第2話
わたしは帝都の夜を飾る歌姫だ。
皇宮の東側を南北に走るペリューズ通りの北の端に、
「それは心配な話だな、ダミア。キミが望むなら何日か
わたしに届いた手紙の噂を聞いた『エル・ミナ』の支配人ダン・ヴェスペールは、支配人室にわたしを招いて話を聞くと、普段の
「いえ、ダン・ヴェスペール。これはあまりにもいまさらな話ですし、きっとわたしが
わたしの返事に目を細めたダン・ヴェスペールは、深くため息をついて椅子に身を沈めた。
「キミがそう言うなら、そうしよう。しかしダミア。後悔はしてからでは遅いぞ」
わたしはうなずく。手紙の差出人は弟だった。母が病気だという。
「なにをいまさら、って感じよ。十年も音沙汰なかったくせにね」
夜の
「十年よ? わたしを置いてあの人が家を出たのは、わたしが十五のとき。それからわたしが歌ひとつでここまで来るのに十年よ。その間、手紙のひとつも寄こさなかったくせに、突然病気だからって。だから手切れ金のつもりでお金だけ送ってやったわ」
あちこちの
「かわいがるのは弟ばかり。それで最後には勝手に新しい男を作って家を出て、わたしのことを顧みることなんて一度だってなかったくせに。わたしがあの人の愛情を感じたことなんて一度もなかったわ」
吐き捨てるように言う。愛情。そんなものはわたしにとってガラスケースに飾られた宝石のような、自分には遠い、眺めてそれを羨むだけのものでしかなかった。わたしの両親は貧乏だった。わたしを育てられなかった両親は、生まれたばかりのわたしを里子に出した。わたしが両親の元に戻ったのは七つのときだ。けれど、このときにはもう弟がいて、二人の愛情は弟の方に移っていた。わたしは
「ひっぱたかれたことはよく覚えているのに、キスなんてされた覚えもない。弟と、外の男とはよくしていたようだけどね」
喉に流した濃い目の
「それから歌だけを頼りに、この十年よ。わたしはあの人に一度も頼りはしなかった。なのにあの人は、いまさらわたしになにを求めるっていうの?」
そう言ってグラスの
「反対に考えたら? 十年も離れていたから、急に会いたくなったんだって。だから弟さんに手紙を書いてもらったんじゃないのかしら。あなたも気になるからお金だけは送ってあげたんでしょ?」
ミュリエールは優しい顔で、険のあるわたしの言葉をやわらかく諭す。
「わたしも手紙を書けるものなら……。ねぇ、一度でいいから会いに行ってみなさいよ」
ミュリエールの瞳に哀しみの色が浮かんだ。わたしは彼女に子供がいるのを思い出した。感情に駆られてこんな話をしてしまった、自分の迂闊さとバツの悪さに目を伏せる。彼女には子供がいる。けれど彼女は子供に会うことができない。だから彼女は
「ああ、わたしがこんな仕事をしているって知れたら、子供はどんな気持ちになるのかしらね」
「あんな男に騙されて、わたしって……。女なんてバカなものね。愛で動いて、愛に泣かされてさ。本当、愛だなんてさ……」
ミュリエールも昔は堅気の暮らしだった。若くして結婚をして、二人の子供を産み、慎ましい生活をしていた。けれどそのまま年を過ごすには、彼女は美し過ぎたのだろう。ある日、彼女は美しい青年に出会った。恋は彼女を走らせ、二人はこの帝都まで駆け落ちをした。けれど男の正体が“ヴェルロ”であると知れたときには、すべては手遅れだった。ヴェルロとは女に働かせて稼がせたお金で、生活をする男のことだ。
「だからね、一度でいいからお母さんと会っておいた方がいいわ。きっとむこうも後悔しているわよ」
ミュリエールがわたしの手を取って言う。彼女の手は少し固く、かさりと荒れた感触があった。けれどあたたかい手だった。
彼女のような母親もいる。わたしがあの人にお金を送ったのは、こんな幻想がわたしの中に残っているからだろうか?
だからといってわたしの母親が、彼女と同じ母親であるとは限らなかった。
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