おやすみなさい。
水曜日の朝。普段よりずっと早い時間に家を出た俺は、家の近くの公園で考え事をしていた。……無論その内容は、あと1人の部員をどうやって集めるのか、だ。
「ダメだな……」
しかし場所を変えた程度では、いいアイディアは出てこない。……というか、元からそれくらい分かっていたはずなのに、気づけば家を出てしまっていた。
「らしくもなく、焦ってるんだろうなぁ。……でもいくら考えても、名案は出てこない。ならやっぱり、地道に張り紙貼ってビラ配りして勧誘するか」
そういうやり方をすると、逆効果になる可能性が高い。けど、このままぐだぐだ考えていても、打開策は見つからないだろう。ならやはり、動くしかない。
そんな風に考えてベンチから立ち上がろうとした直後、ふと声が響いた。
「こんなに朝早くから、一体なにをしているのですか?」
声の方に、視線を向ける。するとそこにはやはり、紫浜先輩がいつも冷たい瞳で佇んでいた。
「……おはようございます、紫浜先輩。先輩の方こそ、こんな所で何をしてるんですか?」
まだ登校するには早い時間だし、この公園は先輩の家から随分と離れている。なのに先輩は、どうしてこんな所にいるのだろう?
「私は……その、ただの散歩です。今日は早くに目が覚めたので、それでその……散歩していたんです。そしたら偶々、貴方の姿を見かけて……。それで、声をかけたんです。……お邪魔でしたか?」
「いや、俺が先輩を邪魔に思うわけないでしょ? それより隣、座ってください。この公園は何もない所ですけど、風だけは気持ちいいんですよ?」
俺はベンチに座り直し、先輩を隣に誘う。
「…………」
先輩は少しだけ悩むような素振りを見せてから、俺の隣に座ってくれる。するとちょうど、春の心地よい風が吹き抜けて、先輩の綺麗な黒髪がゆらゆらと揺れる。
「本当に、いい風ですね」
「でしょ? だから俺、考え事する時はよくここに来るんですよ」
「……そうですか。貴方は、頑張ってくれているのですね」
先輩はそこで遠い目をして、青い空を眺める。そして軽く息を吐いてから、何故か俺に頭を下げた。
「色々と、すみません」
「どうして先輩が、謝るんですか? ……いや、もしかして部員集めのこと、気にしてます? でも俺はやりたくてやってるだけなんで、先輩が頭を下げる必要なんてないですよ?」
「それでも、です。貴方は色々と頑張ってくれているのに、私は何もできていません。本来は誰より、私が頑張らなければならないのに……」
「そんなの、気にしなくていいですよ。俺も大したことはしてませんし、それにまだ最後の1人が見つけられてませんから」
「……そうですか。でも、それでも私が何もできていないのは、事実です。だからその、私に何かできることはありませんか?」
紫浜先輩は少し赤くなった頬で、俺を見る。そして照れるように髪をいじりながら、言葉を続ける。
「いえ、分かってはいるんです。部員集めで私が役に立たないのは、理解しています。だから、それ以外で何か……私に望むことはありませんか?」
「いや、望むことって。急に言われても、ちょっと……」
「そういうわけには、いきません。貴方だけ頑張っていて、私だけ何もしないというのは……不公平です。だからその……いいですよ? 貴方がこの前の……キスの続きがしたいと言うのであれば、私は別に……構いません」
先輩は真っ直ぐに、俺を見る。その瞳はどう見ても、本気だ。……でも俺は別に、頑張ったからって見返りが欲しいとは思わない。
『俺は先輩の為に、頑張って部員を集めました。だから俺と、付き合ってください』
そんなことを言って本当に先輩と付き合えたとしても、俺は全く嬉しくない。だって俺は先輩と付き合いたいんじゃなくて、彼女に愛されたいんだ。
でも……
「…………」
やはりどう見ても、先輩の瞳は本気だ。昨日の先輩は、普段と何も変わらないように見えた。けど先輩は先輩なりに、何もできない自分を歯痒く思っていたのだろう。
ならここで、何もしなくていいですよ? と言うのは、いささか酷かもしれない。だって先輩が朝早くから俺の家の近くに来てくれたのは、このことを俺に話す為だったのかもしれない。
なら俺は遠慮なく、このチャンスを活かすべきだろう。そう考えて、軽い笑みとともに言葉を返す。
「じゃあ、先輩。俺が文芸部の廃部を止められたら、今度の休みデートしてくれませんか?」
「……え?」
先輩は俺の言葉を聞いて、驚いたように目を見開く。
「あ、やっぱり、ダメですか?」
「いえ、そうではなくて。その……私なんかとデートをしても、楽しくないですよ? そ、それに……貴方は私のことが好きなのでしょう? ならもっと、したいことがあるんじゃないですか?」
先輩はとても不安そうに、俺を見る。その姿はいつもの先輩と違い、なんだか自信がなさそうに見える。
「そう言われても、別にないですよ? それ以上のことなんて。俺、先輩と一緒に遊園地に行ってみたかったんです。……いや遊園地じゃなくても、先輩と色んな所に行ってみたいなって、ずっと思ってたんです。だから……ダメですか?」
「……貴方は、本当に……」
俺の言葉を聞いて、先輩は呆れたと言うように息を吐く。
「分かりました。貴方がそうしたいと言うのであれば、デートくらい構いません。……でも、いいんですか? 私なんかとデートしても、楽しくないですよ? それにいくらデートしたからって、私は貴方を……好きにはなりません。それならせめて……」
先輩はそこで言葉を止めて、とても不安そうに俺を見える。だから俺は、ふと思う。先輩のいつものあの冷たい表情はただの仮面で、本当の彼女はもっと臆病なんじゃないかって。
……いや、そんなことはどちらでも構わない。その程度で、俺の想いは揺らがない。だから俺はただいつも通りに、言葉を返す。
「それくらい、分かってますよ。でも俺はただ、先輩と出かけられるってだけで嬉しいんです。……だから、紫浜先輩。今度は前回みたいに一方的な宣言じゃなくて、ちゃんと俺と約束してください。文芸部の存続が決まったら、今度の休み俺とデートするって」
「……分かりました。貴方は本当に、私のことが好きなのですね。……ふふっ。では、約束します。私は部員集めじゃ役に立てませんから、そのデートで私が貴方に夕飯をご馳走します」
先輩はそう言って、笑った。それは今まで見たことがないくらい華やかな笑顔で、俺の心臓は痛いくらいの鼓動を刻む。
「……って。別に、奢って貰う必要はないですよ?」
「いえ、それくらいはさせてもらいます。私はそれくらい貴方に……感謝してるんです」
「そうですか。じゃあ、お願いします。先輩のおすすめの店にでも、連れて行ってください」
「はい。任せてください」
先輩は照れるように頬を染めて、笑みを浮かべる。その姿は本当に可愛らしくて、だからもっと頑張らないとなって、気合を入れ直す。
……しかしその直後、大きな欠伸が口からこぼれる。
「……貴方。さてはあまり、眠っていないのではないで すか? その……私の為に頑張ってくださるのは、嬉しいです。けど自分を疎かにしては、ダメですよ?」
「いや、分かってますよ? それくらい。ただちょっと──」
そこでまた、欠伸がこぼれる。どうやら本当に、寝不足のようだ。
「……仕方ないですね。ほら、私の膝を貸してあげますから、少しだけ眠ってください」
「いやでも……」
「ここで気を遣う必要は、ありません。……どうせ今から学校に行っても、まだ誰もいません。なら少しだけ眠っても、何の問題もないでしょ?」
先輩はまくしたてるようにそう言って、俺を無理やり自分の太ももに押しつける。……するとふわっとした柔らかな香りが漂ってきて、本当に眠くなってしまう。
「……じゃあ、先輩。15分だけ、膝を借りてもいいですか?」
「構いません。だから貴方は、少し眠ってください」
そんな先輩の言葉を聞きながら、俺はうとうとと目を瞑る。そして気づけばいつの間にか、本当に眠ってしまっていた。
「……ありがとう。貴方が来てくれて、よかった」
だから先輩のその言葉は、俺の耳には届かなかった。
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