よかったね!



 そして、金曜日。土曜と日曜は、ほとんどの生徒が登校してこないことを考えると、実質最終日となったその日の放課後。俺は、最後の手段を取ることにした。


「……ふぅ」


 軽く息を吐いて、覚悟を決める。そしてそのまま、目の前の扉をノックする。


「はいはーい。開いてまーすよー」


 するとすぐにそんな明るい声が響いて、俺はその部屋──生徒会室に足を踏み入れる。


「失礼します」


「どうぞ……って、未鏡 十夜くんじゃん! どうしたの? ……あ、もしかして、実は密かに行われている生徒会長の秘密のお悩み相談室に、来てくれたとか?」


 生徒会長の水瀬みなせ 揚羽あげはさんは、そう言って綺麗な金髪をゆらゆらと揺らす。


「ささっ。座って、座って」


 そして俺が何か言葉を返す前に、翡翠色の瞳をキラキラと輝かせながら、俺をソファの方へと誘う。


「すみません、水瀬生徒会長。でも俺は、何か相談事があって来わけじゃないんです」


「……ほうほう。なら、どんな用があってここに来たのかな?」


「文芸部のことで、聞きたいことと頼みたいことがあって来たんです。だから少し、お時間いいですか?」


「そっか。……でもそうだとしても、相談事は相談事だよね? ならとりあえず、座りなよ。お姉さんが、どんな悩みでも聞いてあげるよ」


 生徒会長はそう言って、ふわっとまるで綿毛のように軽やかにソファに腰掛ける。だから俺も姿勢を正して、その正面に腰掛ける。


「さて、一応自己紹介しておこうか。私は3年2組の、水瀬 揚羽。この学校の生徒会長をやらせてもらっている、可愛い美少女だ。よろしくね、未鏡 十夜くん」


「俺は、2年2組の未鏡 十夜と言います。よろしくお願いします、水瀬生徒会長」


「ふふっ。よろしくねー」


 水瀬生徒会長はにこりと笑って、俺の方に右手を差し出す。だから俺もできる限りの笑顔を作って、その手を握り返す。


 ……この人はどうして俺の名前を知っているんだ? とか。可愛いと美少女って、意味被ってるよな? とか。色々と言いたいことはある。けど俺はその全てを飲み込んで、ただ笑みを浮かべ続ける。


「それでさ、十夜くん。もしかして君は、文芸部の助命嘆願でもしに来たのかな?」


「……当たらずも遠からずって、ところですね。それよりまずは聞きたいんですけど、どうして急に文芸部を廃部にするなんて言い出したんですか?」


 俺の問いを聞いて、水瀬生徒会長はころころとまるで猫のように笑いながら、楽しそうに言葉を告げる。


「気に入らないから」


「……水瀬生徒会長は、紫浜先輩のことが嫌いなんですか?」


「いや、違う違う。私は彼女のこと、好きだよ? 綺麗だし、可愛いしね。……でも私が言いたいのはそういうことじゃなくて、文芸部はずっと見逃されてたってことなんだよ」


「……どういう意味ですか? それ」


「言葉の通りだよ。……冷血吸血鬼、紫浜 玲奈。彼女が居るから、文芸部はずっと見逃されてきた。部員も足りない。活動もしてない。でも彼女が居るから、あそこに手を出すのは辞めておこう。そんな風に、文芸部はずっと守られてきたんだよ」


 水瀬生徒会長はそこで一度、息を吐く。その一瞬、彼女の瞳に紫浜先輩とはまた違う冷たさを感じた。


「……だから、文芸部を廃部にすると」


「うん。紫浜さんは、色んな噂が立てられて皆んなから怖がられてる。それに彼女のお姉さんの影響が強くて、ずっと文芸部には手を出せなかったんだよねー」


「紫浜先輩の、お姉さんですか……」


「そう。私は会ったことも話したこともないけど、その人が凄い人だったみたいでね。文芸部を廃部にしようって私が言うと、決まって先輩たちに止められたんだよ。……でもそんなうるさい先輩も、やっと卒業してくれた。だからそろそろいいかなっと思って、文芸部を廃部にすることにしたんだ」


「…………」


 彼女の言い分は、きっと正しいのだろう。活動もしていなくて部員もいない部活を、廃部にする。それはどこも、間違っていない。それに彼女は1週間とはいえ、部員を集める猶予までくれた。ならこれ以上、彼女に何かを頼むのは厚かましい行為だろう。


 ……けどだからって俺も、諦めるわけにはいかない。


「事情は、理解しました。……でもそれを分かった上で、頼みたいことがあります。もう少しだけ、廃部までの猶予をもらえませんか? お願いします」


 俺はそう言って、立ち上がり頭を下げる。


「君が頭を下げるんだね。……紫浜さんじゃなくて」


「先輩は今も、ビラ配りしてくれてます。だから俺は、その間に貴女に頭を下げに来ました」


「ふーん。……でもさ、こう言っちゃなんだけど、君ならあと1人くらい、どうとでもなるんじゃないの? ……中学の時の君の噂、聞いたよ? あれがほんとなら、部員くらいどうにかできると思うんだよね」


「……そういう手段を取りたくないから、俺は貴女に頭を下げに来たんです。水瀬生徒会長」


 ……そう言いつつも、実はそれ自体が目的では無かったりする。だって、もし仮に廃部までの期間を延長してもらえたとしても、きっと部員を見つけることはできないだろう。



 ……だから俺は、廃部までの期間延長とは別の目的を持って、この場所を訪れた。



「……あの人に、聞いてきたわけじゃないんだね」


 彼女は唐突に、そんな言葉をこぼす。けれど俺がその言葉の意味を尋ねる前に、続く言葉を口にする。


「分かった。君の気持ちは理解したよ、十夜くん。でも残念なことにね、私は不正とかズルとかが何より嫌いなんだ。だから、ごめんね? 君たちだけを特別扱いすることは、できないよ」


「……そうですか。分かりました。無理言って、すみません」


「おや。意外と物分かりがいいんだね。わざわざ私に直談判しにきたのだから、もっと粘るかと思って期待してたのに」


「……期待に応えられるかどうかは分かりませんが、もう一つだけお願いがあるんですけど、構いませんか?」


 俺は真っ直ぐに、水瀬生徒会長の瞳を見つめる。すると彼女は期待するような眼差しで、俺の瞳を見つめ返す。だから俺はそんな彼女の期待に応えられるよう、本当の目的を口にした。



「水瀬生徒会長。貴女が、文芸部に入って頂けませんか?」



「……なるほど、そうきたか。でもどうして私なのかな? 口説くなら……うん。言葉の通りに口説くなら、もっと口説きやすい子がいっぱいるでしょ? 十夜くんはさ、凄く可愛い顔してるんだし」


「いや、俺は好きな人が居るんで、そういう真似はしたくないんです。……それに俺、避けられてますからね」


「…………」


 水瀬生徒会長は言葉を返さない。だから俺はそのまま、言葉を続ける。


「でも、水瀬生徒会長。貴女は変な勘違いもしないし、俺の……俺たちの噂なんて気にしない。だから貴女に、頼ることにしたんです」


「ふふっ。それは嬉しいな。でも私、年下好きだし……勘違いしちゃうかもよ?」


「そういう言い方をする人は、勘違いなんてしませんよ。それに貴女は、困ってる人はほっとけないんでしょ?」


 生徒会長、水瀬 揚羽。イタリア人と日本人のハーフで、運動も勉強もできる美少女。そして何より、困っている人は決して見捨てないという、真っ直ぐな信念の持ち主。そういう噂を、友達が少ない俺でもよく耳にする。


 ……無論、そんな確証の無い噂だけを頼りに、ここに来たわけはでは無い。それに、いい人らしいから頼んでみようみたいな、善意につけ込むやり方は好きじゃない。


 けどもう、手段を選んでいる余裕はない。だから俺は、彼女の善意につけ込むことにした。


「うん。私はね、困ってる人はほっとけないし、不正やズルも大嫌い。だから君たちが形だけの幽霊部員を見つけてきたり、誰かを脅して部員にしたりするのなら、容赦なく文芸部を廃部にするつもりだった。……でも、そっか。君は私に、文芸部に入れって言うんだね」


「そうです。……生徒会と部活の掛け持ちは、別に禁止されてませんよね? 現に副会長は、テニス部で活躍されてますし」


「そうだね。別に生徒会と部活の掛け持ちは、禁止されていない。……それに君のその可愛い瞳を見ていると、君が本当に困っているのが分かる」


 水瀬生徒会長は、そこで立ち上がって何かを確かめるように、うんと首を縦に振る。そしてそのまま真っ直ぐに俺を見て、彼女はその言葉を口にした。


「いいよ、分かった。じゃあ私が、文芸部に入ったげる」


「ほんとですか!」


「うん。私は嘘なんてつかないよ。……けど、今回は君の負けだよ」


「……どういう意味ですか? それ」


「彼女の想いが、君の想像よりずっと凄いってこと。まあ、私からネタバレはしないよ。……それより今は、喜びなよ? これで君の大好きな文芸部が守られたんだ。おめでとう! 十夜くん!」


 彼女は屈託のない笑みで、そう告げる。


「…………」


 だから俺もとりあえずは、それ以上の追求はしないことにする。だってこれで、ようやく目的が達成されたんだ。……少々、というかかなり予想より上手くいったのが気がかりだけど、これで文芸部が廃部を免れたのなら言うことはない。



 だからこの時の俺は、ただ純粋に喜んだ。これで紫浜先輩も喜んでくれるだろうし、彼女とデートできるぞって。……しかし、全てがそう上手くいくわけもない。それをこの後、俺は身をもって知ることになる。



 けど今だけは、ただ純粋に喜びを噛み締めた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る