抱きしめた体は、冷たかった。

 + + +



 薄暗い路地裏で、じっと茜の寝顔を見ていた。

 頬に走った赤い傷は、もう消してある。

 他の怪我も、全部。

 夜風が、私の頬をサラリと撫でて、茜の艶やかな髪を揺らしていく。

 膝の上にある、冷たい温もり。


 私はずっと、狩人の女として育てられてきた。


 狩人は基本的に、女性の狩人から生まれてくる。

 そして、ただでさえ吸血鬼や人間と比べて少ない狩人の中で、女性は貴重な存在だ。

 だから宝石かなにかのように大切にされてきたし、厳しく磨かれてもきた。

 親族や家族から、愛情を向けられてこなかったわけではない。

 でもそれは、狩人の女、というフィルター越しに与えられてきたものだと、そう感じている。

 骨を折るような大きな怪我をしても、狩人はすぐ治るのだから、気にするなと言われ続けていた。

 痛みを無視して守るべきものを守り、狩るべきものを狩れ、と。

 茜だけが、いつだって怪我をしないで、無理をしないでと言ってくれた。

 痛みに呻いたときも、泣いたときも。

 その声を聞いてくれたのは、その涙を拭ってくれたのは、いつだって茜だった。

 急な仕事で両親が出払ってしまったとき。寂しくなかったのは、茜がいたからだ。


 茜が、茜だけが、私のそばにいてくれた。

 だけど、それだって、舞白が現われるまでの話だ。

 舞白が現われてから、茜は舞白を気にかけていたし、ここ数日だって、結局は舞白を守ることを優先した。

 身をていして、舞白を守った。

 茜は、狩人としての私を求めた。

 ここに来る前に、なかなかうなずかない私に対して、彼は、自分にも守りたい人がいるのだと言った。

 それが誰か、なんて聞くまでもないし、それはつまり、狩人である私をそのために利用することに他ならなかった。

 私は、茜にとっても、狩人の杜矢薫になったのだ。


 その茜の、守りたい人を、私は殺そうとした。

 今だって、この世から消し去りたいと思っている。


 せめて。

 せめて私が、記憶を消せる狩人なら。

 茜の中から舞白の記憶だけを綺麗さっぱり消してしまうのに。

 そしてその上で、彼女とは絶対に会えないくらい遠くに、茜を連れて行ってしまうのに。


 私はそっと目を閉じる。


 舞白を治療したあと。

 狗狼さんに、お前は狩人としてのプライドはないのか、と怒られた。

 狩人として仕事をし始めたときに教わる心構えをさらわせられて、初めて、自分がどんなに茜に固執していたのかを自覚した。

 そしてその結果として、もっとも彼に軽蔑されるであろうことをしようとした。

 軽蔑どころでは済まないかもしれない。

 恐らくは、一生恨まれるであろうこと。


 私は、冷静じゃない。

 今だって、冷静なのかわからない。

 舞白に対する冷たく濁った気持ちは、ドロドロと粘度を増し続けて苦しいくらいだし、茜の視界に舞白が入れば、髪をかきむしりたくなる。


 彼が死ぬときまで彼の隣は誰にも譲りたくなかった。

 最悪の場合、彼を始末するのは私でありたかった。


 だけどこのままじゃ。

 このままの私じゃ、駄目だ。


 振り払われた手が、なにより、こちらをチラリとも見なかった彼のうしろ姿が、棘のように刺さって抜けない。

 もう、それがすべてなのだ。

 彼の一番は、私じゃない。

 私は、彼の一番にはなれない。

 そしてきっと、舞白を殺しかけたことを知れば、二番目にすらなれないだろう。


 最後に一度ギュッと抱きしめてから、私は彼を背中におぶった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る