第5話 ゴブリンと一緒④

「ギギィィ!?」


 覚悟を決めて放った僕の一撃は、ゴブリンの左肩にヒットし、裂傷を刻んだ。

 逃げ回っていた獲物からまさかまともな反撃が来ると思っていなかったゴブリンは、痛みと驚愕に表情を歪める。


(――どうだ!?)


 誰かが見ていたら、何ゴブリン相手にリアルファイトやってるんだよ、と突っ込まれるかもしれないが、僕としては命がけである。


(これで一撃……与えたダメージで言えば、ほぼ互角。

 馬車から落ちたダメージがある分、僕の方がまだ分が悪いか?

 くそっ! 落下ダメージのルールなんて覚えてねぇよ!)


 胸中で毒づきながら、連続で剣を振るう。

 精々軽く手習いを受けた程度、素人に毛が生えた程度の僕の剣は、今度はゴブリンの鉈に弾かれてしまった。

 そして踏み込み過ぎた僕にゴブリンの反撃が振るわれるが、僕はその攻撃にバックラーを割り込ませて防いだ。


(あっぶね、盾買っといて良かった)


 左手が塞がれ、両手持ちに比べ攻撃力は下がるし、一番安いので機能は最低限だが、やはり盾は偉大だ。

 接近戦において、回避判定への固定値補正ほど頼りになるものはない。

 実際、ミレウスとゴブリンのスペックを比べた場合、互いの攻撃の成功率は、この盾の分だけミレウスが有利なのだ。

 そして攻撃力も、武器の分だけミレウスが僅かに上。


(ゴブリンと一対一なら、普通なら僕の方が七:三、いや六:四で有利。

 だけど今は、馬車からの落下ダメージと突破した時の手傷がある。

 となると、僕の方が若干分が悪いのか?)


 ダメージがあるとは言え、ゴブリンと一対一で互角以下とは、自分が設計したとはいえどういう貧弱さだと突っ込みたくなる。

 とは言え、このまま単純にゲームシステム通り攻撃を繰り返していては、こちらが先にやられる可能性が高い。


(こんな小柄なゴブリンが、どうして曲がりなりにも訓練を受けた人間より強いんだよ!?)


 再び互いに一回ずつ攻撃を失敗させながら、僕は胸中で文句を垂れ流した。

 そして、ふと気づく。

 目の前のゴブリンの体格はせいぜい一五〇センチ程度。

 対する僕はギリギリ一七〇センチという設定で、明らかに体格では上回っている。


(そうだ……データ上も、僕は基礎能力ではゴブリンを上回ってるんだ。

 なのに互角っていうことは、技術というか戦闘経験で僕が劣ってるってこと。

 多分、ゴブリンは技術的にはファイターLV2ぐらいのスペックはあるんだ)


 思考が回りだす。


(つまり、技術に差があるだけ……だとしたら!)


 TRPGはTVゲームよりも自由度が高い。

 GMと仲間がそれを許せば、時に多少ルールを逸脱しても自由に行動することができる。

 そして今僕がいるのは現実。

 僕の行動を掣肘するものはどこにもいない。


「あぁぁぁぁぁっ!」

「ギギィ!?」


 僕は手にしていたブロードソードをゴブリンに向かって投げつけた。

そしてゴブリンがそれを躱した隙に距離を詰めてタックル、体格にものを言わせて押し倒す。

 それ自体、ゴブリンにほとんどダメージはないだろう。

 だが――


「泥仕合の殴り合いなら……技術は関係ないよな?」

「ギィギャ!?」


 僕はゴブリンに馬乗りになり、左手で鉈を押さえながら、思い切り拳をゴブリンの頭蓋目掛けて振り下ろした。


 ――ゴッ!


 子供の駄々っ子のような、手打ちの一撃。

 だが、この体勢になってしまえば、体格で劣るゴブリンに防ぐ術はない。

 ゴブリンも左手で僕に殴りかかってくるが無視する。

 上をとった僕の方が圧倒的に有利だ。

 怖いのは刃物だけだが、腕力で勝る僕に押さえ込まれ、ゴブリンは右腕を動かせない。


 ――ゴッ! ガッ! ドッ!


 何度も、何度も僕は拳を振り下ろした。

 硬い頭蓋を殴って拳に痛めているかもしれないが、アドレナリンで痛みは感じない。


――ドッ! ドッ!


「はぁ……はぁ……」


 気が付いた時には、ゴブリンはピクリとも動かなくなっていた。

 擬態ではないかと、ゴブリンの首筋に手を当てる――脈は、ない。


「死んでる……はは……」


 乾いた笑い声が、僕の喉から漏れていた。

 生き物を殺した罪悪感など、つゆほども感じていない。


「はは……ははははは! やった! 生きてる!」


 ただ自分が生き残ったという事実だけがこんなにも嬉しい。

 天を仰いで、馬鹿みたいに歓声を上げた。


「やった! 勝ったんだ、俺! やったぁぁっ!」


 思い返すに、その時の僕はどう考えても冷静ではなかった。

 別にゴブリン相手に何をそんなに喜んでるんだ、ということではなく。


「ギィ?」


 周りにはまだゴブリンの群れがいるっていうのに、何を大声を出してるんだってこと。


 草むらをかき分けて、一体、いや二体のゴブリンがこちらを見ている。

 包囲網を突っ切ったときの、あの個体かもしれない。


(ゴブリン二体……こっちは満身創痍。

 剣はどこいった……暗くてどこ行ったかわかんないや)


 現れたゴブリンたちが、僕の姿と、その下でこと切れた同胞の死体を目にして怒りの声を上げるのを、僕はどこか他人事のように聞いていた。


(あ……死んだわ、これ)


 ――諦めるのはやくない?


 誰かがそう、揶揄うように囁いた気がした。


 そしてまた、別の誰かの酷く不機嫌な声音が聞こえた気がした。


 ――血の匂いがすると思えば、汚らわしい。


(え……何だこれ? 精霊が、興奮してる?)


 ――【風精・広域展開・選別・蹂躙】


 次の瞬間、僕のシャーマンとしての視界が、失明するかと思うほどの膨大な風の精霊で埋め尽くされた。


(眩しい――いや、何だこの意味不明な情報量は?

 これってまさか、精霊魔法!?)


 僕の視力が回復した時、辺りは清浄な空気で満ちていた。

 あの醜悪なゴブリンの姿どころか、痕跡さえも存在せず、すべてあの風が消し去っていた。

 その現象に僕は心当たりがあった。


(まさかこれ……『聖嵐結界』? LV9、シーン内の全任意対象への広域殲滅魔法)


 間違いなく英雄級のシャーマンでなければ使えない大魔法。

 僕が下敷きにしていたゴブリンの死体さえ、気が付けば消滅している。


「驚いた?」


 突然真横から声をかけられた。

 驚いた。だが既に驚きすぎていて、反応する余力がなかった。


「はい、驚いてます」


 声のした方を向くと、見覚えのあるハーフハイトの男性が、しゃがみ込んでニヤニヤこちらを見ていた。

 この世界に来た初日に、冒険者ギルドの場所を教えてくれたあの男性だ。


 幾つかの足音と話声が近づいてくる。

 ゴブリンではない、人間のもの。


「……助かった」


 ほっとして、全身から力が抜ける。

 僕はニヤつくハーフハイトの顔を呆けた顔で見返し、安堵の涙を流した。

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