第15話 白黒の少女―仇?―
「ボクの能力は〈
執事はバーテンじみた格好をさらに着崩して、今やベストのボタンは元より、ワイシャツのボタンも鳩尾あたりの一つしか止まっていない。腹筋上のタトゥーのみならず胸を抑える分厚く巻きつけた包帯まで露わになっている。第二関節から先を露出した皮手袋をはめて、抱擁するように腕を広げている。
黄昏時の海岸で俺たちは向き合っていた。黄金色の夕日に血濡れの夕焼け、大小さまざまな岩石の転がった砂浜と呼ぶのが烏滸がましい砂浜を潮の香りを載せた波が打っている。そういう湿度、そういう風景、そういう匂い、そういった環境を4Bでは設定できる。どこまでが実像でどこまでが虚像かまではわからないが海が見たかったのだ。
右手の平を見た。
昨日、自壊したはずの手のひらは久遠の能力で完治していた。
左手で首と肩の間に付いた歯型を撫でる。
「俺の能力は〈
ただ、立つ。
大きく一歩踏み出せば拳が届く鏡像を観察する。
似ていて当然だったのだ。なんせ目の前に立つ執事は俺の妹なのだから。彼女が嘘を吐いているだけだと切って捨てることもできた。だが、そうしない。彼女の笑顔にはそれだけの説得力があった。彼女は嘘を吐いていない。嘘があるとすれば、俺の記憶の方なのだ。
「ははっ、おかしいですね。何もおかしくないに、ボクら笑ってますよ。いや、おかしいから、笑ってるんですね?」
「ああ、まるで嘘みたいだ」
ここで笑わなければ何処でだって笑えない。俺の人生は真っ当に見れば何一つ笑えない。だからいつだって笑う。面白おかしく笑って見せる。笑っていなければ泣いてしまいそうになるから笑う。たとえ他人を食ったように見えようと、飄々としていて捉えどころがないように見えてもその実、強がっているだけの、嘘っぽい笑みを浮かべている。
俺も、彼女も、きっと、そんな人生を生きてきた。
そんな運命を背負って、生まれてきた。
「残念ながら嘘じゃないんですよねこれが。ボクは紛れもなく貴方の妹で、ボクはずっとこの瞬間を待っていた」
「そうかい。俺は、さっさとこんな茶番は終わらせて久遠を助けに行きたいんだけどね」
「茶番、ですか。茶番も好きですけど、まあそれは価値観の相違ということで。あっははは」
視界の端で何かが煌めいた。執事が俺に手を伸ばしていた。
大切なものを傷つけないように撫でるが如く、自然で優しさに満ちた動作。
敵意がないどころか、安心感さえ覚えた。
手が目と鼻の先に迫ってようやく、眼球に一本のナイフが突き付けられていると理解した。
思わず背を反らせ、回避する。
回避、したはずだったのが。
「なるほど、確かに人間の限界は超えてるみたいです。ほんとにほんとに不感症で」
左目に迫ったナイフは右手から繰り出されていた。左手はただの目隠し。だが、身体が揺れた。俺の動きとは別の衝撃。視線を落とすとどうやら蹴りを入れられたらしい。右脚の太ももから出血していた。
抱擁の動きに似た両手と右手のナイフは蹴りを隠すためのブラフ。
出血の原因は、執事の膝から伸びた血濡れの剣先だろう。
「丈夫な身体をお持ちなんですね。骨ごと切っちゃうつもりだったんですけど、失敗です」
執事の猛攻は止まない。左手で掴みかかりに来たかと思えば右手のナイフが閃き、左右の足は的確に俺のバランスを崩すべく迫る。俺はひたすら、距離を取ることしかできない。
「お前、その身体」
「義足です。美しいでしょう?」
「――ああ、いい玩具だ。惚れ惚れする」
距離を取ることしかできない。というか、攻撃に転じようとするたびに防御せざるを得ない状況に陥る。蹴りを繰り出そうとすればナイフが待ち受け、腕を掴んで動きを止めようとすればナイフが待ち受け、頭突きを繰り出そうとすれば目の前にナイフが待ち受けている。すでにこちらは太もものみならず、皮膚も服もあちこちが裂けて血が出ているというのに、あちらは無傷。手も足も出ないとはこのことだ。
「玩具に手も足も出ないなんて、可愛いですね。ばぶばぶ」
「まったくだ。俺が本当に手も足も出せないと思っているなんて、幸せ者め」
「あえて手を出していない、とでも言いたいのでしょうが、別にボクはそれでも構わないのですよ? これは純粋なアドバイスですが、ボクが妹だからと手を抜いているつもりなら、そんな情けはさっさと忘れた方がいい。死にますよ。虐殺は好みじゃない」
死んでもいいわ、と迦楼羅が言っていたのを思い出した。たしか、月が綺麗ですね、に匹敵する愛の文句だった気がする。俺も久遠に月が綺麗ですねと語って、死んでもいいわと返ってきたら、悲しいことに悪くない。
俺は僕だったころ、痛みなく死んでいたはずのところで君に命を救われた。死ねない君が死にたいというのは不死者的には自然なことで、でも現実味はない。それが愛の告白の返事だったとしても嘘みたいだ。たとえ嘘だとしても俺は信じるのだろうけど。
そうだ、俺は俺の過去を清算する機会に恵まれたわけだが、こんなところで遊んでいる暇はない。
「虐殺は好きじゃない、か。お前がそれを言うなんて、皮肉なもんだ」
「まさか、ボクほど虐殺が好きじゃないのが似合う人間はこの世に四人ぐらいしかいないでしょう」
「だから、お前は幸せ者だって言っているんだ。俺はお前のことなんてどうでもいい。覚えていない妹なんていてもいなくても変わらない。俺は初めから、お前を倒すことしか考えていない」
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