案山子の家

 ――残り物には福があると云う。

 さて。私の相続したこの家には福があるのだろうか?


「せんせーさよならー」

「気をつけて帰れよー」


 ベージュのコートを着込んだ生徒たちに手を振って見送る。季節は冬。受験の季節となり、いやにピリついた空気が校内には漂う。

 だからこそ、私はいつもの少しだけ「ゆるい」態度を崩さぬよう心掛ける。教師が緊張し、生徒のリズムを崩すわけにはいかないのだ。教え子たちにはそれぞれの志望校に合格してほしいところであるが、平常運転平常運転。あくまでもいつも通りであろうと振る舞う。


 だが、職員室にいると気が抜けてしまうのか、少しばかり張りつめた空気を放ってしまうようだ。


「品川先生、受験生が心配ですか?」


 新任の若い女性の先生――新井先生に心配されてしまった。彼女の方が不安は強いだろうに、先輩として少し情けないと感じる。


「あいや、違う……と言うと語弊がありますね。ですがそうじゃないんです。生徒たちはもちろん心配ですが、僕は僕にできることを全力でやるだけだと悟ってるので」

「じゃあ、どうしてそんなに気を張っておられるんです?」

「……いやあ、少し、心配事がありましてね」


 話すべきか迷ったが、こうも思い悩むようならいっそ、生徒に悟られる前に誰かに話してしまったほうが良いだろう。私はひとつ伸びをして、語り始めた。


「――ふるい友人が、祖父の遺産を相続したんですよ。

 彼の祖父というのは地元では知らぬ者のいない大地主でしてね、まあそんなわけですから相続する遺産に関してもそれはもう立派なものが多くてですね。葬儀のあった夜、彼の家族は誰が何を相続するのか話し合ったわけです。

 ……ですが、彼は発言権が無いに等しい状況だった。詳細は省きますが、ともあれそんなわけなので必然、彼が相続することになったのは余り物だったわけです」


 そこで私は話を切って、新井先生の様子を窺った。どうやらこの拙い小話に聞き入ってくれているようだ。


「――彼は、祖父の所有していたアトリエを相続しました」

「アトリエ?」

「ええ。彼の祖父は趣味で絵を描いてましてね、個展も何度か開くほどだったんです」

「へえ……すごいですね」

「まあ、アトリエなんて貰っても仕方ないんですけどね。彼は絵なんて描きませんし」

「現国の教師ですもんね」


 おっと、バレてたか。じゃあもう下手な誤魔化しはよそう。


「はい。それに住んでるマンションからも離れてるので、週に一度、訪れるかどうかってところです。……なんですが、新井先生。どうしてそのアトリエを、他の姉弟は相続したがらなかったんだと思いますか?」

「持て余すから、じゃないんですか?」

「たしかに、それもあるとは思いますが、違うんです。一番大きな理由は、そのアトリエにまつわる噂にあるんです」

「と、言いますと?」

「……なんでも、そのアトリエには霊が取り憑いていると」

「冗談でしょう?」

「僕も、詳しいところまでは知りません。どんな謂れがあるのかなんてもう、知りたくもない。けれど、どうやらその霊に憑かれてしまったようで……」

「それで、疲れてる?」

「憑かれてるんです」


 お後がよろしいようで。


 ――とまあ。こんな感じに新井先生との会話をシメた私であったが、霊が出る、憑かれてるという話は実のところマジ話だ。

 だから今日も、家の扉がいやに重く感じられる。どっか適当なホテルに泊まってしまいたいとすら思う。

 すう、と息を吸って覚悟を一つ決めると、私は扉を開けた。


 眼前、暗闇の中に人影が立つ。


「――――」


 身が竦みそうになるのを、叫びたくなるのを理性で抑え込んで、私は静かに玄関脇のスイッチを押す。明かりがつく。

 一応、その人影に向けて、あいさつする。


「……ただいま」

「…………………………」


 それは何も言わず、「へのへのもへじ」と書かれたポリ袋の顔をこちらに向けたままだ。


 それは案山子だった。鳥獣対策として田んぼの真ん中なんかに立つ、人を模したアレである。


 祖父の遺したアトリエ、その中心にはいま、私の目の前に立つ案山子と同様のものが立っていたのだ。そして、それはどうやら、人に憑いて回るタチの存在らしい――ああ、そういえば私も聞いたことがある気がするな。山中のアトリエに肝試しに行った若者たちが、以来幻覚を見るようになり、いやに案山子を恐れるようになったという話を。


 とはいえ、私はそこまでナイーブじゃない。暗闇の中に溶けるようにしてぼう、と立たれてたりすると流石に肝が冷えるが、それだけだ。


 あの頑固な爺さんのこと。どうせこれは未完成品で、あの頑固ジジイの怨念でも詰まっているのだろう。


 私は案山子の頭を撫でてやる。


「もう少し、待ってろよ……そのうち、完成させてやるから」


◆ ◆ ◆


 新井先生が美術教師だということを思い出した私は早速、アトリエの中の案山子の写真を見せて意見を聞いてみた。

「私が相続したアトリエの真ん中に立ってるこの案山子、こいつを完成させてやりたいと思うんですが、先生は何が足りないと思いますか?」

「そうですね……帽子とかでしょうか? たいてい、案山子には帽子がかぶせられていたりするものですが、それがこれにはないですよね」

「あと、この顔もどうかと思いますね。ポリ袋じゃ雨風に晒されてあっというまに朽ちてしまいません?」

「動物は大きな目を恐怖すると聞いたことがあります。もっと目をでっかくした方がいいかもしれません」

「カラスみたいに狡猾なのになると、動かないものを無視するようになってくるから、モーター仕込みましょうモーター」


 ……それ、全部取り入れると原形がなくなりませんか?


 ◆ ◆ ◆


 季節はすでに初夏を迎えていた。

 生の色彩の濃くなった山中に、アトリエはいつもと変わらずぽつねんと建っていた。


「へぇー。これが噂のアトリエですかーっ」


 以来、妙に興奮した新井先生に進捗を聞かれるようになってしまい、

「はぁ!? まだ何も手をつけてないんですか!? そんなんだから、失礼、そんなんだから余り物を押しつけられるんですよ!」

 なんてこと言って無理矢理私の相続したアトリエに連れてくるようせがまれてしまった。

 これでも僕は独身の男なのだが、彼女にとってそんなことはどうでもいいらしい。


「おっ、鍵開いてるんですね。おじゃましまーす」


 新井先生は有無を言わさぬ勢いでアトリエの中に入っていってしまった。


「へぇ……これが実物……。なるほど……。全然ダメですね、これ」

「は?」

「いえ、農家の娘なので断言させていただきますけど、こんな案山子じゃ粗大ゴミみたいなモンですよ。まるでなってない。うちのばっちゃんが見たら『こんなごじゃっぺなもん、おれが捨ててくらあ』って言いますよ」


 ……そこまで言うほどひどいのか?


「このキャンバス、借りてもいいですか?」


 言って、新井先生は何も描かれていないキャンバスを指差した。


「……一応聞くけど、それで何を?」

「借りてもいいですか?」

「……まあ、構わないよ」


 なにをするつもりなのか、薄々察しながらも僕は承諾した。あの爺さんの無念が形になったものこそがこの案山子だとすれば、まあ、壊したところで呪い殺されるようなことはあるまい。


 ――ガン! ガン! ガン!


 新井先生は躊躇なく案山子を破壊しはじめた。私はため息をつく。


 ふと、背後を見てみるとそこには私に取り憑いている方の案山子が立っていた。けれど、いつもと様子が違う……透明度が、増しているのだ。


 ――成仏してるのか? これは。ウソだろ?


「あれ? 先生、これはどういうことだと思います?」


 破壊行為を中断した新井先生が指差したのは、


「……藁人形?」


 丑の刻参りに使うような、一つの藁人形だった。案山子の頭の中に、五寸釘の刺さった藁人形が埋め込まれていたのだ。


 ◆ ◆ ◆


 ここから先は後日談。

 その後、藁人形ともう一つ、鍵が胴体の方から発見された。こちらはアトリエの地下室の扉を開けるための鍵のようで、その日、私は初めてアトリエの地下室に入った。


 そこには祖父からのメッセージが残されていた。


 一つは、藁人形の処分について。指定された神社でお焚き上げをしてもらえば良いとのこと。

 もう一つは、私へのメッセージについて。

 どうやら、祖父は私がここを相続すると生前から見抜いていたらしい。主張の控え目な私ならば、流されるがままにこのアトリエを相続させられる、と。

 あとは、私への激励の言葉と隠し財産の在処が記されていた。祖父はいくらかの脱税を働いていたらしく、その金がこのアトリエ地下にあるのだとか。

 隠し財産の件について、私は見なかったことにした。

 税務署に突入されても知らぬ存ぜぬを貫くためだ。すまないジジイ。


 ――と、まあそんなこんなでアトリエの亡霊は消えた。もう二度と、私が暗闇の中に立つ不恰好な案山子を見ることもないだろう。


 ちなみに、新井先生はその年の冬。体調を崩して教職を辞することになった。彼女に何があったのか、それはきっと、祖父が藁人形に込めた思いと同じくして、知らない方が良いことなのだ。


 残り物には福があると云う。さて、私が得たものはいったい、なんだったのだろう――。


(了)


(お題「家」「かかし」「残り物には福がある」)

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