わたしは一緒にいられない
* * *
「久しぶり、舞白」
温かな声。
ゆっくりと振り返る。
夜を溶かしたような、艶やかな髪。
透き通った瞳は、優し気に垂れている。
記憶にあるよりもだいぶ背は伸びたし、顔は青白いけれど、でも、間違いない。
間違うはずが、ない。
「茜……」
どんな表情をすればいいんだろう。
考えてもわからなくて、ただ、曖昧に笑うしかできない。
「久しぶり」
やっとのことでそう言葉をこぼせば、眉尻を下げて微笑み返される。
懐かしい笑顔に、鼻の奥がツンと痛んだ。
「さっき、ごめんね」
わたしが謝れば、キョトンとした表情で茜が首を傾げる。
「なにか謝るようなこと、俺、された?」
「振り払っちゃったから」
「ああ、それか」
別に大丈夫だよ、と返す声が寂しげで、確実に傷つけたのだ、と自覚する。
それでも、大丈夫だよ、と言われてしまった手前、しつこく食い下がることなんてできない。
「元気だった?」
当たり障りのないことを問いかければ、うん、まあ、と煮え切らない言葉が返ってくる。
「舞白は? 元気だった?」
「え、うん。もちろん元気だったよ」
答えてから、思わずふふっと笑いが漏れてしまう。
「この質問、答えづらいね」
「だね」
「薫、大丈夫かな」
ぽそっと呟く。
吐いた言葉が白い息に飲まれて、ゆらゆらと空に消えていった。
「落ち着いてるね」
「え?」
見上げれば、澄んだ黒色と目が合う。
「初めてちゃんと会話した夜のこと、覚えてる?」
「忘れるはずないよ」
高校生になれたことに浮かれて寄り道をして、吸血鬼に襲われた夜のことだ。
「あのときは薫のことを心配してたのに、今回は心配しないんだなって思ってさ」
「……今お世話になってる人がいるんだけど。その人が、薫は優秀な狩人だって言ってた」
それに、クロくんは茜のことを殺すかもしれないけれど、薫のことを殺すとは思えないから。
「お世話になってる人って、俺も知ってる人?」
「たぶん?」
「たぶんって」
「だって、二人が話しているところを見たことがないから」
返せば、なるほど、と苦笑する茜。
「予想、ついてる?」
「うん、そうだね」
「じゃあさ、その人の吸血鬼に対する容赦のなさも、知ってるよね?」
薫が戻ってきたら、一緒にここから離れてもらおう。
できるだけ遠くへ。そしたら流石に、クロくんも追いはしないだろう。
そもそもとして茜はまだ人間の血を吸ってはいないようだけれど、薫への目のつけ方からして、茜を使いそうで怖いのだ。
「俺から見ると、その容赦のなさは君にも適応されている気がするけれど」
眉尻を下げた微笑み。
温かなそれに、目をそらす。
本当は、そばにいたい。だって、せっかく会えたのだから。
でも、駄目だ。
人間と吸血鬼が一緒にいたら、絶対に彼らを化物にしてしまう。
それなりに吸血鬼と出会ってきたからこそ分かる。
吸血鬼は綺麗な人が多い。
だけどその中でも、澄んだ冬の空を思わせるのにどこか温かみを感じる茜は、群を抜いて美しい。
そんな人を、醜い姿になんてしたくない。
「わたしは、しょうがないよ。もう、生まれる前から決まってたようなもんだもん」
珍しく、茜の眉間にしわが寄る。
「どういうこと?」
スマホが鳴る。
わたしのだ。
「ごめん」
一言謝ってからチラリと画面を見る。
通知が一件。
クロくんからで、お給料は入れておいたから、というもの。
つまりは、あの吸血鬼は始末されてしまったというわけで。
そんな資格もないのに、胸が痛んだ。
「例えばだけどさ、舞白」
静かな声に、画面から顔を上げる。
「俺と薫と、一緒に行かない?」
「行くってどこに?」
「どこにしよう、どこがいい?」
いたずらっ子みたいに目を細めて笑う茜。
差し出された手。
高校生の頃よりも、がっしりとしたように見える手。
高校生の頃なら、なんの迷いもなく、三人でいれるのなら、と取れた手。
いまのわたしには、その手を取ることはできない。
「茜は、吸血鬼でしょう?」
「そうだね」
茜が、あっさりとうなずく。
「わたしは人間で、だから、一緒にはいられない」
真正面から見上げて、わたしはしっかりと言った。
「俺の父親は人間で、母親は吸血鬼なんだ。でも、舞白が危惧するようなことにはなっていない」
「……茜のお父さんは、噛まれたことがある人なの?」
「それは、ない、けど……」
茜の目が、あからさまに泳ぐ。
わたしは、緩やかに笑った。
バカにしたいわけでもないし、なにかが面白かったわけでもない。
ただ、笑う以外にどういう表情をすればいいのかわからなかったから。
「じゃあ、やっぱりわたしは一緒に行けないよ」
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