第三十七話「愛の力」
『殺せ! 魔王だけでなく魔王の子を! そして、魔王の子の力を借りるような穢れた小娘も亡き者にするのだ!』
心に神の声が激しく響き渡る。
だが、もちろんそんな声に耳を貸すわけにはいかない。
(出てけ! 俺の中から、もう出ていってくれ! 魔王は倒したんだから、もういいだろ!? ヤマブキはとてもいい子だ! 魔族だからってみんな根絶やしにするなんて間違ってる! それに、初音だって魔王を倒すことに協力してくれたんだぞ!?)
『甘い! 魔族というのは生粋の戦闘種族。幼少時はあどけなくとも必ず最後は残虐無比な魔族へと至る。しかも、魔王の子ともなれば絶対に野放しにはできぬ! その魔王の子の魔力を使うような小娘も、いずれはこの世界に不幸を及ぼす!』
命令を強制するように心身に走る不可視のヒビは大きくなっていく。
揺らぎが大きくなって集中が乱れ、ついに手にしていた銃剣が霧消してしまった。
「ぐっ……がっ……!」
自分の体を支え切れなくなった道也は前のめりに倒れそうになる。
そこをすかさず初音が抱きとめてくれた。
「道也くん、しっかりしてください!」
正面から抱きとめられたことで、前面に柔らかな膨らみを感じる。
その温もりによって、少しは心が落ち着いていった。
「はぁ、はぁ……」
だが、息は荒くなり冷汗が滲み出てくる。
「大丈夫、もう大丈夫ですから……」
それでも初音は優しい声をかけながら、安心させるように背中を撫でてくれた。
(…………温かいな……)
言葉と体温の両方によって、今度こそ落ち着きを取り戻していった。
この温かさは、理屈ではない。
『ええい、離れろ! 魔王の子から魔力を借りるような穢れた小娘が勇者に触れることなど許されぬ!』
(……黙れ、初音のことを悪く言うな! 俺のために力を貸してくれたんだぞ……?もし初音がいなかったら魔王を倒すこともできなかったかもしれない……)
戦闘の途中で初音に助けられたし、そばにいてくれたからこそ、あの和歌を思い出すこともできた。
最後に踏みこむことができたのは、ひとえに初音のおかげだ。
ひとりで戦っていたら魔王に敗れていた可能性は高かった。
(そんなことは問題ではないのだ。勇者の力は神の力。この力を授けられた者は使命に従うことが前提なのだ! そして、使命に背く者は絶命することになる! 命が惜しければ我が命令に従うのだ!)
その言葉が嘘ではないと証明するかのように全身を縛(いまし)める力が強くなる。
まるで無数の細かい糸が心身を切り刻むかのようだ。
「う、ぐ、あっ」
搾り出されるように声が漏れ出る。
存在が根底から揺らがされる激震が走り、意識が遠退いていく。
このままでは命が奪われることは明確だった。
「道也くんっ! しっかりしてください!」
それでも初音は魂を現世に引き留めように強く両手で抱きしめてきた。
より身体が密着して、心音が近づく。
それによって、薄れかけた意識が戻る。
消えかけた存在が、再び呼び戻されたかのようだった。
「くっ……」
魔族に対する強烈な殺意は落ち着いてきたものの、全身を虚脱感が襲ってくる。
足元が震え、視界が回り続ける。
「道也くん、わたしがここにいますから! 大丈夫ですから!」
耳元で必死に叫ぶ初音の声が、再び遠くなっていく。
全身から急速に力が失われていった。
(……こんなところで、俺の人生、終わるのか……?)
まだまだ初音と、そして、川越のみんなと暮らしていきたい。
戦いが終わって、これからゆっくりと青春を送っていけるはずだ。
(……そうだ、漫画も描かないと……)
書き続けた漫画も、ようやく終わりを迎えるのだ。
悲劇ではなく、ハッピーエンドとして。
「……道也くん! 道也くん!」
(……でも、本当に……よかった……初音のことを守ることができて……)
無力な自分が、ずっと嫌だった。
このまま初音たちが戦いに明け暮れ消耗していく姿を見たくはなかった。
川越の住人たちが疲弊していく姿を見たくはなかった。
そして、この町に興味を持ってくれたヤマブキを悲しい目に遭わせたくなかった。
(……だが、ぜんぶ、防ぐことができたのなら……俺の人生、悪くなかったよな……こうして、初音とつきあうこともできて……)
『愚か者めが! 勇者として魔王の子とこの女を殺せば命は助かるものを! それでも貴様は死を選ぶのか!?』
(当たり前だろ……愛する人を手にかけるぐらいなら、死んだほうがマシだ……)
ヤマブキと初音を殺すなど絶対にありえない。
そんなことをするぐらいなら死を選ぶ。
『ならば、消えるがいい! 貴様には分不相応の力を与えすぎたのだ! 神に逆らうというのならば、それ相応の報いを受けろ!』
神の絶叫とともに再び全身がバラバラになるような衝撃が走った。
「あ、がっ……!」
魂に致命的なダメージを受けたのか、自分が消えかかっていることがわかった。
「えっ……? み、道也くんが透明に……? い、いやっ! だめです! 消えないでください!」
初音は、この世に道也を留めようとするかのようにさらに強く抱きしめてきた。
『ええい、離れろ! 魔族の力を借りるような女など勇者には相応しくないのだ!』
(……黙れ! 初音のことを悪くいう資格など、おまえにない! 初音は俺にとって最高の恋人なんだ!)
誰にでも優しく、そして、どこまでも心根が真っ直ぐな初音。
彼女がそばにいてくれたからこそ、自分も頑張ってこれた。
(今の俺に必要なのは勇者の力じゃない。初音だ!)
心の中で絶叫し、魂に巣食う神を追い出そうとする。
『ぐぬっ! き、貴様! あくまでも反抗しようというのか!』
(……ああ! 俺のことをどうこう言うのはいいとして……初音のことを言うのは許せないからな……!)
そもそも初音が駆けつけてくれたおかげで、魔王との戦いに勝利することができたのだ。神にとっても、魔王を倒すために協力した恩人と言えるはずだ。
「……初音……」
道也は自らも初音を抱きしめ返し、その名前を呼ぶ。
「道也くん……? 大丈夫、ですか……!?」
反応が返ってきたことに驚いたのか、初音はこちらの顔を確認するように自らの顔を近づけた。それは、つまり――唇と唇の距離が近くなるということでもある。
(……最後に、一回だけ……いいよな?)
誰にともなく断りながら、道也はそのまま唇を初音に近づけていく。
「……道也くん……? あ……」
驚きつつも初音はすぐにその意図に気がついたようだった。
そのまま抵抗することなく、迎え入れるように唇を向ける。
そして――ふたりの距離が0になった。
つまり――唇が合わさった。
「ん……」
「……ん」
その瞬間――唇を起点にして甘く痺れるような波動が発生する。
ヒビ割れるような感覚が一気に回復し、心身の奥から温かな力が拡がっていく。
『バカな……! 魔族の力を受けた者からさらに力を受け取るなどと!? 穢れるっ!勇者の力が汚されるっ……!』
神が焦りながら叫んでいるが、もうそんな声は気にならなかった。
道也は初音のことを抱きしめて、強く唇を押しつける。
(あぁ、温かいな……安心できる……)
初音の力だけでなくヤマブキの魔力も感じることができた。
もし三人で暮らせたら、それはとても楽しいのではないか、と思えた。
『ええい、いい加減にしろ! 貴様、それでも勇者か! 誇り高き勇者が魔族の力で穢れた女と接吻をし、魔王の子と暮らすだと……!? やはり異世界人を勇者にしたのは間違いであったか……!』
苛立たしげに怒鳴り、神は縛めの力を強めてくる。
だが、しかし――もはや道也は痛みを覚えることがなかった。
初音とキスをしたことで、これまでにないエネルギーが体の奥底から発生しているかのようだ。
どこまでも温かい、優しい、包まれるような安心感が体内に拡がっていく――。
『なんだ、これは!? 勇者の力と魔族の力が混じりあう……だと? ありえぬ、こんなことは絶対に、ありえぬのだ……! あってはならぬ! ぐ、ううぅっ!』
まるでダメージを受けているかのように神は呻く。
いや、実際にそうなのだろう。
聖なる存在がゆえに、微量とはいえ魔の力が混入することに耐えられないようだ。
純白ほど汚れやすいものはない。
(……おまえの思想は、結局、魔王と同じってことなんだよ……魔王は人間を根絶やしにすることを頑なに実行しようとしていたが……おまえだって魔族を完全に滅ぼすことしか考えていない……)
『なんだと!? わたしを魔王と同じ存在だなどと……貴様、侮辱にも程があるぞ! 誰のおかげで魔王を倒すことができたと思っている!』
(それについては感謝する……だが、ヤマブキのような人間に対して害意のない幼い子まで殺そうなんて絶対に間違ってる! それに……初音にまで害を与えようとしたことは絶対に許さないからな!)
怒りの感情を爆発させて、心の中で吠える。
これまでは神の力に圧倒されるばかりだったが――初音とヤマブキの力を得たことで対抗することができた。
『小癪なっ……! たかが人間ごときがわたしに逆らおうなどと! そもそもわたしが勇者の力を与えたのだぞ! そのわたしが、負けるわけが……!』
(こっちが頼んだわけではないからな! 俺はお前の操り人形じゃない! これからこの世界で初音とヤマブキと川越のみんなと暮らしていくんだ!)
ようやく魔王を倒して平和が訪れたのだ。
ここで初音とヤマブキを害そうという神だけは絶対に許せなかった。
(出てけ! 俺の中から出ていけ! もう勇者の力なんて必要ない! どうしても俺たちに害を与えるというのなら、お前を滅ぼす!)
『生意気なことを言うな! 貴様など、勇者の力がなければなにもできぬものを!」
だが、そこで道也は自分の奥底から新たな力が湧き上がってくるのを感じていた。
(……それは、どうかな? どうやら、おまえの力を借りなくても覚醒するときが来たようだぞ……?)
勇者の力とは違い、初音の力とも違う。ヤマブキの持つ魔力とも、違う。
新たな力が心身の奥底から迸り――あっという間にみなぎっていった。
『なっ……!? なんだ、この力は……!?』
(……俺固有の力が覚醒したみたいだな……色々な力が俺の体内を循環したことで誕生日に発動するはずの異能力が開花したようだ)
そして、その力は驚くべきことに――勇者の力に目覚めたときよりも強大であった。
『なんだ、このイレギュラーな力は……!?』
(さあな。色々な力が駆け巡ったことでなにか思わぬ突然変異があったのかもな)
なには、ともあれ――。
(俺の体から出ていってもらう!)
道也は気合もろとも神を体内から追い出すことにした。
『ぬうぅ! 貴様ごときに負けるものか!』
それでも留まろうとする神に対して、目覚めたばかりの力を総動員する。
イメージとしては心臓に向けて、エナジーを集める感じだ。
「だあああああああああああああああああああああああああああああああ!」
『ぬ、ぐ、あ、あぁああああああああああああああああああああああああああ!?』
全身に異様な衝撃が走ったものの、ついに心身から不快な神の存在を吹き飛ばすことに成功した。
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