺の新たな主人、シャルロットに違いない。

 アッサム王国の王女で18歳。

 こんな子が本当に悪魔の化身なんだろうか、と疑問に思いながら、彼女の前でひざまずいた。


「あんたが新しい執事だそうね?」


 鋭く尖った声が下げた頭の上からかけられる。


「ああ、名前は……」

「辞めなさい。名前なんて覚える気ないから。あんたはあんた。以上よ」

「……なるほど。冷たいんだな」


 シャルロットの突き刺すような視線を感じ、ちらりと彼女の顔を覗くと、その表情は鬼のようだった。


「あんた……。私を誰だと思ってるの?」

「王女だろ」

「だったらなぜ『敬語』を使わないのかしら?」

「敬語など知らないからだ」

「まあ、呆れた……。でもいいわ。あんたとは仲良くなれなさそうね。かえって好都合だわ」


 小さなため息とともに乾いた笑いを浮かべたシャルロットに、俺もまた半笑いで返した。


「俺もお前と仲良くするために、ここにきたわけじゃないからそれでいい。だが侍女たちは違うぞ。名前を覚えようともしないお前のことを『悪魔の化身』だと思っているみたいだ」


 場が一気に凍り付いた。

 侍女たちが小声でざわつきはじめ、シャルロットは頬をひくひくと引きつらせながら、大きな瞳で睨みつけてくる。

 うむ。こうなったら後戻りはできないな。言いたいことを全部言わせてもらおう。


「侍女たちを名前で呼んで欲しい」

「なんでよ? 私が何て呼ぼうが、あんたに関係ないでしょ!」

「関係あるから言ってるんだ」

「どういう意味よ!?」

「名前すら覚えようとしない主人に仕えるのは誰だって嫌だ。そのせいで人が辞めたら、俺の寝る時間が減るからだ」

「寝る……時間……ですって?」


 シャルロットとリゼットがポカンと口を開けたまま、俺を凝視している。

 まるで怪物でも見ているかのようだな。

 だが俺の口は止まらなかった。


「俺は1分でも長く寝たい。だからこれ以上、侍女に辞められるわけにはいかない」

「そんなの私には関係ないって言ってるでしょ!」

「関係ならあるぞ。侍女に辞められればお前も困るだろ」

「あんたたちなんていくら辞められても、全然困らないんだから!!」


 シャルロットが顔を真っ赤にして立ち上がったところで、リゼットが俺たちの間に割って入った。そして逆上するシャルロットに対して、冷静に、かつゆったりとした口調で言った。


「王女様。そろそろ家庭教師がお越しになるお時間です。今日は絵を描く授業ですので、汚れてもいい服に着替えましょう。さあ、こちらへ」

 

 まだ何か言いたげに俺を睨みつけていたシャルロットだったが、「ふん!」と顔をそむけて、リゼットとともにその場を後にしはじめる。

 視線を壁際に移すと、侍女たちが顔を真っ青にして部屋の隅で小さくなっている。

 しかしシャルロットを見つめる目は冷たく、かなり怒っているようだ。

 そりゃ、そうだよな。「いくら辞められても困らない」とはっきり言われたんだからな。


「私、今日辞めるわ」

「私も」


 と小声が聞こえてきた。


(まずいな……。このままだと寝る時間がなくなってしまうぞ。どうにか機嫌を直してもらわねば)


 だがシャルロットは彼女たちをちらりと見ただけで、何も言おうとせず、横を通り過ぎる。


(悪魔の化身って意味がよく分かったよ)


 何か手立てはないものか、と考えているその時。

 リゼットが扉を押しながら口を開いた。


「王女様。今日はお花を描かれてはいかがでしょう?」


 シャルロットが扉の前でピタリを足を止め、


「良いことを言ったわ、リゼット」


 ゆっくりと俺の方を振り返り、ニタリと口角を上げた。

 

「その通りにするわ」

「かしこまりました。では中庭で咲いている花を摘んでおきます」

「ふふ。ダメよ。だって私は『ホワイト・ムーン』が描きたいんだもの」

「しかし『ホワイト・ムーン』は北の山まで行かねば摘めません」

「だったらそこにいる新人に採りへいかせなさい」


 不敵な笑みを浮かべたシャルロットが、あごをくいっと上げて俺を指した。

 北の山か……。確かキラー・グリズリーという魔物が出たんだよな。

 当然リゼットも知っているようで、語調を強めてシャルロットをいさめた。


「王女様。あの山には誰も近づいてはならないと、宮廷の大臣様からお達しが出ております」

「大臣の言うことは聞けて、私の言うことは聞けないとでも言うの? それにリゼット。あなたに頼んでいるわけじゃないの。私はそこでボケっとってるクソ生意気なまいきな新人に命じたのよ」


 こちらに引き返してきたシャルロットが、俺の顔を覗き込む。


「いいのよ、怖いなら断っても。でももし命令が聞けないって言うならクビにするしかないわね。ふふ。初めてじゃない? 配属初日でクビになる執事は。あははは!」


 心の底から愉快そうに高笑いしたシャルロットに対し、俺はさらりと答えた。


「分かった。だが約束してくれ。任務に成功したら侍女たちを名前で呼ぶと」


 シャルロットの目が大きくなり、口が半開きになる。

「どうした?」と、俺が眉をひそめると、彼女ははっとなってそっぽを向いた。


「ふん、いいわ。でも失敗したら即クビよ! 泣いて謝ってきたって、絶対に許さないんだから! 行くわよ、リゼット!」


 大股で去っていったシャルロットの後ろをリゼットが追いかけていく。

 俺は彼女たちの背中を見送った後、館を出て北の山へ向かったのだった。


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