その手がありました!
授業を終えた
「…………」
十夜が部屋に引きこもってから、3日間の時が流れた。
玲奈はその3日間で、昔の十夜みたいに何度も何度も告白した。それはとても照れ臭くて、でも同時にとても楽しい時間だった。
……けど結局、十夜がドアを開いてくれることはなかった。
「……でも、今の私にできるのはそれだけ」
玲奈は……いや、ちとせや十夜も含めて、吸血鬼という存在についてあまり多くを知らない。だから、吸血鬼の心に人の温かさを取り戻す方法なんて、誰にも分からなかった。
「それでも、十夜くんは私のところに来てくれた」
そしてその真っ直ぐな想いが、玲奈の心を変えた。なら自分も同じことをするだけだと、玲奈はもう決めていた。
「…………」
……しかし同時に玲奈は、それだけではダメだと気がついていた。
十夜の半年間の努力で、確かに玲奈の心は変わった。しかし依然として、玲奈の心には冷たい吸血鬼の心がこびりついている。……だから玲奈は一度、十夜の血を吸って死のうとまで考えた。
「……暑い」
校舎から出ると、夏の日差しが玲奈の肌を焼く。昨日から衣替えで、もう空気は夏のものだった。
「…………」
だから玲奈も無論、夏服を着ていた。けどその姿をまだ十夜に見せられていなくて、玲奈は少し不満だった。
「あ、部長さん! こんにちは!」
そんな玲奈に、1人の少女が声をかける。
「……こんにちは、
玲奈はその少女──神坂 黒音に、そう言葉を返す。
「部長さんも、今日はもう帰るんですか?」
「はい。そのつもりです」
「じゃあ途中まで、一緒してもいいですか? 黒音、部長さんに訊きたいことがあるんです」
「それくらい別に、構いません。でも私は……」
「十夜先輩の所に、行くんでしょ? だからその途中まで、ご一緒したいんです!」
黒音は屈託のない笑みで、玲奈を見上げる。
「分かりました。では、一緒に帰りましょうか」
だから玲奈はそう答えて、歩き出す。
十夜が学校を休んでいる間は、部活を休みにすることになった。正直、玲奈やちとせは部活に出ている暇なんてなかったし、それに十夜が部活にこないと、部室の空気はとても重いものになってしまう。
「十夜先輩。早く元気になるといいですね」
「……そうですね」
十夜は、酷い風邪をひいたと嘘をつき、学校を休んでいる。そして、吸血鬼という存在を知らない黒音と揚羽の2人にも、同じことを伝えてあった。
「……それで、神坂 黒音さん。私に訊きたいことというのは、なんですか?」
「あ、そうでした。……黒音、ずっと気になってたんですけど、十夜先輩と部長さんは……お付き合いされてるんですか?」
「────」
黒音の疑問は完全に予想外で、玲奈は驚いたように目を見開く。
「はい、そうですよ。私と彼は、恋人同士なんです」
でもすぐに、胸を張ってそう答える。だって玲奈にとってそれは、偽ることができないくらい大切なことだから。
「やっぱり、そうなんですか。……十夜先輩、ようやく幸せになれたんですね」
玲奈の言葉を聞いて、黒音はとても大人びた顔で笑う。
「……確か貴女は、彼とは幼馴染だったんですよね?」
「はい。……といっても、本当に少しの間だけですけどね。十夜先輩と黒音が、仲が良かったのは……」
「…………」
十夜の過去を知っている玲奈は、それ以上なにも訊かない。……それ以上掘り下げて訊いても、悲しい話になるのは分かっていたから。
「でも黒音にとって、十夜先輩はお兄ちゃんみたいなものなんです。優しくて、甘えさせてくれて、何よりかっこいい。そんな十夜先輩は、ずっと黒音の憧れでした」
「もしかして、貴女は……」
「違いますよ。黒音の想いは、そういうのじゃないです。……でもできることなら、十夜先輩には幸せになって欲しいんです」
「……大丈夫です。私が彼を、誰より幸せにしてみせます」
色んな想いを飲み込んで、玲奈は笑った。だから黒音も、同じように笑った。
「あ、そうだ! ねぇ、部長さん。連絡先とか、交換しませんか? そうすれば部活の連絡とかも、もっとスムーズにできると思うんです!」
「……すみません。せっかくなんですけど、私、スマホ持ってないんです」
「あ、そうなんですか。それじゃ、しょうがないですね」
そう言って黒音は、カバンから取り出したスマホをまたカバンに片付ける。
「あ」
その姿を見て、玲奈はふと気がつく。
「そうだ。スマホがあれば、いつでも話ができるじゃないですか!」
スマホがあれば、自分の家に居る時でも十夜と話すことができる。それにまだ見せられていない夏服姿も、写真に撮って送ることができる。
ずっとスマホや携帯なんかを持っていなかった玲奈は、そんな当たり前のことにも気がつかなかった。
「ねぇ、神坂 黒音さん! 私に、スマホの買い方を教えてもらえませんか?」
「え? ……え? べ、別に構いませんけど」
急に大声を出した玲奈に驚きながらも、黒音はそう言葉を返す。
「じゃあ、今すぐに行きましょう!」
「今すぐに、ですか? まあ、黒音は別に構いませんけど……。でも確か、高校生がスマホを買うには、お父さんかお母さんに付き添ってもらわないと、ダメなはずですよ?」
「そう、なんですか……」
玲奈は落胆したように、肩を落とす。普通の家庭なら、それくらいなんてことはないのだろう。でも玲奈にとって両親の付き添いというハードルは、とても高いものだった。
「あ、でも、回線契約しないのなら、買えると思いますよ? 今はSNSとかで連絡とれるので、Wi-Fi環境さえあれば……」
黒音は落ち込んだ様子の玲奈に、便利なSNSやアプリの話をする。……でも玲奈はいまいち、理解できない。
「……その、私はそういうのに疎いのであまり理解できないんですけど、結局スマホは買えるんですか? それで十夜くんに、写真を送ったり電話したりできるんですか?」
「機種だけなら、多分買えます。それでWi-Fiさえあれば、写真も電話もできます」
「???」
玲奈はやっぱり、理解できない。そして、そうこうしているうちに、いつの間にか十夜の家の前まで来てしまっていた。
「着いてしまいましたね。……その、また今度、スマホのこと教えてもらってもいいですか?」
「はい! 十夜先輩の彼女なら黒音のお姉ちゃんみたいなものなんで、それくらい余裕です!」
「ありがとう、ございます」
無邪気に笑う黒音を見ると、玲奈の頬も自然と弛む。
「あ、そうだ。じゃあ今、私のスマホで十夜先輩に写真を送りませんか?」
「……いいんですか?」
「もちろんですよ!」
黒音はカバンからスマホを取り出して、玲奈の方に向ける。
「ちょ、ちょっと待ってください。写真を撮るなら、髪を直さないと……」
玲奈は急いで櫛と手鏡を取り出して、髪型を整える。
「ちょっと撮るだけなんで、そんなに頑張らなくても大丈夫ですよ?」
「でも十夜くんに見られるのなら、少しでも可愛くしたいんです」
「……ふふっ、乙女ですね。じゃあ準備できたら、言ってください!」
そうして、しばらく時間をかけて髪を整えた玲奈は、覚悟を決めたように黒音の方に視線を向ける。
「もう大丈夫です。なので、お願いできますか?」
「分かりました。じゃあ……って、部長さん。もっと肩の力を抜いた方がいいんですよ? なんだか、七五三みたいになってます」
「そうですか? すみません。こういうのには、あまり慣れていないので」
玲奈は一度深呼吸をして、身体から力を抜く。
「これで、どうですか?」
「お、いい感じです! ……じゃあ、撮りますよー。はい、チーズ!」
そうやって黒音も一緒に写ったりしながら、何枚かの写真を撮った。
「このアプリを使うと、可愛く盛れるんです。部長さんは、どういうのがいいですか?」
「いえ、私はそういうのは分からないので、そのままで構いません」
「……そうですか。でも部長さんは美人さんですから、そのままで十分ですね!」
そして撮った写真を、十夜に送る。
「これで、バッチリです! ……どうします? 返事が来るのを待ちますか?」
「いえ、感想は直接、訊いてみることにします。……その、色々と、ありがとうございました」
「いえいえ、これくらい何てことないです! ……じゃあ黒音はここで、失礼します。十夜先輩に、お大事にって伝えておいてください! それでは!」
黒音はまくし立てるようにそう言って、走ってこの場から立ち去る。玲奈はそんな黒音の後ろ姿を見つめながら、小さく笑みをこぼす。
「元気な、人ですね」
そしていつものように、十夜の家に入る。
「ふふっ。十夜くん、私の夏服姿、可愛いって言ってくれるかな」
……でももしかしたら十夜は、玲奈の写真を見ないかもしれない。だって写真でも玲奈の姿を見たら、十夜の心は凍りついてしまうかもしれないから。
「でも、それならそれで構わない。いろいろ試して、少しずつできることを増やしていく。それが今の私にできる、唯一のことだから」
十夜の部屋の前までやってきた玲奈は、いつも通り十夜の部屋をノックする。
「十夜くん。また、来ましたよ? ……って、あれ? 開いてる……」
ほとんど無意識に触れたドアノブが、何故か回った。
「……入りますね?」
だから玲奈は、覚悟を決めて十夜の部屋に踏み入る。
……けれどその部屋に、十夜の姿はなかった。
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