好き。
燃えるような赤い夕焼けが、花が散った桜の木々を赤く染める。その景色は何だか少し寂しげで、俺は小さく息を吐く。
「…………」
けれど今は、そんな感傷に浸っている場合ではない。だから俺は、覚悟を決めるようにちとせに視線を向けて、その言葉を口にした。
「お前に、伝えなきゃならないことがあるんだ」
「……そう」
ちとせはそんな俺の言葉を聞いて、ため息のような言葉を返す。そして俺が続く言葉を口にする前に、静かに言葉を告げる。
「ねぇ、十夜。今日のデート、楽しかった?」
「ああ、楽しかったよ」
「私もよ。私も、楽しかった。あんたと色んなところに行って、一緒に笑い合って、そして……こうやって腕を組めて、本当に楽しかった。……ちょっとだけ、胸が痛くなるようなこともあったけど」
ちとせはぎゅっと強く、俺の腕を抱きしめる。
「……あんたが言おうとしてること、何となく分かるわ。どうせあの女のことが好きだとか、そんなことを言うつもりなんでしょ?」
「……どうして、分かったんだよ」
「バカね。私が何年、あんたのことを見てきたと思ってるのよ。あんたの考えることなんて、全部お見通しなの。……でも無駄よ? 私は何を言われても、諦めるつもりなんてないから」
ちとせはそこで、俺を見る。紅い真っ直ぐな、綺麗な瞳。その瞳は決して揺れることなく、ただ真っ直ぐに俺だけを見つめる。
「でもさ、ちとせ。だからっていつまでも答えを保留にしても、意味なんてないだろ? だから、俺は言うよ。お前にとっては聞きたくない言葉で、言っても意味なんてないのかもしれない。でも俺は、ここではっきりさせようと思う」
「……そ。じゃあ、好きにすれば」
ちとせは俺から手を離し、試すように俺を見る。だから俺はゆっくりと立ち上がり、深く息を吸う。
そして、迷うことなくその言葉を口にした。
「ちとせ。俺はお前の気持ちには、応えられない。だって俺はお前じゃなくて、紫浜先輩が好きだから。だから、ごめん」
風が、吹く。まるで残った冬の空気が一斉に押し寄せてきたような、冷たい冷たい風。そんな風が俺とちとせの間を吹き抜けて、ざあざあと木々が悲鳴のような音を立てる。
「……ねえ、十夜。覚えてる? あんたと私が、初めて会った時のこと。……あの日も今日みたいに真っ赤に染まった公園で、私は1人空を見上げていた。家にも学校にも居場所がなかった私には、そこが唯一の居場所だったから。……でもその日は、あんたがやって来たの」
「…………」
ちとせの言葉で、俺も思い出す。あの真っ赤な夕焼けと、真っ白な少女のことを。
学校にも家にも居場所がなかったのは、俺も同じだった。だから俺はそんな現実から逃げるように、静かな場所を探していた。そして見つけたのが、とある公園のベンチ。そこはまるで街に空いた穴のように、潔癖なまでの静けさに包まれていた。
けれどそこには、先客がいた。
白い髪に、紅い瞳。長い手足に、透き通るような白い肌。そして他人を拒絶する、不機嫌そうな表情。その少女はまるで一枚の絵画のように美しく、でもとても寂し気だった。
「いきなりやって来たあんたに、私はこう言った。『なに見てるのよ』って。でもあんたはそんな私に臆することなく、こう言ったの。『悪い。でも紅い瞳が、綺麗だなっと思って』」
「思い返すと、キザな台詞だな」
「かもね。でも私はその時から、あんたに惚れてたんだと思う。だってそう言ったあんたの瞳が、私なんかよりずっと……綺麗だったから」
俺が綺麗だと言ったのは、絵画を見た感想のような意味でしかない。ちとせのあり方に圧倒されて、魅せられて、思わず想いが口からこぼれた。
……だからそれは、恋愛感情ではない。
「ねえ、十夜」
ちとせは軽やかな動作で立ち上がり、俺の名を呼ぶ。そして先程の俺の拒絶の言葉なんて聞こえてないかのように、楽し気な声を響かせる。
「私は、あんたが好き。その想いは、あんたに拒絶されたからって消えたりしない。だからきっと、私は一生あんたが好きなんだと思う。重くて気持ち悪いって思うかもしれないけど、それでも私は胸を張ってそう言える。だって私は……」
そこでまた、風が吹く。今度は春の暖かな風が、優しく俺とちとせの頬を撫でる。そしてまた、ざあざあと木々が揺れる。それはさっきとほとんど同じ音のはずなのに、何故かとても温かな笑い声のように聴こえた。
「──だって私は、あんたが好きだから」
そしてその声も先程と同じもののはずなのに、何故かずきりと胸に響いた。……しかしそれでも、俺は言う。
「なあ、ちとせ」
「なに?」
「それでもやっぱり、俺は紫浜先輩が好きだ」
「知ってる。でも、私が絶対に変えてみせる」
「……変わらねーよ」
「ううん、変わる」
ちとせは簡単にそう言い切る。……今日のちとせは、どこまでも真っ直ぐだ。だから何故か、こっちが曲がっているような気にさせられる。
「短いスカートを履いてきたら、あんたは私の脚をちらちらと見てた。私の小さな胸でもぎゅって押しつけると、あんたは少し照れてくれた。頑張っておしゃれして真っ直ぐに想いを伝えれば、あんたはちゃんと私を見てくれた。だからきっと、変えられる。私ならできるって、そう思えた」
「……そうかよ。でも俺は、変わらねーよ。俺の想いだって、そんなに簡単じゃないんだ」
「じゃあ、また勝負ね。どっちが諦めずに、ずっと好きでいられるか。言っとくけど、恋愛は頭脳戦じゃなくて想いの強さなのよ? だから絶対に、私が勝つわ」
「言ってろ」
俺はもう何年も、ちとせと一緒に過ごしてきた。でもどうやら、彼女のことを全く理解できていなかったようだ。
お前とは、付き合えない。
そうはっきりと伝えると、ちとせは泣いてしまうだろうと思っていた。拒絶される前に拒絶し続けてきた彼女の心は、とても打たれ弱いはずだから。だから最近のちとせには、どこか陰りがあった。
でもちとせは、晴れやかな顔で笑っている。それはもしかしたら、ただの強がりなのかもしれない。けど、それでも確かに、彼女は笑っている。
「日が暮れちゃったわね」
「……そうだな」
気づけが辺りは、夜の闇に包まれていた。だから今日はもう終わりで、結局、目的が達せられたとは言えない。けど今日は、ちとせの心を知るいい機会だった。これまで通り誤魔化し続けていたら分からなかったことを、たくさん知ることができた。
だからちとせとの関係も、一歩前に進んだのだろう。……それはきっと、彼女が望む方向ではないが。
「じゃあ、そろそろ帰るか」
「ううん、まだよ。私はもう一つ、あんたに話しておきたいことがあるの」
「もう遅いから、また今度じゃダメか?」
「ダメ。だって、約束したでしょ? 今日は1日、私に付き合うって。だからまだまだ、付き合ってもらうわよ。だってまだ、今日は終わってないんだから」
「……分かったよ。それで、何の話だ?」
また2人で並んで、ベンチに腰掛ける。するとちとせは先程とは違う冷たい声で、囁くようにその名を告げる。
「紫浜 玲奈」
「え?」
「あの女……紫浜 玲奈。私、知ってるのよ。あんたが知らない、彼女の秘密を。だから少しだけ、彼女の話をしましょう?」
真っ白な月が見下ろす、とても静かな夜。ちとせはそんな遠い夜の世界を見つめながら、ゆっくりと話し出した。
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