第74話 拭いきれぬ心の傷跡

キッドがいない日々は私にとってもぬけの殻の様なものだった。

朝の「おはよう」も夕方の「散歩に行こうね」も、そして夜寝る前の「おやすみ、また明日ね」も。


全てが脳炎に奪われ、そして終いには独り言をぶつぶつとキッドが眠る骨壺に向けて呟く毎日。


時折、風間さんとミルキーちゃんが私を心配して顔を出してくれるが、正直何もやる気が起きずになんのおもてなしもすることすら出来ないまま、申し訳ない私の素性を見せてしまっていた。


外に出れば散歩をする飼い主とペット。こてつ君にだって会ってしまう。


こてつ君に会ってしまうと、なおのことキッドを思い出してしまう。だから、私は必要最低限意外外に出ることを極力控えていた。


でも、家に一日中いる事で更に心は闇へと落とされて行くため、以前勤めていた会社へと職場復帰をしたが、情緒不安定の私は1人隠れて泣いてみたり、お昼は空を見上げて泣いてみたり。

何をしてもキッドの事を頭から切り離す事など出来ずにいた。


私を心配してくれた母が1週間程泊まりにも来てくれた。

泣いてばかりの私に母も掛ける言葉が見当たらなかったのだろう。ただひたすら背中を擦ってくれ、キッドに毎日綺麗なお花を買ってはお供えしてくれた。

まともに食事すら取れずにいた私を気遣い、実家に戻ってくる提案を出されたが、この部屋を去ってしまえばキッドとの思い出が全て無くなってしまう様な気がして…。


ここから何処か他の場所に動く選択肢は私の中ではあり得なかった。


何日も。

何ヵ月も。

私の心は癒える事無く、キッドのお墓は無事に完成。自宅に置いてあったキッドの骨壺は、動物霊園の墓地へと静かに埋葬された。


動物霊園では様々な光景が見受けられた。

「思い出写真館」で別れたペットの写真を見ながら涙する人。

墓石に向かい、日々の出来事を話しかけながら思い出に浸る人。

また、新たな骨壺を同じ墓石に埋葬する人…。


「ペット」ではなく、「家族」として会いに来ている人が全てで、懐かしんでは涙を流す人達の中、私はそれを呆然と立ち尽くして見ているしか出来ずにいた。

キッドが居なくなったという現実と向き合うにはそれ相当の時間が必要だった。


毎月、命日には必ず顔を出してお花とキッドの大好きだったおやつをお供えした。

何度も「キッちゃん」と名前を呼び、返事が返ってくるのを待ったりもした。

家にいるとキッドの足音や鳴き声が聞こえるような気がして何度も振り向いた。

定期的にキッドが夢に出て来ては、私の手の届かない草原で元気に走り回っている夢を見た。


そんな日々が続き、私の心もほんの少しだけ時と共に穏やかになって来たのは、キッドがこの世を去ってから1年半が経過した頃だった。


月命日の帰りに、私はふと「あの場所」へと車を走らせたのだった。




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