第四章※死なないわたしが憧れた二つのモノ
第21話 最強の血筋に生まれ、無能として生きた。
遥か昔から日本に伝わる、身体の一部に異能を宿す九つの名家、あるいは血筋。日本列島がまだ邪馬台国と呼ばれていた頃から存在していたかもしれないし、元は諸外国の民族から伝わったモノなのかもしれないし、九頭龍分家という名称は名字が一般的になった頃からついただけという可能性だってある。記録に名前を残さないという特性上、その名称はもちろん功績も表の歴史には名を残していない。
能力は
九から一までにそれぞれ能力に適した役割が与えられている。
血脈の強化、育成のために人体実験が行われている。
わたしにわかるたしかなことはこの程度。
災害への対抗手段として、その名の通り分家の頂点として存在する九頭龍家も例外ではなく、わたしも姉も人体実験のモルモットにされていた。内容は年齢や性別ではなく、血脈の質によって変わる。
汎用性が高い能力を持つ姉は早々に〈カテゴリー6〉と呼ばれる史上類を見ないレベルの台風と同じ規模の能力があると判断された。それに対して、すでに起きてしまった災害の〈修復〉に従事するほかないわたしは〈カテゴリーゼロ〉、……攻撃性なし。九頭龍の役目を果たせない無能の烙印を押された。マツユキと同じように。
わたしが覚えている一番古い記憶は、薄暗い部屋の中。椅子にきつく縛り付けられて手も足も出ず、上半身のあちこちに管が伸びている。心音を計測しているピッピッピッピが気に障る。
猿ぐつわを噛まされて、土と黴と鉄錆の匂いが口の中から鼻の奥を刺激して、満足にくしゃみもできず、涙も涎も垂らしっぱなし。丸裸の下半身はわたしから出た液体で濡れていた。
それこそが狙いだったのだろう。
電気が点いて、ブオーンと、すごい音がする。
燃料で機械が動いて、押しつぶす為の刃がぎらぎらと乱反射していた。
泣いても叫んでもわたしに向けられる、黒づくめの黒子――顔を覆う布には金色の六芒星が描かれている――の二人による手は止む様子がない。躊躇いなく、涎と涙で汚れた太ももをチェーンソーが押しつぶしていく。自分の叫び声がブオーンなのかチェーンソーがピピピピなのかもわからなくなる。血の色が黄色なのか失禁した尿の色が赤なのかわからない。薄暗かったはずの部屋はバチバチして真っ白になった。
ブオーンが止む。
ボトリとベチャリのあいだの音がする。照らし出された血の海に真っ白な小さな脚が浮かんでいる。プラスチック製の人形のものに見えるそれが今もなお脈々と滝を形成しているわたしの下腹部と繋がっていた脚だと正常に認識したとき〈修復〉は始まる。
それがわたしの
カテゴリーゼロだったばっかりに物心ついたときから実験と称した拷問を受けたのか、泣き叫ぶことを由来とする能力を持っていたばかりに拷問じみた実験を受けたのかはわからない。それが国が抱える兵器としての役割だったのか、親心だったのかもわからない。でも、わかったこともないわけじゃなかった。
一つ、この世の誰もわたしを助けてはくれないということ。
二つ、どんなに傷つき死にたくなっても死ねないということ。
三つ、どれだけ辛く苦しい思いをしても報われないということ。
わたしの身体は、体液が渇き切るまで決して死なないのだ。生きている心地はいつだってなかったけれど。心というものが存在するのなら、わたしはすでに死んでいた。
こういってしまうと我ながらどうして生きていられるのか(いや、死ねないのだけれど)不思議になる。まだフィクションの方がリアリティはあるだろう。わたしにとって生きることは耐えることだった。死んだ方が楽になると思っても死ねないから、生きるしかなかった。
でも、渇き切ったわたしの人生にも一つだけ、救いがあった。
十四歳のとき、二人組で戦闘訓練を受けさせられた。海が近い森の中で、終始どこからか聞こえる獣の鳴き声が不気味だった。全四組の計八人、ルールは単純に〈相手を殺すこと〉。相手は武装した大人ばかりで、相方は十六夜家の長男だという九歳の男の子だった。
十六夜家、というのが異質な存在であるというのは子どもながらに知っていた。九つの家の中で長らく欠番とされているが、本来は九頭龍家と当の十六夜家だけが存在を知っている、極秘中の極秘、最終兵器の最終手段。そんな風にパパと使用人が話しているのを聞いたことがあった。
『僕の名前は十六夜待雪、よろしくね』
さぞとてつもない能力を持っているのだと思ったら、痛みを感じないだけの能力だという。カテゴリーゼロ。こちらは異能の力こそあれ武器はなく、震えた。彼は今から殺し合いが始まる事なんて気にも留めていない様子で手を差し出した。へらへら笑っているのがムカついて、無視した。
お陰で戦いが始まったという感じはしなかった。あちこちから銃声が聞こえて、獣の声が聞えなくなって、火薬の匂いが強まって、ようやく死を意識し始めた。数歩後ろを着いて歩く彼は何度確認してもへらへら笑っていて、腹が立った。
二組、四人を殺してあと一組殺すだけになった頃だった。結局一人も殺せずに三歩後ろを付いてきていただけの彼は死体から奪ったナイフに目を輝かせて、後ろから近づかれているのに気が付かない。そうして人に助けられても『ありがとう』なんて、へらへら笑っていられる危機感のなさが気に障った。自分の身くらい自分で守れと思った。
溜息を吐くと、彼はナイフを構えて迫ってきた。身内からの攻撃なんて想定していなかったから対処が間に合わない。不意を突かれれば虎だろうと龍だろうと捕食され得るのだと実感した瞬間、彼は私を追い越して私の進行方向に立ち塞がっていた。
私たちは挟み撃ちされていて、後ろから迫っていた敵は陽動だった。後ろに気を取られた私を庇って、彼は私の前に出たのだ。彼は脇腹から赤黒い血を流していた。彼のナイフは、最後の敵の胸に突き立っていた。私は、狩られる恐怖に腰を抜かしてしまった。
ようやく理解した。
彼は、危機感がないから背後を取られたのではない。ずっと私の周りを見ていたから背後を取られていたのだ。
彼は殺し合いの実感がなかったのではない。私の為にへらへら笑っていたのだ。
私が不安にならないように、私が尻込みしてしまわないように強がって、ずっと優しい嘘を吐いていた。
海辺で見る夕焼けがこんなに綺麗なものだなんて知らなかった。
足をがくがく震わせているのに、振り向いた口の端からも赤黒い血が零れているのに、やっぱり彼はへらへら笑って、こういった。
『迦楼羅ちゃんのことは、僕が守るよ』
――そう、これは十六夜待雪という王子様と、九頭龍
〈わたし〉ではなく〈私〉の話。
わたしには、虚構に等しいそれしか縋れるものがなかった。
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