教えてください。



「ここが貴方の部屋ですか。……意外と、片付いてますね」


 先輩はそう言って、軽く俺の部屋を見渡す。


「…………」


 俺はそんな先輩を見つめながら、思考を切り替える為に小さく息を吐く。


 先輩が悩みを聞いてくれと言ってから、まずは2人で洗い物を済ませた。そしてひと息ついてから、先輩を俺の部屋に案内した。



 ……正直に言うと、俺は少し緊張していた。



 別に見られて困るようなものなんて、置いてない。でも先輩が俺の部屋にいると思うと、心臓が勝手にドキドキと跳ねる。


「それじゃあ、その……ここに座ってもいいですか?」


 先輩は窺うような瞳で、俺のベッドを指さす


「……別にいいですけど、座布団とか用意しますよ?」


「いえ、できればここに座りたいんです。……勿論、貴方さえよければですけど……」


「俺は別に、問題ないです。……じゃあ先輩は、俺のベッドに座ってください」


 そう言って俺は、いつもの椅子に腰掛ける。


「それで、紫浜先輩。なにか相談したいことが、あるんですよね?」


「はい。実は貴方に、聞いて欲しい話があるんです。……でもその前に一つ、頼みたいことがあるのですが……構いませんか?」


「いいですよ。先輩の頼みなら、俺は何だって聞きます」


 俺は真っ直ぐ、先輩の瞳を見つめる。すると先輩はそんな俺の視線から逃げるように、足元に視線を逃す。そして頬を赤くしながら、照れたように言葉を告げる。


「……その、前みたいに……膝枕させてもらえませんか?」


「……膝枕、ですか。俺としては何の問題もないですけど、でもそれじゃちょっと話し難くないですか?」


「いえ。そんなことないです。寧ろその方が、話しやすいです。……だから、お願いできますか?」


 先輩は顔を赤くして、上目遣いでこちらを見る。……そんな顔をされると、俺に断ることなんてできない。だから俺はゆっくりと立ち上がり、スカートの上でギュッと手を握り込んだ先輩の方に近づく。


「……じゃあ頭、乗せますよ?」


「どうぞ。その……今日は体育は無かったので、大丈夫です」


「別に俺は……いえ、分かりました。じゃあ失礼します」


 俺は確認するように頷いてから、先輩の太ももに頭をのせる。


「…………」


 ……先輩の太ももは、冷たくてとても柔らかい。そしていつものあの甘い香りが漂ってきて、少しドキドキしてしまう。


「ふふっ」


「……どうして笑うんですか? 先輩」


「だって貴方、普段は私よりずっとしっかりしてるのに、こうするとなんだか子供みたいで……凄く可愛い」


 先輩は楽しそうにそう言って、優しく俺の頭を撫でる。


「……からかわないでくださいよ、先輩。いやでも別に俺、しっかりなんてしてませんよ?」


「そうですか? 私の目から見ると、貴方は随分と大人びているように見えましたけど」


「そう言ってもらえるのは嬉しいですけど、でもそれはただの買い被りですよ。だって俺、ずっと思ってましたもん。こうやって先輩に膝枕してもらいながら、甘えてみたいなって。だから今、凄く幸せです」


「……貴方はまたそうやって……。いえ、いいです。私の膝枕くらいでそんなに喜んで頂けるのなら、私もちょっと嬉しいです」


 先輩はそのまま、優しく俺の頭を撫で続ける。その感触はとても心地よくて、でも少しだけくすぐったい。だから気づけば俺は、うとうととしてしまう。


 ……けど今は、先輩の悩みを聞く為の時間だ。なら絶対に、眠るわけにはいかない。俺は心の中でそう気合を入れて、眠気に飲まれる前に口を開く。


「先輩。それで──」


 けどその途中で、無理やり言葉を止める。……だってちらりと見えた先輩の左手が、怯えるようにぷるぷると震えていた。


 それで俺は、ふと思う。もしかして先輩は、とても言いづらいことを、話そうとしてるじゃないかって。


 だからこんな風に膝枕したり、からかうようなことを言ったのかもしれない。そうすることで、少しでも緊張を紛らわす為に。……なら今は、余計なことを言うべきではないだろう。



 俺はそう考えて、先輩が口を開くのを黙って待つ。


「…………」


「…………」


 そして、どれくらいの沈黙が流れたのだろう? 先輩の優しくて温かで、でもどこか冷たい感触に安心感を覚え始めた頃。先輩はゆっくりと、口を開く。


「……私には、姉が居たんです。勉強も運動もできて、優しくてかっこいい……自慢の姉が……」


 正面を向いているので、先輩の表情は窺えない。けど先輩が悲しい表情をしているのは、なんとなく分かる。


「……でもそんな姉は、私の自慢の姉さんは、私のせいで……死んでしまったんです。冷血吸血鬼が、冷たい冷たい私の血が、姉さんを殺したんです」


 冷血吸血鬼が引き起こした、吸血鬼事件。数年前に、そんな事件が確かにあった。……けどそれは、人死にが出るような事件では無く、子供が作った都市伝説のような話だったはずだ。


「…………」


 だから先輩の話は、凄く気になる。……けど今は余計なことは言わず、ただ黙って先輩の話に耳を傾ける。


「貴方も知っているでしょう? 私が冷血吸血鬼なんて、物騒なあだ名で呼ばれているのを。……無論、私は吸血鬼なんかじゃありません。……けど私は、普通じゃないんです。私は、化け物なんです。だから私のせいで、姉さんが……死んでしまったんです……!」


「……大丈夫ですよ、先輩。だから少し、落ち着いてください」


 俺はそこで、先輩の手を優しく握りしめる。……だってそうしないと、先輩が壊れてしまいそうに見えたから。だから俺は、ただただ優しく先輩の手を握り続ける。


 すると先輩はそんな俺の手を強く強く握り返して、そのまま言葉を続ける。


「……すみません。少し取り乱してしまいました。……本当はこんなことまで話すつもりは無かったのに、貴方が優しくて……つい、甘えてしまいました」


「大丈夫ですよ? 先輩。先輩がどんな話をしたとしても、俺はずっとそばに居ます。だから、安心してください」


「……本当に貴方は、ずるい人です。……でも、それじゃダメなんです」


 先輩はそこで、身体から熱を抜くように大きく息を吐く。


「私は、決めてるんです。姉さんを殺してしまった私は、ずっとずっと1人で生き続けなきゃいけないって。……だって私は、姉さんの幸せを奪ってしまった。なのに私だけが幸福になるなんて、そんなの許されるわけない。……そう覚悟を決めていたのに、貴方は……」


 貴方はいくら拒絶しても、私から離れてくれないんです。先輩はそう、小さくこぼす。


「そしていつの間にか、私もそんな貴方に惹かれていた。……1人で生きるって、決めたのに。誰とも関わっちゃダメだって、分かってるのに。それでも貴方に優しく抱きしめられると、離れたくないって思ってしまうんです……」


「先輩……」


「私は、酷い女です。貴方の気持ちに応えるつもりなんてないのに、貴方の優しさに甘えていた。今日だけはいい。明日はもっと強く、拒絶する。そんな風に言い訳を重ねて、私は貴方を使って……自分の孤独を埋めていた」


「……そんなに自分を卑下しないでください、先輩。俺は例えどんな理由であれ、先輩と話せるだけで嬉しいんです。……だから先輩が俺の想いに応えてくれなくても、別にいいんです」


 それは真っ赤な、嘘だった。俺は本当は、何より先輩に愛して欲しいと思っている。……けど、今はそう言わずにはいられなかった。


「ダメなんです、それじゃ。これ以上貴方と居ると、もっともっと……欲しくなる。我慢できなくなる。……ううん。私はもうとっくに、我慢なんてできなくなってる」


「いいんですよ、先輩。我慢なんてしなくて。俺はどんな先輩でも、受け入れます。だから……そんな悲しそうな顔、しないでください」


 俺は先輩の膝から頭を起こし、真っ直ぐに先輩の瞳を見つめる。


「…………」


 先輩の瞳は、揺れていた。そして泣きそうなくらい、潤んでいた。だから俺は……先輩を抱きしめた。少しでも彼女の孤独が和らぐよう、強く強く先輩を抱きしめる。


「……温かい。貴方に抱きしめられると、全部全部……忘れてしまいそうになる……。でもそれじゃ、ダメなんです。私は1人で生きなきゃ、ダメなんです……」


「俺は嫌ですよ、先輩。先輩にどんな事情があったとしても、絶対に先輩を1人にはしません」


「……優しいですね。……でも貴方だって、本当の私を知ったら……きっと嫌いになります。いえ、例えそうじゃ無くても……ダメなんです。……だから、私の相談したいことは一つだけ……」


 先輩は身体から力を抜いて、そのまま俺にしなだれかかる。そして泣くような声で、その言葉を口にした。



「どうすれば、1人で生きられますか? 何もできなくて、文芸部も1人じゃ守れない弱い私は……どうすれば1人で生きられると思いますか? それを貴方に、教えて欲しいんです。……お願い、だから……」



 先輩のその言葉はどうしようもない悲しみに染まっていて、だから俺は何の言葉も返すことができなかった。


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