第58話 落とし前は『親』の役目――


 そう言って手元の携帯端末を操作してやれば、屋上の音響装置から雑音の混じった二人の男の声が聞こえてきた。


『そんな――それじゃあ、みどりはもう助からないって言うんですか?』


『ああ、専門家の話では体調の変化が幻死症に酷似しているらしいから間違いないそうだ。研究者も驚いていたよ。まさか思春期を過ぎた大人にまで幻想が扱えるなんて。ただ、ここだけの話だが――』


『――娘のしのぶにも『幻想』が宿る可能性があるんですか!?』


『確定ではないがな。遺伝的に発言する可能性があるという結論が出された。もし幻想が発現しなくても、秘密裏に研究対象にされる可能性が高いだろう。だから親の貴方に一つ頼みがあるんだが――』


 そこで音声が途切れ、件の告発者を見据えれば、ワナワナと信じられないものでも見るかのように震える順太郎の姿が。


「先の言葉、これらの証拠を見ても言えることですの?」


 一年余りかき集めた、娘からの告発文。

 それは娘の富岡しのぶが父親に突きつける絶縁状だった。


 ガクリとひざを折り、無駄と知りつつも恨みがましくぐしゃぐしゃに証拠を握り潰す順太郎。

 その姿は初対面の頃に見せた真摯さの欠片もなく。

 撫でつけられた髪を乱暴にかき乱し、『餓鬼』のように感情のままに息を荒げてみせる小鬼の姿があった。


 ギラギラと欲望に煌めく瞳が吠え立てるように夜の世界に響き渡る。


「な、なんで――? 僕が、実の娘に裏切られなきゃいけないんだ!!」


「はて、それは貴方が一番よくわかっていることではないんですの? 浮気に不倫、それに借金ですか。こちらでも可能な限り調べ上げましたけど、ずいぶんとゲスな趣味をお持ちのようですわね」


 淡々と書類を読み上げる凛子はさながら閻魔のようだ。

 ピンとそれら全ての悪事が掛かれた書類を指ではじくと、そのキリッと鬼すらい殺しかねない視線が罪人に注がれる。


「さて、これでは契約の内容から覆りそうですわね」


 コホンと小さな咳払いが鳴り、しのぶを見つめる凛子の視線のなんと優しげなことか。

 それはある種の確認のようにも思え、しのぶが凛子の意思をくみ取って静かに頷くと、キッと引き締まった凛子の唇が開き、


「富岡順太郎さん。今回の件を鑑みて、幻想症候群の管理資格不十分として、貴方の親権を一時的にはく奪させてもらいます。これは政府の使いっ走りでなく、わたくし桐生院凛子個人の決定ですわ!!」


「うおおおおおおおおお!!」


 ケモノのような雄たけびを上げて食って掛かろうとする順太郎。

 その矛先は、実の娘であるしのぶに向けられ――


「鬼頭神無、出番ですわ」

「おう!!」


 追いかけるように両足に力を籠める。

 ――が全てが思い通りにいかないのもまた現実なのだ。


 カクンと膝から下のチカラが消失し、わたしの視界が斜めに傾きだす。

 ここに来て先刻の無理が尾を引くようにわたしの足を捉えてみせた。


「くっそ、こんな時に――おい、しのぶ!! お前だけでも逃げろッッ!!」

「嫌だッッ!!」


 手遅れだとわかっていても叫ばずにはいられない。

 だが予想に反してしのぶの口から放たれた言葉は悲鳴ではなく、勇ましい宣言で、


「もう、この人から逃げ続けるのはもうたくさんなの!! あたしはここで全部終わらせるためについてきたんだッッ!!」


 そう言って立ち向かうように落ちたナイフを拾い上げるしのぶ。

 その手はぶるぶると震えており、


「動くなこの子がどうなってもいいのか」


 あっさりとナイフを奪い取られたしのぶの悲鳴が、次の行動を阻害させる。

 

「くっ、だから逃げろって言ったのに……」


 まっすぐと狂気の高笑いを浮かべながらナイフを掲げてみせる順太郎。

 その枯れ木のような細い指がしのぶの髪を掴み上げ、引きづるように出口を目指していた。

 

「さぁ来るんだ。お前がいれば僕はまだやり直せる。お前を必要としている人間はこの世界にはいっぱいいるんだ」


「うるさい、放して!! あたしはアンタとは行かないっていってるでしょ!! あたしはあたしの人生をちゃんと歩くっておかあさんと約束したの!! あたしの生きる道を邪魔しないでッッ!!」


「――ッッ!!!? 父親の、僕の言うことが聞けないのかッッ!!」


 パチンッッと強烈な平手を打つ音が木霊する。

 呆然と自分の頬を押さえてしのぶを凝視する順太郎。その瞳はたったいま何が起こったのかわかっていないような顔で、


「あたしのことをちゃんと見てくれないアンタなんか父親じゃないッッ!!」


 涙ながらに叫ぶような絶縁宣言が夜の世界に響き渡った。

 やがて自分が殴られたと認識したのか、その骸のような顔が怒りに変わり、


「親に手を上げるなんてどういうつもりだ!!」

「きゃっ!?」

「子供が、親の、言うことに、逆らっていいわけ、ないだろっ!!」


 そうして振り上げられたナイフの柄が何度も上下に往復する。

 きっとその顔は欲望にまみれたどす黒い表情を浮かべていたのだろう。

 なにを考えたのか、順手で握っていたはずの刃が逆手に持ち替えられていた。


「そうだ、そうだよ。なにも別に生きてなくたって問題ないんだ」


 そして今にも刺し殺さんばかりに振り上げられる右手にしのぶの顔が強張り、咄嗟に身体が頭部を守るように身をひねった時――


『わたしの娘を、いじめないでッッ!!』


 世界を震わせるような場違いな怒声がスピーカーから響き渡った。

 それはこの場にいる人間の持つどの声色とも違い――


 魂に響くような声のあとに、ふわりとしのぶの胸の奥から眩いばかりの青い燐光が溢れ出した。


 夜の世界を照らし出さんとばかりに輝きだす光の群れ。


 虚空から降りしきるように揺蕩う青い粒子が一か所に集約される。

 はじめはつむじ風のように、けれども光の奔流のように渦を巻き始める青い粒子が徐々に人の姿を形作り、


「うそ――」


 しのぶの喉から戦慄くような空気を震わせる声が漏れた。

 それは順太郎も例外ではなく。


「……なんで君が。君は確かに死んだはずッッ!!」


 しかし――その名前が最後まで呼ばれることはなかった。

 ザラァアアっと砂山を崩すように青いシルエットが崩れ、濁流の如き光の奔流がしのぶと順太郎を飲み込んだ。


 天まで届かんばかりの青い渦が空に上がり、ぐあああああああああ!! と順太郎の断末魔が夜の世界に響き渡る。


 そして――青い粒子が世界を飲み込むように点に溶けて消えた頃。

 そこに件のクソ野郎の姿はなく、ポツンと地面にへたり込むように寝そべるしのぶだけが取り残されていた。


「――ッ!! しのぶ、おい大丈夫か、しのぶ!!」


 這う足で駆け寄り、いまだ反応がないしのぶを揺すってみせる。

 ざっと見た限り負傷らしい負傷はない。呼吸も正常だし、見た感じ意識を失っているという訳でもない。

 というか、これもしかして――


「……寝てらっしゃる?」

「そう、みたいですわね」


 ドッと疲れが押し寄せてきた。

 なんだか最期の最期で一番いいところを掻っ攫われたような気分だ。


「あれはいったい何だったのでしょう」

「さぁな。この世にはままならない不思議なことがたくさんあるってことだろ」

「ですが、それにしたって予想外過ぎますの」


 しのぶの胸の内側から溢れ出した青い燐光。


 あれがしのぶに憑りついていた『富岡みどり』の魂なのか、それともしのぶが無意識のうちに創り出した『幻想』なのかはわからない。


 けれど――安らかに眠るしのぶの華奢な右手には緑色に輝く宝石が握られており、その表情が全てを物語っているような気がした。


「まったくこの世には不思議なことが多すぎますわ。いったい上にどう報告すればいいんですの」

「ありのままを語ってやれよ。娘のために死んだ母親が死の底から蘇ったってな」


 お前んとこの馬鹿どもなら、震えあがってションベンちびりそうなもんだが、


「わたし達が解決したって報告するよか、なによりそっちの方がロマンチックだろ?」

「ふっ、たしかに違いありませんわね」


 そうして今も穏やかな寝息を立てるしのぶを見下ろし、苦笑気味な笑みを浮かべると、鳴るはずのない別れの鐘が全ての決着を知らせるように高らかに鳴り響くのであった。

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