余所者あるいは半端者
のたのたと二十分歩いて着いたコンビニ、田舎特有と揶揄される類のだだっ広い駐車場のアスファルトが秋日に光っている。その傍に通った国道には車の影もなく、勿論通りがかる人など自分以外に見当たらない。
その広大な面積にも関わらずまばらにしか車のない駐車場、その少ない車の中になんだか見覚えのあるトラクターが止まっている。
ある種の確信を抱いて店舗の傍らに設置された喫煙所に視線を向ければ、案の定ふざけた柄シャツの厚宮がぼんやりと紫煙を燻らせていた。
声を掛けるかどうかを躊躇しているうちに、厚宮が一瞬早くこちらに視線を向ける。そのまま一瞬目を眇めたかと思うと、ひらひらと手を振ってみせた。
「甥っ子くんじゃん。何してんの」
「散歩と位置確認です。コンビニが近くにあるって叔父さんが言うんで」
「この辺唯一のコンビニだけどね。高槻んちそんなに近いっけ?」
「適当に歩いて二十分かかりましたね。評価が割れるところです」
「二桁かかったら都会だと論外扱いだよな。田舎だと許容せざるを得ない範囲だけど」
盛大に個人差があるよなと厚宮さんは煙草を片手に笑う。雑に染められてムラの目立つ茶髪が、秋の陽を透かしてやけに光って見えた。
「厚宮さんは何してるんですか」
「ん、煙草切れたんで買い出し。あとはまー、まっすぐ家帰んのもつまんねえしなって煙草吸ってたら君が来た」
つまりは暇だったということだ。その推測を裏付けるように、俺を積極的に追い払う様子もない。
俺としても特段予定も目的もなく歩いてきただけの人間なので、分類としては同じく暇人の枠だろう。このままコンビニで適当に何かしらを買うぐらいしか予定もない。言い訳が効かないくらいに、暇を持て余した人間の所業だ。
「せっかくだから話し相手になってくんない? コーヒー代ぐらい出すから」
「話し相手には普通になります。コーヒーはいいですよ……飲みたくなったら自分で買ってきます」
どうにか好意を断って隣に立てば、風の具合か薄く煙が流れてくる。
実家の父が吸っているものと同じ匂いがした。
「この時期だと外ぶらぶらすんの気分いいからね。もう秋だ……甥っ子君が来てから結構経ったかね?」
「そうですね。
「お盆の近くだったっけ」
歯並びが悪くて背が高くて髪が逆立ってて姿勢が悪い、総合してちんぴらだというのが
外見的なものについてはほとんどそのまま──映画の治安の悪い盛り場でしか見ないような馬鹿みたいな柄の服をちょくちょく着ているというものが追加されたぐらい──が、ひと夏を通じて関わってからは叔父よりは人間らしいし常識もあるということが分かったので、外見だけがちんぴらというくらいには俺の中の認識は変化している。見てくれだけで人間を判断してはいけないというのは道徳の基本のようなものだが、あまりにも素直にそういう真似をされるといまいち納得がいかないのも人情だろう。そういうところに意外性を持たれると手間がかかる。
「最初んとき、叔父さんと何か知らない言葉喋ってましたよね」
「そうだっけ? まあお互い地元だからね、方言ぐらい喋るよ。楽だもの」
「俺それがシンプルに分かんなかったんですよ。なんでとうもろこしがきみになるんですか」
「あれは三段活用みたいなやつじゃなかったっけ。とうもろこし、とうきび、きびできみ」
口開けないで喋ると何となく納得できるよと煙草を咥えたまま厚宮さんは続けた。
「そういや甥っ子君こっちの人じゃないもんな。分かんなくないこっちの言葉」
「たまに厚宮さんとかお年寄りが何言ってるかが分かんないことはあります」
最初に会ったときは連日理不尽な目に遭遇していたので、ただでさえ諸々に敏感になっていたはずだ。それが突然生活範囲にちんぴらじみた外見の見知らぬ中年が
臆病者の自分としては逃げようか通報しようかと迷うくらいには怖かったが、さすがに失礼になるだろうと口には出さないでおいた。
「方言はね。土地に住んでりゃ基本は嫌でも喋れるようになるけど、だからこそよその人間には難しいんだろうし」
「やっぱり自然に覚えるもんなんですか」
「そうね。俺はさ、生まれてこのかたずっとこっちだかんね。何なら今でも仕事で使うから、どっちかっていうと甥っ子君と喋るときの方にちょっと気合入れる感じではある」
この人の仕事が町役場勤務の公務員だということを未だに納得できていないが、叔父も同じことを言うのだから事実なのだろう。そんなところで甥に虚偽を吹き込んでも大して面白くもないだろうし、それをわざわざ確認に行くのも面倒ではある。そもそも他人の職業など基本的にはどうでもいいことだ。
「標準語喋れるんですね」
「そりゃ今はテレビとかラジオとかあるもの。発音はこう、引っ張られるけど……年寄り連中と比べたら、
厚宮さんの言葉に、祖父母の話している言葉がたまにひとつも分からなかったことを思い出す。一時期までずっと外国語を喋れるのだと信じていた。
その割には普段の生活で叔父の言葉が分からなかったことはあまりないなと気づく。意味や内容が分からないことはあるが、それはあの人の表現や脈絡の通し方が雑なだけであって、言語としては問題なく通じてはいる。
「叔父さんあんまり方言喋んないですよね。俺が喋れないせいかもしれませんけど」
「あー……そうね。君に合わせてるってのもあるだろうけど、そもそもあまり喋んないね、あいつ」
吐かれた煙が風に吹かれて、微かな匂いだけ残して消え失せる。秋の午後、風は驚くほどに冷え切っている。
「高槻んとこは……義一さん、君のお父さんもあんまり喋んないだろ」
「そうですね。あまり聞いたことないです」
「そういう方針、みたいな話を昔にしてたな。方言喋ってると他所行ったときにやり辛い、みたいな」
「よそに行く気だったんですかね」
「実際君のお父さんは家つうか
教育方針と言うことは祖父母が決めていたのだろう。どちらももう死んでいるので、どんな人だったかなどについては俺にはあまりうまく思い出せない。教職に就いていたということは知っているし、そのせいか子供の躾にも厳しかったらしいということはたまに父から聞いたことがあった。偏見かもしれないが何となく予想がつく。よく俺も小さい頃は蔵に閉じ込められたし、父も似た扱いを受けていたとも聞いた覚えがある。
それでも厚宮さんの言葉から想像できることもある。息子たちに
田舎の長兄が家を継がずに外へと逃れ、残った次男に全てが引き継がれているのは何かしらの理由があったのだろうか。
「叔父さんは出ていかなかったんですね」
「あいつ生活能力ないからなあ。都会、つうか知り合いとかいないところに出てったらすごい死に方しそうじゃん」
厚宮さんの言葉に、俺はそもそも自分が居候することになった理由を思い出す。初めて家の惨状を見たときは、事故物件よりは人が死んでいないよりはましだろうというのが咄嗟に自分に対して思いついた言い訳だった。ついでにこれまでの日常で叔父がしでかしてきた所業も思い出す。初手から蔵で犬になりかけたのはどう頑張っても忘れられない。
あんなに人間が上手にできないひとは、確かに縁のある地元ぐらいでしか生き延びられないだろう。
「そういや方言でさ、変な話あるぞ」
「何ですか。こんな天気のいい外で怖い話をする気ですか」
「いや疑問っていうか問題提起っていうか……」
煙を大袈裟に吹き上げて、厚宮は灰を落として続けた。
「俺が行ってた高校の前にさ、まーっすぐ続く坂があんの。そこを夜に通ると袖を引っ張られるっていうのがね、あった」
「夜っていつですか。そういうので条件が甘いのって危ないじゃないですか」
「そんな細かいこと俺に言われても。一応あれよ、一人だったりひと気がなかったりすると夕方でも駄目って感じではあったね。総合して暗くなって独りぼっち? みたいな条件なんじゃない」
長い坂道。暮れていく夕日と翳り暗闇が滲み始める足元。周囲には人影もなく、車の音ひとつしない。
怪談の舞台としては王道だろう。嫌だが想像はしやすい。できてしまうのがとても辛い。
「無理に抵抗すると服の袖がもげたり転んだりしてそれなりに怪我すんの。で、まああれよね。引っ張るやつがいるなっていうのが、その辺でずっと伝わってる」
「ずっと」
「役所の新人が同じ高校だったから聞いたらまだ現役だった。長持ちしてるよね」
怪談が長持ちするというのも妙な表現だが、言っていることはよく分かる。俺は黙って頷いた。
「で、そうやって長くいるからさ、対抗手段も一応あんの。『姉コ
「何ですかそれ」
「姉さんは医者の嫁になったよ」
「……言ってることは分かったんですけど、何でそんなこと言うと助かるんですか」
「さあ」
俺も全然分かんないと頼りにならないことを言って、厚宮さんは煙を吐いた。
「一応ね、市内に有名な火傷の医者様はいるよ。年寄り連中がみんなしてあそこの医者に行けば痕も残らないって言うようなところ。でも姉さんがどうこうは分かんないし、結局まとめてこの話に関係あるかどうかは知らない」
答えるべき文章が設定されているというのは納得はできる。何かを答えると助かるというのは怪談としては分かりやすい型だろう。答えの意味はよく分からないが、分かったところでろくなことにならないことだけは予想がつく。いつか見た歩道橋の女も似たような対応をしたな、と余計なことを思い出して背筋がひっそりと粟立つ。
「でもね、これ普通に喋ると駄目なの。放してもらえない」
「普通にっていうのはあれですか、標準語で……」
「『姉ちゃんが医者に嫁いだぞ』だと聞いてもらえないんだと。
「意味が同じでも駄目なんですか」
「駄目だって話だよ。俺試したことないから分かんないけど」
駄目だとどうなるのかを聞こうとして踏み止まった。袖をもがれるということ以上に詳しく聞くべきではないだろう。
それ以上もそれより悪いことも、普通にあり得るなら聞かない方が絶対にいい。適度な目の逸らし方が大事だということは、ここに住んで散々思い知らされてきた。
「パスワードみたいなものなんですかね」
合言葉は同じ形質・形状で使用されてこそ意味がある。同じ意味であろうが受け付けない言葉である以上は意味を為さない。
俺の言葉に厚宮さんは眉を寄せて、何度か煙を吐いてから答えた。
「パスワードっつうか……なんかこう、厳密な理由とかあるわけじゃなさそうだよな。何か嫌なんだと思うね俺は。馴染みがないから、ぐらいのような気がする」
「馴染みですか」
「慣れてない、っていう感じかね。んー……同じこと言われても、関係があるかどうかで受ける印象って違う、みたいなやつじゃないかなって。その好みで対応が変わる、みたいな。そういう雑な話」
随分な物言いだが、内容としては理解ができる。怪異の道理について推測しているのも妙な話ではあるが、人間の思考としてはありふれたものだろう。明らかな余所者よりも身内の方を優先する、人間ならばよくある対応だ。
馴染んだ言葉ならば受け入れる──翻せば、言葉を異にすれば同じものとして馴染めないということになるのだろうか。
すると叔父や俺の立場はどうなるのだろう。少なくとも根っからの地元の人間である厚宮さんからはどう見えているのかと考えて、何となく視線を逸らす。思考を読まれるなんてことはあり得ないが、それでも何かの気配が滲んでいないとも限らない。
「何かまた妙なこと考えてない? そういうの止めなよ、若者なんだから」
「年齢関係ありますかね」
「ないかな。でもあれよ、考えてもどうにもならないことってあるし、そもそも考えつくことがちゃんとしてるって保証もないし……大体のことは聞き流しといても何とかなるぜ、世の中。俺が言うのもなんだけど」
「聞き流すと致命的になること、結構ありません? 大学とか、役所とか」
「その通りだ。その辺はまあ、加減しろって話だな」
笑い交じりに吐かれた煙は秋風に薄れてすぐに消えた。
「帰りは乗ってきな、送ってやるから。また二十分歩くの嫌だろ」
灰皿に吸い殻を放り込んで、厚宮さんはこちらに視線を向ける。
なんとなくその目が俺を透かして別の物を見ているような気がして、俺はその目を見返さないように頭を下げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます