それでも、まだ……。



 紫浜しのはま 玲奈れなは、呆然と十夜の部屋を見渡す。


「…………」


 久しぶりに見た十夜の部屋は、まだ日は高いのにカーテンが閉め切られていて、何故だが妙に寂しげだった。


「十夜くん? 居ないんですか?」


 居ないと分かっていながらも、玲奈はそう声をかける。


 不安だった。怖かった。ずっと部屋に引きこもっていた十夜が、唐突に居なくなってしまった。それはまるで姉が居なくなってしまったあの時のようで、玲奈はつい泣きそうになってしまう。


「どこに、行ったの……」


 無意識に、十夜のベッドに腰掛ける。このベッドで、十夜と一緒に眠った。膝枕をして、抱き合って、沢山たくさんキスをした。……なのに十夜の布団には、もうどこにも温かさが残っていない。


「十夜くん……」


 玲奈はそれが、胸が張り裂けるくらい悲しかった。



「十夜なら、居ないわよ」



 唐突に響いた声に、顔を上げる。するとそこには、紅い瞳でこちらを見下ろす、御彩芽 ちとせの姿があった。


「……どういう、意味ですか? もしかしてまた貴女が、十夜くんに変なことしたんですか!」


 玲奈は真っ直ぐに、ちとせを睨む。


「別に、変なことなんてしてないわ。……ただ偶然、出会ったのよ。外を出歩いている、あいつと」


「……! 十夜くん、外に出たんですか?」


「そうよ。なんでも、頭痛が酷くて気分転換してたらしいわ」


「頭痛⁈ 大丈夫なんですか? 十夜くんは!」


 玲奈は立ち上がり、ちとせの方に駆け寄る。


「……そんな大声出さなくても、大丈夫よ。私と出会った時には、もう治ってたらしいから」


「そうですか。なら、よかったです……」


 玲奈は安堵するように、大きく息を吐く。……けどすぐに何かに気がついたように、顔を上げる。


「十夜くんに外で出会ったということは、もしかして貴女、十夜くんの顔を見たんですか!」


「……そうよ。悪い?」


「悪いに決まってます! 十夜くんがどういう想いで引きこもっていたのか、それくらい貴女にだって分かっていたはずです! なのに貴女は、また自分の都合で……!」


 カーテンの隙間からこぼれる日の光が、玲奈の瞳を照らす。それはとても冷たくて、でも同時に燃えるような熱さを孕んでいた。


「恋愛なんて、自分の都合を相手に押しつけるものでしょ? 十夜だって、そうやって貴女の心を変えたはずよ」


「それ、は……」


「それに貴女だって……ううん。十夜だって、いつまでも逃げてちゃダメだって、分かってたはず。だからあいつは、自分の意思で私の顔を見るって決めたの」


 ちとせは正しいのは自分だと言うように、真っ直ぐに胸を張る。


「……貴女の言い分は、分かりました。でもじゃあ十夜くんは、どこに居るんですか? 貴女の顔を見た十夜くんは、どうなったんですか?」


 そんなちとせに、玲奈は不安そうに言葉を返す。


「…………」


 するとちとせは、少し考えるように目を瞑る。



 秒針が運んできた静寂が、2人の動きを止める。カチカチカチと無機質に響く小さな音だけが、ただ部屋にこだまする。



 ちとせはそんな静寂が身に染み込むのを待ってから、ゆっくりと目を開く。



「十夜のやつ、私のことが……見えてないみたいだった。……あいつの目、昔とは比べものにならないくらい、透き通ってた。だからあいつ、私を無視して……どこかに行こうとしたのよ……」


「……貴女はそれを、黙って見送ったんですか?」


 玲奈の問いを聞いて、ちとせはゆっくりと首を振る。


「痛かったのよ、胸が。……私はどこかで、思ってた。自分だけは、特別なんだって」


 その言葉は、玲奈の問いの答えになっていなかった。でもちとせの表情があまりに悲痛で、玲奈は口を挟めない。


「それで気がついたら私、あいつに抱きついてた。そしてそのまま、私は……」


 ちとせはそこで玲奈から視線をそらし、薄暗い天井を仰ぎ見る。だから玲奈もそれにつられるように、視線を上に向ける。



 けれどそこには無論、何もなかった。



「私はあいつの首筋に、歯を立てた」



 ちとせは天井を仰ぎ見たまま、そう言った。



「────」



 玲奈は一瞬、言葉の意味が分からなかった。だって玲奈は、知らないから。ちとせもまた、自分と同じ吸血鬼なのだと。


「……もしかして貴女も、吸血鬼なんですか?」


 だから玲奈は、そう尋ねる。


「そうよ。貴女や十夜と同じ冷たい血が、私の中にも流れてる」


「そう、ですか」


 それはとても驚くべき事実で、でも同時に玲奈はどこかで納得していた。ちとせと相対した時に感じた冷たさは、自分と同じものだったのかと。


「貴女も、知ってるんでしょ? 吸血鬼が、同じ吸血鬼の血を吸う意味を。私はあの瞬間、死んでもいいと思った。十夜にあんな目で見られるくらいなら、私が死ぬのなんて……わけなかった」


「……でも貴女は、生きてます」


「…………そうよ。私はあいつに、歯を立てた。でもあいつはそれを、振り払った。『ごめん、ちとせ。俺は、大丈夫だから』って」


 玲奈にはその光景が、簡単に想像できた。自分が知ってる十夜なら、自分の為に誰かが死ぬのを決して許しはしないだろう。だから玲奈は、少しだけ安心する。十夜にはまだ、人の心が残っているんだと。


「それで十夜くんは、どうなったんですか?」


「『落ち着いたら、帰る。だからしばらく、1人にしてくれ』あいつはそう言って、私の制止を振り切って走ってどこかに行っちゃった。……必死に追いかけたけど、私じゃ……追いつけなかった」


 ちとせは後悔するように、目を伏せる。


「…………」


 玲奈はそんなちとせを、これ以上責める気にはなれなかった。だって彼女もまた自分と同じように、ただ真っ直ぐに恋してるだけだから。


「十夜くんは、帰るって言ったんですよね?」


「そうよ」


「なら私は、待ちます。いつまでもずっと、十夜くんを待ち続けます」


「……そ。私も、そのつもりよ。いくら吸血鬼だからって、お腹は空くはずだもん。だから私、あいつにご馳走作って待ってるつもり」


「十夜くんにご飯を作るのは、彼女である私の役目です。貴女は、引っ込んでてください」


「嫌よ」


「私だって、嫌です」


「……強情な女ね」


「それは貴女のことです」


 2人は同時に、息を吐く。



 そしてそこからは何も言わず、2人して黙って十夜を待ち続けた。


「…………」


「…………」


 空の色が青から茜に変わり、気づけば辺りは夜の闇に飲まれていた。2人で喧嘩しながら作った夕飯は、まだ誰も手をつけていなくて、ただ時間だけが過ぎていく。



「…………」



「…………」



 不安と、恐怖と、後悔。そして何より深い、愛情。2人はそんな感情を胸に秘めながら、何も言わずただただ静かに待ち続ける。


 すると不意に、十夜の家に置かれた固定電話から、着信を知らせる音が鳴り響く。



「──!」



 玲奈は、走った。ちとせは少し遅れて、その背に続く。



 ……けれどそれと同時に、ちとせのスマホからも着信を知らせる音が響く。


「…………」


 ちとせは足を止めて、番号を確認する。……知らない、番号だった。でも十夜のスマホは、机の上に置きっぱなしだ。だから、もしかしたらと思い、ちとせはその電話に出る。



 それと同時に、玲奈もまた受話器をとった。



「────」



「────」



 電話から響いた声を聞いた2人は、同じように驚きに目を見開いた。


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