刻むブルーレイレコーダー
洋の東西も、性格嗜好も異なる二人の術士がいた。
……おん・あびらうんけん・そわか
……さんくた・まりーあ・まてーる・でーいー・うら・ぷろ・のーびす・ぺくかーとーりぶす・ぬんく・え・いん・ほーら・もるてぃーす・のすとれ。あーめん。
それぞれの方法で準備を終えて、彼らは対峙する。
「――切支丹。これをどう見る」
この現代的なマンションの一室にあってまずお目にかかることはないであろう、狩衣を纏った精悍な顔つきの青年が言った。直情的な印象の、眼光鋭い男だ。
問いかけの先、カソック姿の男は黒縁のメガネを押し上げ、その神経質そうな顔の眉間にいっそう深いしわを刻んだ。
「エクソシストと呼べ。陰陽師。――そうさな、ブルーレイレコーダーだろう。日本産の高級品だ。家電量販店で値下げされるのはまだまだ先のことに違いなかろう」
「…………ぶるぅれい? 『ぶいえいちえす』とやらの仲間か?」
カソックのエクソシストはずっこけそうになった。
「き、貴様! ものを知らぬと言えど限度があろう! なんだ、陰陽寮は令和に在らずとでも
「はっはっは。そんなことしてりゃあオレら陰陽師はおっかないのにおっかけ回されてとうに滅亡してらあな。いくら陰陽師ってったって、角のない部屋を用意することはできねえ」
「――まったく。貴様らの組織は分からないことだらけだ。なぜにブルーレイを知らずしてティンダロスの猟犬を知っている」
「てぃんだろす……?」
「ああもういい!」
エクソシストは地団駄を踏んだ。
「おいおい、何がそんなに不快なんだよ。……いや、つーか基督教じゃ教わんないのか? 時空操作の儀式に失敗したら角のない部屋に引き込もれ、とかそういうこと」
「…………普通、時空を操るすべなどあるものか! そも、奇蹟は神の御業であるぞ!」
「ふぅん。そういうもんか。泰山府君とはけっこう違うんだな」
「ああクソ……! 陰陽師とはどいつもこいつもこんなんなのか!?」
「おいおいおい。オレとほかの連中を一緒にすんなよ。みんなが可哀想だ」
エクソシストはその一言に安心したのか、ほっと胸を撫で下ろす。
「ああ、そうであってくれると助かるよ。――なにせ、我々はこれから協力していかなくてはならないのだからね」
近年。日本各地で科学的観測の困難な現象――すなわち心霊現象が多発するようになっていた。
ただの都市伝説。誰もがそう考えた。
しかし、皮肉にもその認識は心霊現象の危険性をこの国で最も軽視していたであろう若者たち――いわゆる、迷惑系YouTuberによって塗り変えられる。
某県某市、某寺院にて(再発防止のため事件現場は徹底的に秘匿されている)。
その夜。某YouTuberはライブ配信を行っていた。配信の内容はそう、不法侵入と落書きである。
深夜の寺院に明かりはない。彼は手当たり次第に建物や石塔にスプレーをぶちまけていった。日本においては刑法188条第1項に規定される、礼拝所不敬罪――犯罪である。
さて。問題は彼が司法に裁かれなかったことだ。彼は結局、――それが原因かは分からないが――別のものに裁かれることとなった。
それの正体は今をもって不明だ。配信された映像には、何も映っていなかった。迷惑行為をはたらいた彼のほかには、誰も。
だが、当の彼には見えていたのだろう。己をこれから裁くなにものかの姿が。彼はカメラの前で、それまでの配信内容からは考えられぬほどにみじめな謝罪を行なった。言葉にならぬ言葉をまくしたてること十数秒――彼は突如として胸を押さえ、倒れた。
死因は、心臓麻痺であるとされた。
今や、呪的不自然死は日本人の死因トップ10に食い込まんばかりの勢いである。
神社や寺院でのマナーは最早マナーにあらず。自衛手段である。
第3次鴨内閣はこの非常事態にあって内閣府宮内庁の下につくかたちで陰陽寮を復活させた。
明治3年の陰陽寮廃止からじつに150年が経過していた。
さて、この150年間、陰陽師らはなにもしなかったわけではない。「いないもの」とされてきた彼らだったが、一部のネットロアにはたしかに記録されているのだ――名もなき陰陽師らの活躍が。
とはいえ。心霊現象――改め、呪的事件の発生件数はうなぎのぼり。数も減り、人から隠れられる程度にしかいない陰陽師らの手に負える量ではない。そこで、警察庁麾下の組織として新設されたのが国家鎮守局である。
多種多様な宗教を受け容れると公言する日本にとって、それはリスキーな選択であったが、公的機関に信仰を持つ術士らを雇うことが決定された。
術士らは東京から全国に派遣され、各地で鎮守のための活動を行う。方法も流派も問わず、またその手法の是非についての検証能力は未だ不十分だったが――ともあれ。今のところ、国家鎮守局は順調に成果を上げていた。
ここ――3LDKのマンションの一室で対峙する二人もまた、国家鎮守局の要請によってこの一室を訪れていたのだった。
陰陽師――彼は宮内庁陰陽寮からの出向で。
エクソシスト――彼は定職を求めて。
国家鎮守局に所属し、今回はじめて、行動をともにすることとなった。
「――でだ」
陰陽師がブルーレイレコーダーに向き直る。
「怨霊が取り憑いてんのは結局、このぶるぅれいとか言う機械ってことでいいのか?」
「ふむ。事件の整理はここに来るまでの車中で済ませたはずだが」
「オレァ小難しいハナシは苦手だ」
「………………仕方ない」
エクソシストはぷるぷると震えながらメガネを指で摘んでもとの位置に戻した。ぎゅっと、深く押しこむように。
「サルでも分かるように話してやろう」
「おう! 頼んだ!」
陰陽師がにっこりと笑みで返すとエクソシストの眉間のしわはさらに深くなった。
「報告によると、最初の事件は2019年12月28日。呪的事件の増加が明るみになる、少し前のことだな」
「オレがアネキにイビられてた頃か」
「……ここではない、別のマンションに暮らしていたとある大学生――このレコーダーの元の持ち主――が被害者となった。
ブルーレイで映画を見ていた時のことだったという。ふと、臀部にぬめりを感じたそうだ。その不快感が気になって、そこに手をやった。すると、手が血まみれになった。驚いて、映画を見るのも忘れて立ち上がってみると彼女の座っていた座椅子には血がべっとりと付着していた。
それもなんと、背もたれに。そうしてはじめて、彼女は背中に痛みを自覚した」
「つまり、背中から出血していた?」
「そういうことだ。この後、彼女はすぐに救急車を呼んで一命をとりとめた。もし通報が遅れていたら死んでいたかもしれないと救急隊員が報告している」
「ホォ。黎明期の事件にしちゃかなり派手だな」
「続く2件目3件目も、やはり同様の事件が起きている。これらに共通するのは、このレコーダーで何かを再生している時に、何かに背中を接触させ続けていると、大量出血という霊障に見舞われる――ということだ。座椅子の背もたれに限らず、床でも壁でもそれは同じ。3件目の被害者――つまりこの部屋の住人に至っては、再生中に眠りこけてしまい、そのまま亡くなっている」
「……つまり、コイツは人が死ぬことも厭わずに霊障を起こしてるってワケだな」
「うむ。そういうことになる」
「……出血は、バレたら止まるのか?」
「おそらく」
「そうか」
確認をすると、陰陽師は壁際に座った。
「何か再生しろ」
「いいのか?」
「霊の種類を判別するために必要なことだ」
「……では、準備する。こんなこともあろうかと聖別済みのブルーレイディスクを持ってきているのでね」
「それ、霊障の再現に使えるのか?」
「この程度で霊障が消えるならその程度の話だったというだけだ」
エクソシストはブルーレイディスクを挿入した。再生を開始する。
「……この映画は?」
「『陰陽師』だ。野村萬斎が良い」
「それは、歩み寄りのつもりか?」
「何か不満でも?」
「いや、お前がそんなイイ奴だとは思わなかったからびっくりしてんだ」
「……貴様は本当に、あけすけな奴だな」
異変は、再生して30分が経過した頃に起きた。
「ん? さっきからひとりでに電気が点いたり消えたり……なんだこりゃ」
「ポルターガイスト、霊障の一種なのでは? 聖別されたブルーレイを再生して、霊が苦しんでいるのかもしれん」
「そういうモンなのか?」
「背中の方はどうだ?」
「今のところ問題ない」
それからしばらく、ポルターガイスト現象に二人は見舞われた。しかし専門家とあって、二人に動揺の色は見られない。
すると、二人の態度が原因なのか――映画『陰陽師』の再生される画面に異常が現われるようになった。色調がおかしくなったり、映るはずのないものが映り込んでいたり、実際のセリフと異なる音声が流れだしたり。
だが、二人が動じることはない。あれこれと考察するのみだ。
「背中は?」
「平気だ」
こうして確認するのも何度目になるだろうか――ともあれ、もうじき映画も終わる頃合いだ。この時点での二人の霊に対する見解は、「大したことのない下級霊」というもの。力は比較的あるが、基本的にいたずら好きなだけで、死人を出してしまったのも、加減を間違えたからではないか――とのことだった。
無論、だからと言って放置することはないし、彼らは適切な儀式によって除霊を為すだろう。そうして、霊の消えたブルーレイレコーダーは尋常の手段によって処分される。そういう運命をたどる。
窓の外は紫紺に染まり、映画はエンドロールを迎えていた。
「…………結局、出血はなかったな」
と、エクソシストは陰陽師の方を向いて、目を見開いた。倒れていたのだ。真っ白な狩衣を、真紅に染めて。
「お、おいっ! 大丈夫か!」
「く……っ。と、突然、きやがった」
「なに!?」
エクソシストはブルーレイレコーダーを見た。すると、ひとりでにレコーダーは挿入したブルーレイディスクを吐き出していた。表面と記録面に、無数の裂傷を付けた状態で。そのさまはまるで、二人の術士を嘲笑っているかのようだった。
「――そうか。そういうこと、か」
エクソシストは窓の外に目をやってようやく、真相を理解した。
「霊障の発生にはもう一つ、条件があったんだ。この霊障は、夜にならないと起こらない! ……くっ。なんて初歩的なことを見落としてたんだ私は。こういった怪異は夜に動くと相場は決まってるじゃないか!」
同時に、これまでの事件で一切報告にはなかったあの、ポルターガイスト現象の正体にも思い至る。
「あれはおそらく、この部屋の前住人、3件目の被害者からの警告だったんだ! ぐ。なんてことだ。それを私は聖別したブルーレイに屈しているのだなどと……」
「反省会はあとでしよう、ぜ……」
顔を青くして、陰陽師が立ち上がる。
「お、おい! 大丈夫なのか貴様! 血が……」
ぽたぽたと狩衣からしたたり落ちる血はもはや、池と呼んでも差し支えなさそうなほどだ。
「この程度、慣れっこさ。んなことより、ソイツを抑え込んどいてくれ。祓うのはオレがやる」
「し、しかし……」
「見たところ、こいつは怨霊のたぐいだ。なら、エクソシストより陰陽師のが適してるだろ?」
「――ああ。では任せたぞ!」
陰陽師が詠唱を開始する。それに合わせて、エクソシストが十字架を突き出し神への祈りを開始した。
エクソシストが十字架を掲げる前で、陰陽師が己の血で五芒星を描く。
そして最後、陰陽師は不動明王の真言をもってして結びとした。
……うん・のうまく・さんまんだ・ばあざらだん・せんだ・まあかろしゃだ・そわたや・うんたらたあ・かんまん・そわか
効果は一目瞭然だった。
――キュィイイイイイイイ!!!!!!!!
うなるモーター音が数秒、部屋中に響いたかと思うと、――パキん。パキ、キ……とひびが入り、
がしゃん!
最後には内側から弾け飛んだ。
「…………はぁ、はぁ。勝った……のか?」
汗まみれのエクソシストが十字架を掲げたまま、言った。
「おう。オレたちの……勝利ってとこ、だ」
陰陽師は右腕を突き上げて勝利を宣言した。そしてそのままのポーズで、彼は倒れ込む。
◆◆◆
後日、エクソシストはカソックから私服に着替えて、警察病院霊障病棟の中を歩いていた。右手に花、左手にはお菓子の入った紙袋。ともに除霊したあの陰陽師の意識が回復したと聞いてから、1週間が経過しようとしていた。
(あまり関わり過ぎるのもどうかと思うが――これも礼儀だ)
受付で案内された病室の扉を開けると、広々とした個室のベッドの上に、精悍な顔つきの青年がいた。
「おお? なんだあんたか。見舞いに来てくれるとは思わなかったよ」
「そういうところは直したほうがいいぞ。単純に失礼だ」
「はは……分かったよ。悪い。オレって、常識ないんだな」
「自覚できたなら、もうこれ以上は何も言うまい」
「いや言ってくれねえと困る。いいか? 常識がないってことはどういうことが常識なのか分からねえってことなんだ」
「なぜに貴様が威張る」
はあ、とエクソシストはため息をついた。
手にした紙袋をテーブルの上に起き、花瓶に花を挿す。
「……言い忘れてたけど、ありがとな」
「なにについての感謝なんだ? それは」
「今日の見舞いと、このあいだの事件の両方について」
「フン。用件が済んだら、私はすぐに帰らせてもらうつもりだ」
「それでも、嬉しいモンは嬉しい」
「……だな」
窓際に立つエクソシストは穏やかな笑みを浮かべているように見えた。
「感謝、されたよ」
「ん?」
「例の、ポルターガイスト現象を起こしていた彼だよ。まあ、3件目の被害者かは結局、判明しなかったが……貴様が気絶したあと、『ありがとう』と、そう言っていたように聞こえた」
「そっか」
「彼の遺族からも、感謝の言葉をいただいた。仇をとってくれてありがとう――と」
「うん。そりゃあいい。背中の皮一枚めくれただけの価値はあったってわけだ」
「ともかく、養生しろよ」
「おう」
エクソシストは病室を出て、清々しいまでの空の青さにふと、ため息をついた。
そのカラっとした晴れように、あの陰陽師の姿を見い出したからか。あるいは、神の祝福を感じ取ったためか。それは分からない。
ただ、この空のような清々しさが損なわれないために、これからも働こうと、そう思えた。
(お題「十字架」「陰陽師」「ブルーレイレコーダー」)
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