第13話 純白の少女?―性別年齢外見不詳―

 病院は好きじゃない。滅菌された空間は死の匂いがする。エレベーターの小窓から見えるモスグリーンのリノリウムの床が朝日を反射していたのも日の入る階層まで。関係者以外の立ち入りを禁止されている地下階層に到達すると窓から差し込む光はない。唯一の明かりである電灯も人の出入りが少ないためか、ところどころ切れかかっている。エレベーターが鳴く。

「地下一階です」

 四月朔日家の執事によると味方になった二つの血脈は既に渡貫病院の地下に集まっているそうだ。取引の主な内容は〈四月朔日が頭領に就いた暁には、そこに次ぐポストを与える〉。それ以外は俺と交わしたものと同じ〈協力するなら武器も医療も提供する〉。

 声をかけた分家のうち契約を交わしたのは人外揃いの〈八叉やまた〉と人外殺しの〈双葉ふたば〉。考え得る限り四月朔日を含めて最高の戦力であるのは間違いない。

 一昨日の夜、迦楼羅が言っていた言葉通りだったのだ。

『人外揃いの八叉は入院中。戦争屋の四月朔日はおつむが弱そうだし。人外殺しの双葉は戦闘向きじゃない』

 静謐な廊下に三人分の足音が木霊する。力強いばかりで身体運びの下手な俺の足音は大きく、俺に匹敵する大きさで壊滅した音楽性を感じさせる足音が千鳥、執事の足音は意識しなければ聞こえない。俺と千鳥が並んで歩いているのに対し、執事は三歩後ろを付いてきているのも一因だろう。

 俺たちが向かっているのはこの病院の最下層にして最奥に存在する〈第四霊安室〉。縁起が悪いとされ忌避される4、四月朔日に因んだ4であり、関係者は関係者でも病院関係者ではなく九頭龍分家ないし四月朔日に許されたもののみが入室を許される4である。

 その役割もまた病院に依るものではない。

〈第一霊安室〉〈第二霊安室〉〈第三霊安室〉、そこまでは上階よりも広く、上階と同じく等間隔で建築されている。だが、〈第四霊安室〉に限っては廊下の突き当りに存在していた。

 朝か夜かも不確かになりそうな、永遠にも感じられる廊下の先に、それはある。最も広い空間を確保できるその場所は、血脈の研究を行う施設である。

 今、〈第一霊安室〉の前を通り過ぎた。

「八叉と双葉の頭領候補っていうのはどんな奴なんだい?」

「ゆっきーは九頭龍分家のこと、どのくらい知ってる系?」

「いつかからかは知らないけど、大昔からある日本の暗部だろ。〈九頭龍〉から順に〈八叉〉〈漆喰しっくい〉〈十六夜〉〈土御門つちみかど〉〈四月朔日〉〈三日月〉〈双葉〉〈一ノ瀬〉。九頭龍は天災、八叉は集団、四月朔日は個人、双葉はこの世ならざる者への対抗策で、十六夜は本来、欠番とされていて最終兵器なんて言われることもあるけど、実際のところはただの補欠。ってところかな」

「ふーん、まあまあね。で、どうなの、六花りっか

 知らんのかい。

 千鳥は後ろを着いて歩く執事に視線を流し、俺は立ち止まった。

「お嬢様、ボク、資料に目を通しておいてくださいって言いましたよね?」

「だって三行ぐらいで眠くなっちゃったんだもん」

 後ろから溜息が聞えた。直後の「うえっ」と俺の背を突いて震わせた声から、それが千鳥の『そんなこともわからないの?』とでも言わんばかりの溜息ではなく『やれやれ、相変わらずこの馬鹿なお嬢様は』の代替として発せられた溜息であると理解した。

 一歩遅れて、千鳥も訝しるように立ち止まった。

「……どしたの?」

「じゃあ」

 指を差す。

「へ?」

 指差した先を千鳥が追う。

「第四霊霊安室の前からこっちに近づいてきてる、アレは?」

 千鳥が目を細め、アレを確認した。

「は?」

 始めは気のせいだと思った。目の錯覚だと思った。そういう柄の扉なのだと思った。だが違う。アレは確かに蠢いていて、近づいてきている。第四霊安室から俺たちの元に向かってきている。一歩、二歩、三歩、と。俺たちに向かって動くはずのない四肢を伸ばしている。アレは一言でいうなら、そう。

「死体を使役できる血脈なんていたかな?」

 酷くやせ細った身体は骨と皮だけの肉体と呼ぶのさえ躊躇う、全身に包帯を巻いた人型。触れれば壊れてしまいそうな不安定な動きは老人に見えるが、迷いのなさは子どもらしい。

 老人が子どもに若返るが如く、死体の脚が速くなる。

「いやぁぁぁああ! ナニナニナニアレいやいややだやだこっち来ないでいやぁぁぁぁ!」

 何も全力疾走をしているというわけでもないのに、みるみるうちに近づいてくる。軟体動物にも似た身体運び――どこかで見たことがあると思ったら、獅子舞だ――空間を嘲笑い距離を縮めてくる。元来た道へ逃げ出そうとする千鳥の襟を掴むと、執事は相変わらず嘘っぽい笑みを浮かべて固まっていた。

 確信した。アレは分家の人間だ。死した分家の人間ではない、死体に扮した頭領候補で間違いない。間違いと嘘を重ねておいて何が確信か。恐怖のあまり固まっているという可能性を失念していた。

 あと一部屋分、第三霊安室と第二霊安室の中ほどで、あることに気付いた。

 この死体、本当に若返っている。

 初めは俺と大差ない背丈と細身の鳥ガラのようだったのに今や背は縮み、相変わらず細身の癖に不健康な印象は消えていた。老人が這いずる蛇の軌道を真似て動きだったはずが、目前に迫った死体は今や少女の姿でスキップをキメている。

 既視感があった。

 目と鼻の先で俺を覗き込む顔があった。

 そういえば昨日、迦楼羅にもこうして久遠を揶揄されたのだった。

 全身の包帯は純白のワンピースに、頭蓋の形がくっきりとしていた頭は灰色の毛髪に覆われ、骨ばった指は長い印象はそのままに艶やかさを肉付けしている。見上げる瞳は白濁し、笑顔の質は久遠よりも迦楼羅を思わせる。

 迦楼羅に似た、久遠ぐらいの背丈をした少女が、下から俺を覗き込みながらこういった。

「ほう。貴様、この姿が最適と申すとは、なかなか理解わかっておるな」

 運動会の古いスピーカーを通してボイスチェンジャーを使ったような、地鳴りに近い声だった。爪先立ちの裸足、膝小僧、張りのある細い脚に細い腕、波打つ長髪。八重歯を見せ、純白の少女は得意げに頷いている。

 それに何より、俺は千鳥と違って声の一つも上げていないのに『申すとは』と来た。

 彼女(?)は薄い胸の上で、白い勾玉を揺らしながら頷いた。

「うんうん、そうじゃろうそうじゃろう」

 声は見た目相応の少女のものになっていた。

「儂もなかなかどうして、この姿は気に入っている」

 どうやら執事は『儂』、というのを聞いて納得したらしい。

「その方が九頭龍分家8番目の頭領候補八叉家代表、八叉ミコト様です」

 八叉ミコト。性別不詳。年齢不詳。外見不詳。

 能力名〈八叉血脈・天叢雲剣クオンタムボーン・ホーンテッドフォートレス〉。

 八叉家共通の〈自らの骨を操る能力〉。

 他の分家が〈同じ部位に違う異能を宿す〉のに対し、八叉家は〈同じ部位に同じ異能を宿す〉。

「その本質は〈変身〉。儂は男にも女にも老人にも子どもにも龍にも鼠にも変身できる。そしてこの技術の究極形、戦闘に特化した変身は畏敬の念を込めて〈石埜杜いしのもり〉と呼んでいる」

 ミコトは自らの異能について補足した。自分の手札を晒すのは、晒しても問題がない理由があるか、何も考えていない馬鹿であるかのどちらかだ。彼女の場合は間違いなく前者だろう。嫌な顔一つしないどころか、自ら楽しそうに語って聞かせるほどだ。自らがこの中の誰よりも実力者である自負があるのだろう。

 第四霊安室の中身は凡そ想像通りだった。彼女が――という二人称が正しいのかどうかわからないが、今の見た目なら彼女で間違いない――正面に立っていた扉を開くと、入室と同時に天井のフィラメントが低いハム音と共に明滅しながら点灯した。ベッド代わりの手術台が等間隔で左右に三つずつ並び、同じ数だけパーテーションやら心電図やら点滴やらの医療器具が揃っている。上階の病室から生気をまるまる奪い取ったような空間だった。

 本来窓が存在する部分はコンクリートの打ちっぱなしで入って正面、壁の中央には『いのちをだいじに』と、自殺防止を呼び掛けるポスターが張り付けられていた。フリー素材じみたのデフォルメキャラクターが険しい表情と手の平で命の尊さなどを語っている。

 リビングデッドもとい銀髪の少女と相成った「儂のことはミコトでいいぞ」、ミコトについて説明をしたのはモノクロの「ではボクも六花で」、六花はミコトについての資料を映し出していたスマートフォンをキャラクターの手のひらに重ねた。重ねて間もなく、引き返す。

「そういえば双葉様は一緒ではなかったのですね」

「うむ。彼奴きゃつは下で待たせてある」

「ボクらを心配して迎えに来てくださったのですか? それともただのドッキリでしょうか?」

「お主らが十六夜の忘れ形見を迎えに行ったと聞いて、血が騒いでな? と、言いたいところなのじゃが、儂ももう若くない。ひひっ、驚いたかね? 十六夜の」

 投げられた視線は品定めするようだった。驚いたか、というのはどちらについてだったのだろうか。リビングデッドドッキリのことか、それとも八叉から十六夜に向けた脅しについてだろうか。

「待雪。俺の名前は十六夜待雪ですよ。ゆっきーって呼んでね、みこっちゃん」

一気に老け込んだようにしていた千鳥が噴き出した。

「みこっ」

 きっと自分の役割を奪われたのが悔しかったのだろう。

「待雪君。一緒に頑張りましょうね?」

 久遠と迦楼羅を彷彿させる見た目の上に、みこっちゃんは口調まで被せてきた。

「言われなくとも。俺は久遠のためなら死ぬ気で生きるさ」

 自分の能力を自分から語ってみせたり、挑発をしてみたり、随分と自信があるらしい。とうの昔に滅ぼされてしまった程度の血脈に、それほどの価値があるとは思えなかった。

「ひひっ、そうか、そうか、それは頼もしい限りじゃ」

 久遠じみた笑顔に微笑んで見せた。

 突然、死の匂いがどっと濃くなった。

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