ごめんなさい。



 そしてあっという間に授業を終えて、いつも通りの放課後。俺は面倒な掃除当番を終えてから、文芸部の部室に顔を出す。


「こんにちは、十夜先輩!」


「遅かったわね? 十夜」


 すると黒音とちとせの2人が、俺のことを出迎えてくれる。……けど部室に居るのは2人だけで、紫浜先輩と水瀬さんの姿がない。


「よう、2人とも。遅くなって悪いな。今日は掃除当番で、さっきまで掃除してたんだよ。……それで、紫浜先輩と水瀬さんはまだなのか?」


「生徒会長は、今日は生徒会の方が忙しくて来れないって言ってたわ」


「じゃあ水瀬さんは、今日は休みか。先輩の方は、何か聞いてるか?」


「あの女は……あの女は今日、風邪で学校を休んでるそうよ。さっき来た生徒会長が、そう言ってた」


「……マジかよ」


 だから先輩、今日は昼休みにいつもの校舎裏に来なかったのか。先輩にも予定があるからと、教室まで訪ねるのはやめておいたけど、まさか風邪で休んでいるなんて思いもしなかった。


「それで黒音たち、十夜先輩が来るのを待ってたんです。リレー小説も部長さんの番でしたし、部長さんがお休みなら今日は部活もお休みするのかなって」


「そうだな。リレー小説は俺が預かってるけど、3人だけで読むのもなんか違うしな」


「それであんたは、あの女のお見舞い行くの?」


「そのつもりだけど、それがどうかしたのか?」


「どうもしないわ。……ただ行くなら、お大事にって伝えておいて」


 ちとせは退屈そうにペンをくるくると回しながら、そう言う。


「あ、黒音からもお願いします。部長さんには、いつもお世話になっているので」


「分かった。ちゃんと伝えておくよ。……じゃあ今日は、もう解散ってことで。2人とも、お疲れ」


「はい! お疲れ様でした、十夜先輩! ちとせ先輩!」


 黒音は元気いっぱいに頭を下げて、部室から出て行く。


「……ねえ、十夜。あの子、あんたの幼馴染なのよね?」


 ちとせは黒音の後ろ姿を眺めなから、そうこぼす。


「そうだけど、黒音がどうかしたのか?」


「別に。ただあの子、変わってるわよね。私と2人きりになっても楽しそうに笑ってる子なんて、中々いないわ」


「……あいつは頼りなさそうに見えて、実は肝が座ってるからな」


 黒音は良くも悪くも、空気が読めない奴だ。だからちとせの人を拒絶する瞳で睨まれても、あんまり気にしたりしないのだろう。


「ま、どうでもいいけどね。それより私も、今日は帰るわ。どうせ今アプローチしても、あんたはあの女が心配で上の空だろうし」


 そしてちとせも、部室から出て行く。だから俺もその背中に続こうかと思ったけど、その前に1つだけやるべきことがあった。


「これだけは、返しておかないとな」


 先輩のお姉さんが書いた、あの白い本。読み終えてからもずっと借りっぱなしだったので、忘れないうちに返しておくことにする。


「というか。どうしてこの本、白いんだ?」


 背表紙や表紙が白いのは、そういうデザインなんだと理解できる。けどタイトルまで白くする理由が、果たしてあるのだろうか?


「……いや、今はそれより、先輩のお見舞いに行かないとな」


 そう呟き、俺も部室を後にする。だから部室には、耳が痛いくらいの静寂だけが取り残された。



 ◇



 そして早足に学校を出て、コンビニでいろいろ買ってから、先輩の家に向かう。


「先輩、心細い思いをしてなきゃいいけど……」


 ただの風邪なら、そこまで心配する必要もないのだろう。……でも先輩は俺と同じで、ほとんど1人で暮らしている。なら看病してくれる人なんて、誰もいないはずだ。そう思うと、やっぱり心配してしまう。


 だから俺は、ほとんど走るようなペースで歩き続けて、あっという間に先輩の家にたどり着く。そしてそのまま、チャイムを鳴らす。するとすぐに、扉ががちゃりと開く。


「来て、くれたんですね」


 先輩は顔を赤くして、いつもよりずっと元気のない声でそう言う。


「はい。風邪って聞いて、お見舞いに来たんです。でも、しんどいのにわざわざ出迎えてもらって申し訳ないです」


「……構いません、それくらい。それより、お見舞いに来てくれて嬉しいです」


「そう言ってもらえるなら……って、玄関で話し込んでちゃダメですね。上がってもいいですか? プリンとかゼリーとか、消化に良いもの買って来たんで」


「ありがとう、ございます。じゃあ、上がって──」


 先輩はそこで、ふらっとよろけて倒れそうになる。だから俺は慌てて、先輩を支える。


「先輩、ふらふらじゃないですか! 肩貸しますから、ベッドまで戻りましょう?」


「……すみません。ちょっと、頭がぼやっとしてしまって」


 そう言って俺の方にしなだれかかってくる先輩の身体は、とても熱い。……どうやら1番辛い時に、訪ねてしまったようだ。


「謝らなください、先輩。それより、ゆっくり部屋に戻りましょう?」


「分かり、ました」


 先輩と一緒に、階段を登る。先輩はふらふらとしていて、とても危うい足取りだ。だから俺は慎重に、先輩をベッドまで送り届ける。


「すみません。お手数をおかけして……」


 先輩はベッドに腰掛けて、息を吐く。


「なに言ってるんですか。というか、先輩は寝ててください。まだ熱、下がってないんでしょ?」


「……そう、ですね」


 先輩は申し訳なさそうな顔で、そのままベッドに横になる。


「何か、食べたいものとかありますか? 一応、色々買って来たんですけど、何か欲しいものがあるなら買って来ますよ?」


「すみません。でも今は、食欲がなくて……」


「そうですか。じゃあせめて、水だけでも飲んでおきましょう。常温のミネラルウォータ、買って来たんで」


 キャップを開けてから、ペットボトルを手渡す。


「ありがとう、ございます」


「いいですよ、これくらい」


 先輩は力なく笑って、少しずつ水を飲む。そんな先輩の姿を見ていると、無性に胸が痛くなる。……けど、俺が焦っても仕方ない。俺は自分にそう言い聞かせて、余計な思考を振り払う。


「……すみません」


 すると先輩は、何故か謝罪の言葉を口にした。


「なんで謝るんですか。先輩が辛い思いをしてるんですから、これくらいは当然ですよ」


「違います。……約束、してたでしょ?」


 先輩は泣きそうな顔で、こちらを見る。


 それで俺は、思い至る。俺たちが結んでいた、とても大切な約束。お互いの過去を伝え合って、それでも恋人になれたら……俺の部屋で先輩を口説く。俺たちはそう、約束していた。


 ……でも先輩が辛い思いをしているのに、そんなことで責めるつもりなんて全くない。


「気にしなくていいですよ。体調を崩したなら、仕方ないです。それより先輩は、自分の身体のことだけ考えてください」


 俺はできるだけ優しくそう笑って、先輩の手を握る。……先輩の手は、とても熱かった。


「……貴方は本当に、優しい人です」


「好きな人……恋人に優しくするのは、当たり前のことですよ。それに先輩は風邪なんですから、いつもの10倍優しくします」


「……ふふっ、そうですか。じゃあ、もう少しだけ……そばに居てくれませんか? 私、子供の頃から風邪なんてひいたことなくて、だから……不安なんです」


 先輩は潤んだ瞳で、こちらを見る。……先輩には悪いけど、凄く可愛いなってそう思ってしまう。


「分かりました。じゃあ今日は、先輩の家に泊まって看病します。……いいですよね?」


「ありが、とう。……大好きです」


「あ、いや、当然ですよ」


 心臓が、ドキドキと跳ねる。いくら恋人になったからといって、急に好きだって言われるとどうしても動揺してしまう。だから俺は、あたふたとしながら先輩の手を握りしめる。



 すると先輩は安心したような表情で、規則正しい寝息を立て始める。


「おやすみなさい、先輩」


 俺はそんな先輩の姿に安堵して、肩から力を抜く。



 そうして、想像もしていなかった夜が幕を開けた。


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