いまはまだ、徒花だとしても

「島崎さんさぁ、それ、豚に真珠って言うんだよ?」

 学級委員の中川が諭すように言った。

「そうかな」

 ぼんやりとした顔で、渦中の少女、島崎は頬杖をついた。視線の先には、一枚の説明書。

「はーい、おはよう! どうした、今日はやけに賑やか――って、みんな、どうしたんだ。島崎のとこに集まって」

 担任の馬野がざわめく教室に入ってきた。いつもと変わらない、朴訥として、仏のような穏やかな顔は疑問符を浮かべている。

「それが、島崎さん、どうやら組立式の味蕾改革機を購入したらしいんです」

「か、改革機? ほんとかぁ島崎。おいそれと買えるものじゃないだろう」

 驚愕ゆえか、馬野はホームルームを始めるのも忘れて島崎のもとへゆく。島崎は小さな口を開けて、馬野に舌を出して見せた。

 唾液に濡れてつやつやとした舌。その健康的な赤色の真ん中に、空色の球体が埋め込まれていた。

 それだけ見ればまるでピアスのようだが、異様なのは球体を中心として、舌の赤色に空色のヒビが入っていることだ。

「へんへーふひふぁふぇへつふぁっふぇふふぁふぁい」

「島崎さん、だらしないよ」

 中川に注意されて、島崎は舌を引っこめた。

「先生、組立手伝ってください」

 説明書を渡す。型番を見て、馬野は腰を抜かしそうになった。

「ん? ……いや、だがなあお前、本当に良いのか?」

「なにがです?」

「そんなところに改革機を使っても、しようがないと思うんだが。だって舌だろう? 高級なグルメに縁があるわけでもないのにそんなの……遺伝子レベルで肉の味の違いが分かるようになったから、なんだって話だろ」

「先生」

 馬野はたじろいだ。いつもと同じ、ぼんやりした雰囲気の島崎の表情に、「本気」を見た気がした。しぶしぶ、うなずく。

「……今日のホームルームは、自習だ」

 結局、本当に自習をしていたものは誰もいなかった。みんな、自分と同年代の少女の舌が空色に侵食され――「改革」されてゆくのをじっと見つめていた。

 作業は淡々と進む。

「……すごく手慣れてますね」

 学級委員の中川が言った。

「ああ、昔、いっぺんやったことがあるんだ。新しいもの好きのやつでさ。当時に比べりゃ組み立ても随分と簡単になったもんだ…………思えば、あいつも下らない理由で改革機を買ってたな……」

 馬野は目を細め、少し思い出に浸っているようだった。


◆◆◆


 ことが終わる頃には、馬野の手は島崎のよだれでべちょべちょになっていた。

 娘ほどの年の差のある少女の口に不躾に手をつっこむという背徳的行為。馬野はその感触を忘れられそうになかった。

「先生」

 手を洗いにトイレへ行こうとする馬野を島崎が呼び止めた。さきほどの経験のせいだろうか、スカートの長いセーラー服の少女の立ち姿は、どこか妖艶に見える。

「みんなムダだムダだっていいますけどね、この改革機には味情報のアップロードとダウンロード機能があるんですよ」

「ん、そうなのか」

「これでいつでもどこでも高級お寿司やキビヤックを味わい放題です」

 島崎は自慢げに言う。

 何気なく、空色に染まった舌をちらと見せられて馬野はどきりとした。

 あの舌は、自分が……。

 そう思うと腹の奥底から熱い劣情がふつふつと湧き出てくる。

 島崎がスカートのすそをつまむ。

「お昼ご飯、ごいっしょしてもいいですか? お礼がしたいんです」

 身体の芯がかあっと熱くなる。馬野の辞書から、否定を意味する語彙はすっかり蒸発してしまっていた。


◆◆◆


 ことが済んで、二人は体育倉庫の中で乱れた着衣を整えていた。馬野は体育教師である。昼休みが終われば体育の時間。撤収準備は速やかに。扉を開けて、充満した性の匂いを外に逃がす。

「お昼、ごちそうさまでした。先生」

 500mlペットボトル半分ほどの水を飲み終えて、島崎は口もとをぬぐう。そして、なおも余裕綽々といった態度で蠱惑的に。一礼する。

「…………その、お前。俺がこんなこと言うのもどうかと思うんだが……いつもこんなことしてるのか?」

「ふぃふぃへー? ふぉんふぁはへふぁいふぁふぁいへふは」

 少し目を離した隙に、島崎はどこからともなく取り出したデータチップを空色の舌に挿入していた。首を横に振っているところを見るに、質問の答えは「否定」のようだ。

「じゃ、じゃあなんで……」

「まあ、いいじゃないですかそんなこと。それより先生。先生って結婚とかしないんですか?」

「……突然だな。言っとくが、生徒からの告白は断ることにしてんだ」

「ふふっ。世界一説得力ないですよ」

 返す言葉もない。馬野は黙った。

「それに安心してください。私の告白は、一方的なものですから」

 それは、気持ちだけでも伝えたいというやつだろうか?

 島崎の言葉を馬野は待つ。年甲斐もなくドキドキしてるのは、こういうことに対する経験値が圧倒的に不足しているからだろうか。自問して悶々とした時をやり過ごす。

 果たして、島崎は言った。

「――ねえ、お父さん」

 馬野は臓腑が凍る感覚を覚えた。

「10年前。母子連続暴行事件。その被害者のなかに、私もいたんですよ」

 気づかなかったでしょう?、と島崎は言う。嗤っていた。

「あの事件の被害者の母親はみんな内部で頸動脈を切られて殺害されてる。けれど、犯人が本当に殺したかったのはたった一人。私のお母さんだけだった――そうだよね? お父さん」

 馬野は島崎を押し倒した。まずい、と焦りを顔に出して首を締めにかかる。

 島崎の表情が苦痛に歪む。が、すぐに挑発的な笑みに変わって島崎はべぇっと舌を出した。

 空色の舌、それにはアップロード機能も搭載されている。

 ――もしや、先程のデータチップの中身は10年前に彼女が――この少女の母親が遺したものなのではないか。自分の、精液の情報なのではないか。

 そう思うと、馬野は首を絞める手を緩めざるを得ない。島崎が先程口にした精液のデータ、10年前のデータ。2つをネットワークに放流され、誰かに照合されたらおしまいだ。

「けほっ! えほっ、げほっ、っ!」

 解放されて、島崎がえずく。

「な、なにが目的なんだ……?」

「腐っても親子。ちゃんと伝わって助かりました」

「目的を! 言ってくれ!」

 10年前の事件の真相を交渉カードとして切ったということは、本当の目的はそれじゃないはずだ。そもそも、真相を公表するつもりならこんな、犯人の目の前で指摘するような真似はしないだろう。

 さすがにそこまで頭が残念な少女ではないはずだ。そうであってくれ。

「……一つだけ」

 島崎は指を一本立てて言った。

「これからはもう、中川さんに手を出さないで下さい」

「は…………?」

 ――中川? 中川ってあの学級委員の?

「これからは、私だけを愛して下さい」

 島崎は体操服をまくりあげてキスマークの残る腹部を撫でた。

「今日みたいに。熱烈に。……その気になれば、10年前のようにしてくれても構いませんから」

 この淫魔は、自分が作り出してしまったのだろうか。

 馬野は心底おののいた。


◆◆◆


 島崎と中川はその日、一緒に帰り道を歩いた。繋ぐ手は微かに触れ合う程度。お互いの体温は、よく分からない。

「ごめん。野々香ののか……私の、私のためにあんなこと……」

「気にしないで。ああいうやり方を選んだのは、私自身なんだから」

 この一件、はじまりは中川からの相談だった。

 担任の馬野と別れたい。でも自分から別れを切り出しては内申に響くかもしれない。そんな相談。

「でも野々香、自分の父親と……いや、お母さんの仇とすることになっちゃった……」

 中川の目尻から大粒の涙がこぼれる。学級委員としての彼女からは考えられない姿だ。

「いいのいいの。私はそんな気にしてないんだから」

「に、妊娠しちゃったらどうするの!?」

 中川はこっそりと、馬野にバレないように体育倉庫の中の様子を録画していた。画面越しに、二人の行為は覗き見ていたのだ。

 しかし、島崎はなんてことないふうに言った。

「私、子宮ないんだ」

「えっ…………」

「だから何があっても妊娠なんてしない。手術痕もきれいに消えてるし、たぶんあの人も気づいてないんじゃないかな」

「でも…………やっぱり、辛いことを」

「いいの。これでもう、手当たり次第に男の人と体を重ねる必要もなくなったんだから。むしろ感謝してるよ。思いがけず、事件の真相にたどり着けたんだからさ。ありがとっ」

 島崎は中川に抱きついた。島崎は中川を寂れた店舗の壁際に押し付けて、逃げ場をなくした上で、

「ん」

 口づけだ。

 島崎は中川の口の中を蹂躙するように、舌を這わせる。口の隅々まで味わわんとしているかのように。

「私、やっぱり新稲にいなの味が一番好き。世界一おいしいよ」

「もう。そんなこと言うために買ったの?」

「そうだよ」

「…………っ」

「豚に真珠、なんかじゃなかったでしょ?」

「しらない」

 夕焼け浴びて、中川は真っ赤な顔で拗ねたように言った。



お題:「豚に真珠」「昼ごはん」「説明書」

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