好きですよ。



 観覧車はゆっくりと地面を離れて、茜の空を登っていく。



 俺と先輩は隣同士に腰掛けて、腕を組みながら遠くの街並みを眺める。燃えるような茜に染まった、幻想的な街並み。それはとても綺麗だけど、同時にどこか寂しさを感じさせる。


 まるで風に揺れる秋の落葉のように、暖かな色合いの中に冷たい冬を見てしまう。



「とても、綺麗ですね。まるで街全体が赤いお花畑のようで、見てるだけでドキドキします」


 先輩は遠い瞳で 茜色の街を見つめる。


「ですね。本当に……綺麗だ」


 俺もそんな先輩と同じように、遠い空に視線を向ける。


「今日のデート、本当に楽しかったです。ありがとうございました」


「楽しんでもらえたなら、俺も嬉しいです。……でも、お礼なんていらないですよ? 俺だって今日は凄く楽しかったし、何より俺が頼んだことですから。デートしてくださいって」


「そうでしたね。でもそれも、貴方が文芸部の部員を集めてくれたお礼です。だから、ありがとうございます。本当に、貴方が居てくれてよかった……」


 先輩は甘えるように、俺の方にしなだれかかる。そしてそのまま、俺の身体をぎゅっと強く抱きしめる。……だからいつものあの甘い香りが鼻腔をくすぐって、少しドキリとしてしまう。


「今日は甘えん坊ですね、先輩。でも俺も、先輩に会えてよかったです。貴女に会えたから、俺は……変われたんです」


「……そうですか。そう言ってもらえると、嬉しいです。……ふふっ。貴方の役に立てていると思うと、胸がぎゅって熱くなります」


 先輩はそう言って、俺の胸に顔を埋める。だから俺はそんな先輩の背中を、優しく撫でる。


「先輩、なんだか猫みたいで凄く可愛いです。……でもせっかくだから、外の景色も見ませんか? もうすぐ頂上なんで、1番綺麗な夕焼けが……」


 そこでふと、懐かしいことを思い出して言葉を止める。


「……どうかしましたか? もしかして、高いところが苦手だったりします?」


「いや、そうじゃないです。ただ、思い出したんですよ。昔……いや、まだ1ヶ月くらいしか経ってないのか。俺、先輩を屋上に呼び出したじゃないですか。いつものように、告白するために」


「そうでしたね。なんだか凄く、懐かしいです」


「あれから1ヶ月くらいしか経ってないのに、凄く昔に感じますよね」


 思い出すと、思わず苦笑してしまう。あれから本当に色んなことがあって、だから色んなことが変わった。……でもきっと1番変わったのは、先輩なのだろう。あの頃は先輩がこんな風に甘えてくれるなんて、思いもしなかった。


「そしてその時も俺は、先輩に振られました。……それで確か最後に、先輩に尋ねたんです。夕焼けは好きですか? って。先輩はそれに、俺と同じくらい大嫌いだって答えました」


「……そういえば、そんなこと言いましたね、私。ごめんなさい。貴方を傷つけるつもりじゃ、なかったんです。でもあの時の私は、ただ……」


「分かってますよ、先輩。別に俺も、先輩に謝って欲しくて言ってるわけじゃないんです。……ただ、気になったんですよ。先輩は今も、この夕焼けが大嫌いなのかなって」


 俺はそこで、目が痛くなるくらい真っ赤な夕焼けに視線を向ける。すると先輩も顔を上げて、俺に倣うように遠い茜を眺める。


「……私、夕焼けはあまり好きじゃなかったんです。夕焼けが作り出す長い影は、私の孤独を浮き彫りにするようで、何だか酷く……胸が痛くなるから」


 でも、と先輩は言葉を続ける。


「でも大嫌いなんて、嘘です。……そう。私はずっとずっと、嘘ばかりついてきました。夕焼けはとても寂しくて、見ていると胸が痛くなります。でも同時にそれはとても綺麗で……。だから私、本当はずっと……」


 先輩が、俺を見る。真っ直ぐな瞳で、赤く染まった頬で、ただ俺だけを見つめる。だから俺の心臓は、痛いくらいに跳ねて、先輩の瞳から目を逸らせなくなる。



 すると先輩は、不意に笑った。



 その笑顔は、ずっと被っていた仮面が壊れたような笑みで、だから俺は初めて……先輩の素顔を見たような気がした。




 ああ、それはなんて、綺麗な。




 ──茜の空で、ようやく俺の夢が叶った。





「──本当は私、好きなんです、夕焼け。……貴方と、同じくらいに」




 風が、吹いた。だからぐらぐらと、観覧車が揺れる。でも俺たちは揺らぐことなく、互い瞳を見つめ合う。


「…………」


「…………」


 ちょうど頂上に登った観覧車に、一際強い日差しが差し込む。


 でも、それでも俺たちは、揺らがない。だってようやく、聞けた。ずっとずっと聞きたかった言葉を、ようやく耳にすることができた。俺はこの人のこの言葉が聞きたくて、今までずっと走ってきた。


 だから気づけば俺は、先輩を抱きしめていた。今までで1番強く、もう絶対に離さないと言うように、強く強く愛しい人を抱きしめる。


「俺も貴女が好きです、紫浜先輩。誰よりもずっと、貴方が好きでした」


「……はい。知ってます。ずっとずっと前から、知ってますよ。それくらい……」


 キスをする。一度じゃ足りないから、何度も何度もキスをする。世界なんて見えなくなるくらい、必死になって互いのことを求め合う。


 頭が痺れて、身体から力が抜けて、ゆっくりと心が幸福に染まっていく。



「ずっと、こうしていられればいいのに……」



 でも先輩は、まるで叶わないことのように、そう言った。


「大丈夫ですよ、先輩。どんなことがあっても、俺は絶対にこの手を離しません。……約束します」


「……そうですね。うん。では私も、この手を離さないと約束します。……ふふっ。また約束が、増えましたね?」


「これからもっと、増えますよ。たくさんたくさん約束して、その分だけ先輩を笑顔にしてみせます」


「……ありがとう。ありがとう、ございます」


 何故だか、泣きそうになる。先輩の瞳も、どうしてだか潤んでいる。けど俺たちは決して涙を流さず、強く強く互いの身体を抱きしめ合う。



 そして気づけば茜の空は夜の闇に飲まれていて、俺たちは地面へと降り立つ。



「私の家に、来てください。そこで話をしましょう。お互いの、秘密について……」


「……分かりました。じゃあ、お邪魔させてもらいます」


 俺たちはまた腕を組んで、ゆっくりと歩き出す。


「今日のデート、楽しかったです。人生で1番、幸せな時間でした」


「俺も、同じです。だからまた来ましょうね? 遊園地」


「……はい。それも、約束です」


 華やかにライトアップされた遊園地。それはとても綺麗な光景で、思わず足を止めたくなる。もう少しだけ、ここにいましょう。過去の話なんて、また今度でいいじゃないですか。



 そんな言葉が、胸をよぎる。けど決して、足は止めない。


「…………」


 だって今足を止めると、先輩が居なくなってしまいそうだったから。……そう。それくらい今の幸福は、儚く不確かなものだった。だから俺たちは、知らなければならない。互いの、秘密を……。



 そうじゃなきゃきっとどこかで、過去に飲まれてしまうだろう。



 だから俺たちは、ただ歩く。華やかな遊園地に背を向けて、真っ白な満月へと……。




 そうして楽しい楽しいデートは終わりを告げて、冷たく長い夜が始まった。


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