甘えたいです。



 紫浜しのはま 玲奈れなは、夢を見ていた。



 十夜の部屋のベッドに、2人並んで腰掛ける。


「…………」


 ちらりと見た十夜の顔は赤い夕焼けに染まっていて、玲奈は何故かどきりとしてしまう。


「先輩、綺麗な髪してますね」


 十夜は綺麗な白い指で、優しく玲奈の頭を撫でる。


「……ありがとう、ございます」


 玲奈はそんな十夜の言葉と、頭を撫でられた感触がくすぐったくて、照れたように頬を染める。


「先輩、可愛いです」


 十夜は慣れた手つきで玲奈の肩を抱いて、ゆっくりと顔を近づける。痛いくらい強く、心臓が高鳴る。顔が熱くて熱くて、思わず目を瞑ってしまう。



「────」



 すると唇に、柔らかな感触が押しつけられる。玲奈は一瞬、心臓が止まったのかと思うほど驚いてしまう。キスなんてもう何度もしているのに、十夜の仕草がいつもと違うせいで凄く意識してしまう。


「……あ」


 そして気づけば玲奈は、ベッドの上に押し倒されていた。


「……いいですよね? 先輩」


 十夜の吐息が、耳にかかる。玲奈はその感触がくすぐったくて、十夜の背中をぎゅっと強く抱きしめる。



「来て、ください。私も貴方が……」



 しかし、そこから先の言葉は実態を持たず、ゆらゆらと消えていく。



 そうして玲奈は、目を覚ました。



 ◇



「あ、先輩。起きましたか?」


 目を開けると、すぐ側に十夜の姿があった。だから一瞬、さっきのあれは現実だったんじゃないかって思ってしまう。しかし見慣れた天井を見て、すぐに気がつく。


 ここは自分の家で、十夜は風邪をひいてしまった自分の看病をしてくれているのだと。


「……私、どれくらい寝てました?」


「3時間くらい、ですかね」


「その間、貴方はずっと側にいてくれたんですか?」


「そうですよ。だって先輩、言ったじゃないですか。側にいてくれって」


 優し気な表情で笑う十夜を見ていると、玲奈はどうしても思い出してしまう。……さっきまで見ていた、夢の内容を。


「…………」


 本当なら今日、あの夢のように十夜とをしていたはずだ。そう思うと、玲奈の顔は燃えるように熱くなる。


「先輩? まだ、辛いですか?」


 黙り込んでしまった玲奈を心配して、十夜が玲奈の顔を覗き込む。普段ならそれくらい、なんてことはない。けれど今は妙に意識してしまって、玲奈の心臓はドキドキと跳ねる。


「だ、大丈夫です。少し眠れて、だいぶ身体も楽になりました。……それより、その……私、変な寝言とか……言ってませんでした?」


「寝言、ですか。別に何も、言ってなかったと思いますけど……。もしかして、変な夢でも見たんですか?」


 からかうような十夜の言葉に、玲奈の顔は更に熱くなる。


「ち、違います! 私は別に、変な夢なんて見てません!」


 玲奈は風邪をひいているのも忘れて、ついムキになってしまう。十夜はそんな玲奈の様子を見て、たしなめるように口を開く。


「分かってますよ。すみません、変なこと言って。……それより先輩、お腹空きません?」


 そう問われて、今日は朝から何も食べていなかったことを思い出す。


 昨日の夜は、遅くまで十夜と話をした。そして十夜が帰った後も中々眠ることができず、ずっと悶々とした時間を過ごしていた。


 とても楽しかった、デート。十夜の秘密に、吸血鬼の冷たい心。それに姉のことと、何より……。



 ようやく十夜と、恋人になれた。



 玲奈はそれがとても嬉しくて、でも同時にそれをなくしてしまうのが何より怖くて、どうしても落ち着くことができなかった。


 だから悶々としながら、ニヤニヤしたり不安になったりしていると、いつのまにか朝になっていた。そして同時に、頭が痛くて身体がとても重いことに気がついた。


 玲奈はそれで、自分が風邪をひいているのだと気がついた。だからすぐに学校に連絡を入れて、あとは十夜が来るまでベッドの中で目を瞑っていた。



 ……食事なんて、一切とらずに。



「……私、お腹……減ってます」


 当たり前のことなのに何故か凄く照れ臭くて、玲奈は視線を明後日の方に向ける。


「分かりました。じゃあ何か食べたいものとか、ありますか?」


 しかし十夜は気にした風もなく、そう尋ねる。


「あったかいお粥が、食べたいです。……それと、桃缶」


「分かりました。それじゃ今から、準備して来ます」


「……その、お手数をおかけして、申し訳ないです」


「謝らないでください。だって俺たち、もう恋人なんですよ? だから先輩は、思いっきり俺に甘えてください」


「ありがとう、ございます……」


 玲奈の胸に、ぎゅっとした痛みが走る。今すぐに十夜に抱きついて、彼を押し倒してしまいたい。それくらい十夜の言葉が嬉しくて、何より十夜のことが愛おしかった。


 ……けど、今そんなことをしてしまうと、十夜に風邪をうつしてしまうかもしれない。それにあんまりはしたない真似をすると、十夜に引かれてしまうかもしれない。



 だから玲奈は熱い欲望を必死に抑え込んで、十夜が部屋から出ていくのを見送る。


「ふぅ」


 そして十夜の姿が見えなくなってから、大きく大きく息を吐く。熱はもうだいぶ下がっているようだが、顔が熱くて仕方なかった。


「それもこれも、変な夢を見たせいです」


 でも熱が下がれば、すぐにでもあの光景が現実になるかもしれない。……いやきっと、そうなるはずだ。そう思うと、どうしても落ち着くことができなかった。


「……今は余計なことを考えるのは、辞めておきましょう」


 そう呟いて、できるだけ何も考えないようにぼーっと天井を眺める。熱はだいぶ下がったようだが、それでもまだまだ本調子とは言えない。



 だからそうやって1人でいると、なんだか少し寂しくなってしまう。



「……もう少し、甘えてみたい」


 十夜は先ほど、甘えていいと言ってくれた。なら風邪をうつさない範囲でなら、甘えてみてもいいかもしれない。だって、せっかく恋人になれたんだ。なら、今までできなかったことをしてみたい。


「それに、私が彼に甘えたら、彼も私に甘えてくれるようになるかもしれない」


 そう思うと、気だるい身体を忘れてしまうくらい嬉しくなる。それくらい十夜が自分に甘えてくれる姿が、愛おしかった。


「先輩、お粥できましたよ。熱いんで、ゆっくり食べてくださいね?」


 するとちょうど、お盆にお粥と桃缶を乗せた十夜が部屋に戻ってくる。だから玲奈は胸をドキドキさせながら、思い切ってその言葉を口にしてみた。


「私、まだ身体が重いんです。だから、その……貴方が、食べさせてくれませんか?」


「……え?」


 十夜は驚いたように、目を見開く。けど玲奈は、今更引き下がったりしない。


「お願いします。貴方に、食べさせて欲しいんです」


「……分かりました。じゃあ、今日は俺が食べさせてあげますね?」


 十夜は軽い笑みを浮かべて、お盆をテーブルの上に置く。そして蓮華ですくったお粥を、ふーふーとしてから玲奈の方に差し出す。


「はい、先輩。あーん」


「……あーん」


 自分で言ったくせに玲奈はとても照れ臭くて、顔が赤くなってしまう。……なんだか今日は照れてばかりだと、玲奈は心の中でため息をこぼす。


「あ、美味しい。これ、貴方が作ったんですか?」


「そうですよ。先輩が寝ている間に、ネットでレシピとかいろいろ調べておいたんですよ」


「……そうなんですか。貴方は本当に、優しい人ですね。……大好き」


「そ、そうですか? ……でも急に好きって言われると、照れますね」


「それが、私がいつも感じていた感情です。ふふっ。でも、照れてる貴方は可愛いですね」


 玲奈はからかうように、笑みを浮かべる。


「……先輩が元気そうで、嬉しいですよ。ほら、あーん」


 十夜はわざとらしく拗ねたような声を出して、また玲奈の方に蓮華を差し出す。


 そんな風に、イチャイチャしながら食事をしていると、あっという間にお粥と桃缶を食べ終えてしまった。


「……そういえば貴方は、食事を済ませたんですか?」


「はい。先輩が眠っている間に、買っておいたお握りを食べておきました」


「それだけで、足りるんですか? 私に気を遣ってくれるのは嬉しいですけど、貴方まで体調を崩さないでくださいね?」


「大丈夫ですよ。俺は身体だけは丈夫なんで。……それより先輩、他に何かして欲しいこととかないですか?」


「…………」


 そう問われて、玲奈は少し考える。……けど考えるまでもなく、十夜にして欲しいことなんて山のようにあった。


 今日はずっと、側にいて欲しい。また手を握って欲しいし、頭も撫でてもらいたい。でもあんまり近づくと、風邪がうつるかもしれない。……しかしそれでも、今日は離れないで欲しかった。


 それに、1つ。ずっと気になっていることがあった。


「じゃあ1つ、頼んでもいいですか?」


「なんでも言ってください」


 十夜は真っ直ぐな瞳で、玲奈を見る。だから玲奈は照れ臭く思いながらも、意を決してその言葉を口にした。







「……じゃあ、汗をかいてしまったので、身体を拭いてもらってもいいですか?」




「……え?」


 玲奈と十夜の心臓は、同じようにドキドキと跳ねる。だからまだまだ、長い夜は明けない。


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