第74話 隣人は打算的⑦

「攻めてきたって、どういうことですか!?」


 キリルさんのもたらした凶報に、僕らは状況も分からないままその現場へと走っていた。

 先頭のキリルさんは振り返りもせず応じる。


「分からん!」

「分からん、って……こちらに被害は?」


 森の民に死人が出ていれば最悪だ。

 これまでホアンさんが抑えてくれていた森の民が暴発しかねない。

 何とか宥められる程度の被害に収まっていてくれ……!


 僕の願いに対し、キリルさんの答えは簡潔だった。


「被害は出ていない」

「は? 出ていないって……攻めてきたんですよね?」


 ホアンさんが目を丸くして問い返す。


「ああ。ヴェインの実力はうちの連中もよく理解しているからな。

 距離をとって様子を伺っている」


 距離をとる?

 そんなことをすれば、攻めてきた連中に荒らされ放題じゃないか。

 いやまて。ひょっとして……


「ひょっとして、ヴェインは一人なんですか?」

「は? いやまさか、いくら何でもそれは――」


 僕の言葉をホアンさんは否定しようとするが、キリルさんは振り返り真面目な顔で頷いた。


「ああ。何のつもりかは分からんが、たった一人で乗り込んできて喚いている」


 潜在的な敵地、手練れ集まる森の民の領域にたった一人で乗り込んできた。

 しかもそのたった一人に、森の民は手を出しあぐねている。

 その常軌を逸した事実に、僕らはゾッと顔を青褪めさせた。


(LV7ファイターって見立ては甘かったか?

 LV8以上となれば、正真正銘の英雄の領域だぞ……。

 僕らがどうこうできる相手じゃない)


 最悪、エルフのトップの力を借りればどうにかなるのか?

 だがそれでも、相当の被害は覚悟せねばなるまい。


(間違ってもまともに敵対していい相手じゃない)


 しばらく走っていると、リカントとハーピーの人だかりが見えた。

 そしてその中から、良く響く声が聞こえる。


「だから、カーン。てめぇじゃ話にならねぇ。

 ちょっと上の連中と話をさせろって言ってんだよ」


 人だかりをかき分けて中に割って入ると、その中心にぽっかりと空いた空間に、ヴェインとカーンさんが対峙していた。

 互いに武器は抜いていないが、その空気は張りつめている。

 いや、カーンさんだけがじっとりと汗でその毛を濡らしていた。


「お? お前ら……」


 僕らの姿を認めて、ヴェインは不敵に笑った。


「やっぱりお前ら、こいつらとつるんでやがったのか。

 となると、領主もグルだな」


 どうやら僕らの顔をしっかり覚えていたらしい。

 僕は面倒くさいという本音を押し殺してカーンさんの横まで進んだ。


「キリル……」

「カーン、無事だったか?」


 カーンさんの無事に安堵するキリルさんを、ヴェインは笑い飛ばした。


「少なくとも今日ここで、荒事を起こすつもりはねぇよ。

 ちょっと話を聞かせてくれって言ってるだけだ」

「我らの領域に押し入っておきながら何をぬけぬけと――」


 激昂するキリルさんを手で遮る。

 少なくとも今、相手に戦意がないのなら、わざわざこちらが藪をつつく必要はない。


 その様子にヴェインは面白そうに唇を吊り上げて言う。


「上の連中とじゃなけりゃ話にならんと思ったが、お前らも事情は分かってそうだな。

 ちょっと話を聞かせてもらえるか?」


 拒否するという選択肢は、残念ながら僕らにはなかった。




 初めてその男に会った時、自分が感じたのは苛立ちだった。

 同年代でありながら自分より遥かに上の地位にあるその男に、無能な貴族の分際でと、初対面で嘲り混じりの感情をぶつけた。

 その男の力を知りもしないで。


 その男の実力を認めてやる気になったのは、ともに二つの戦場を超えた時。

 一〇代から戦場に出て、数え切らないほどの修羅場を潜り抜けてきた自分。

 誰よりも戦果を上げ続けてきた自負はあるし、時に一兵士ながら戦局を覆したことも少なくない。

 そんな自分が対等の存在と出会うなど、いつ以来のことだったろう。


 それが勘違いだと気づくまで、さほどの時間はかからなかった。


 作戦における些細な対立。

 周りの人間は騒いでいたが、その程度は自分と奴にとっては日常茶飯事だった。

 その時の自分の目には、奴が提示した作戦は消極的なものに見えていた。

 だからより積極的な作戦を提示した――つもりだった。

 結局、奴は自分の意見を譲らず、その場は自分が引いて終わった。

 不満はあったが、その分自分が戦場で挽回してやればいい。そんなことを思って。

 あるいはその時、奴が浮かべた冷笑の意味に気づいていれば、何かが変わっていたのかもしれない。


 戦いは自分には思いもよらぬ形で終結した。

 自分が考えていた作戦よりも遥かに大きな戦果と、凄惨な結末をもって。


 そして自分は退役した。

 理由は誰にも言わなかった。

 ただ、周りの人間は奴との対立が原因だと勝手に騒いでいた。


 奴は何も言わなかった。

 その時、自分の心に合ったものを、きっと奴は自分以上に理解していたのだ。

 それはきっと奴にとって、ごくありふれた、馴染みのある感情だったはずだから。




「何を企んでるのか吐け」


 集まっていたリカントとハーピーの戦士たちを解散させ、この場に残っているのは僕ら三人とカーンさん、キリルさん、そしてヴェインの六人。

 簡単な人払いを済ませ、話ができる状態になるや否や、ヴェインの口から出たのが先ほどの言葉だった。


「……随分な物言いですね」


 思わず苦笑する。


 この場における交渉役は僕だ。

 カーンさんとキリルさんは事情を全て理解しているとは言い難く、またヴェイン相手では喧嘩腰になってしまう。

 二人はあくまで僕らの護衛として残ってくれていた。

 ちなみにキリルさんからは『いざとなれば自分たちが足止めしている隙に逃げろ』と小声で告げられている。

 つまりヴェインはそれほどの相手だということだ。


「何のことを仰られているのかわかりませんね」

「ガタガタ詰まらんこと言ってんじゃねぇよ。

 亜人どもと領主まで巻き込んで、てめぇら何を企んでるのかって聞いてるんだよ」


 ヴェインは眼光鋭く僕を睨む。

 下手に誤魔化していると切り殺されそうだ。


「企むと言われても、ねぇ……。

 中央政府がこの山脈で発見された鉱脈の開発を進めるよう指示してきたことはご存じでしょう?」

「ああ、もちろんだ」

「その開発によって土地を追われる森の民と、鉱山開発により農耕に悪影響がでることを懸念した領主様が手を組んだ。ただそれだけの話ですよ」


 敢えて余裕たっぷりに、ニッコリと笑って続ける。


「我々はそれに関して領主様に協力を要請された冒険者です。

 中央政府から様々な形で圧力がかかってきていますので、その対策要員としてね。

 昨今の集会・夜間外出禁止や、森の民による森の警備もその一環ですよ。

 特におかしな話ではないと思いますが?」


 嘘はついていない。

 実際、僕らがやっているのはそういうことだ。

 そして当然、その程度のことは説明するまでもなくヴェインも理解しているはずだが。


 彼は面倒くさそうに頭をかきながら口を開いた。


「あ~、聞きたいのはそういうことじゃねぇんだよ。

 そんなもんは所詮ただの時間稼ぎだろうが。

 その稼いだ時間で、何を企んでるのかって聞いてるんだ」

「さぁ? それは領主様にでも聞いたらいかがです?」


 はぐらかした僕に、ホアンさんがちらりと視線を向ける。

 作戦を話して彼を仲間に引き入れないのかと言いたいのだろう。

 けれど僕はそれを無視した。


(この人は……うん。僕らじゃだめだな)


「領主にも聞いたが何の返答もない。

 苦し紛れにもがいてるだけなら論外だが、どうだろうな?

 まるで希望がないって顔でもない」


 ヴェインはそう言って、意味ありげに間を置く。

 それにホアンさんが食いついた。


「それはつまり、見込みのある企みであれば手を貸してもいい、と?」

「さて……」


 ヴェインは笑うだけでそれ以上何も言わない。

 僕は嘆息し、諦めたように口を開いた。


「……我々も詳しくは知りません。

 ですが、領主様も森の民の長たちも、それなりに勝算を見出しているように見受けられました」

「ほう。あの宰相閣下の企みに対抗できる、と?」


 ヴェインの表情が面白がるように、あるいは嘲るように歪む。


「さて。そうした企みは知る者が少ないほど良いものです。

 領主様がお話になられないのであれば、恐らく誰に聞こうと同じ答えが返ってくるでしょう。

 ……ただ、その企みの結果が出るまでに、それほど時間はかからないのでは、と思いますね」

「どうしてそう思う?」

「我々は、長くとも二か月と期限を区切って雇われました」

「……なるほど。お前さんらが姿を見せて、もう一月近くになるか」


 ヴェインは顎に手を当てて考え込むような仕草をする。

 そして一〇秒ほどその姿勢を続けると、面白そうに笑った。


「つまりお前は、結果が出るまで黙って見守ってろと言いたいわけか?」

「さぁ? 少なくともこの領を守るための企みには違いないでしょう。

 あなたがこの領を守りたいのであれば、見守って損はないのでは?」


 僕の言葉に、ヴェインは自嘲混じりの苦笑を浮かべる。

 そしてそのまま何も言わず、森の外に向けて踵を返した。


 ヴェインの姿が見えなくなってしばらくして、僕らは緊張を解いて大きく息を吐く。


「……よかったのかい?

 事情を話して積極的に協力してもらわなくても。

 人格的に問題があるようには見えなかったし、頭の回転も悪くなさそうだった。

 味方になれば心強いと思うけど」


 ホアンさんがそんなことを口にした。


「多分無駄ですよ」

「無駄?」

「ええ。彼がもし僕らに協力する気があるのなら、事情を話さなくても協力してくれるでしょう。

 でももしそうでないなら、何を言っても彼の行動が変わるとは思えません」


 ああいう人間は昔何度も見た。

 彼は本質的に、僕ら格下の話を本気で聞こうとはしていない。


 疑問符を浮かべるホアンさんへの説明は後回しに、僕は後ろに控えていた二人に話しかけた。


「キリルさん、カーンさん。至急お願いがあります」


 僕の言葉に二人の戦士は驚くことはなかった。

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