第8話
私の手のひらを通じて、ぬくもりがアラン様を包み込むのを感じる。そして目を開けると、そこにはもう傷口は存在しなかった。それどころか最初から傷なんて存在しなかったかのように血痕すら残っていない。魔法って本当に不思議だ。でも、何はともあれ。
「よかったぁ」
アラン様の手をひっくり返したり広げたりしてどこにも異常がないことを確認し、私は息を吐いた。
そんな私を三人は黙ったまま見つめていた。
「あ、あの? えっと」
「今のは」
「ハイヒール、です。さっき読んでた本に上位魔法でそういうのがあると見て……。アラン様の傷が思ったよりも深くてヒールじゃ治らなかったらと思ったんです」
「ヒールじゃ治らないって、そんなわけないだろう」
「そうなんです?」
ならヒールでもよかったのかもしれない。でもまあ、大は小を兼ねるっていうし。同じするなら強い魔法の方がいいじゃない。
って……。
「もしかして、ハイヒールだと何かダメなことがあるとかですか?」
「あ、いや、そういうわけではないが」
「ならよかったです」
「……よくないです」
ホッとする私に、声を震わせたのはキースだった。
「アイリ様、これがどういうことかおわかりですか?」
「どういうことって……魔法が使えたってことですよね?」
「はい。アイリ様はヒール、ハイヒールという聖魔法を使われました。この魔法は、聖職者しか使うことができないのです」
「聖、職者?」
「ええ。しかもハイヒールとなればその中でも司教様、いえ大司教様クラスの方じゃないと使えないのです」
キースの言葉の意味がわかったのはたっぷり30秒は経ってからだった。
「私、もしかして凄い魔法を使ってしまったんでしょうか?」
「もしかして、ではありません」
「……アイリ」
慌てる私に、アラン様が真剣な表情で声をかける。その表情に、いったい今から何を言われるのかと身構える。けれどそんな私を安心させるように、アラン様は優しく微笑んだ。
「アイリ、今から大事な話をします」
「はい……」
「あなたの魔力は今の私たちでは測ることができません。これはつまり、私たちよりもあなたの方が魔力値が高いことを表しています」
「そんなわけ……」
「そして今、あなたが使われた聖魔法、これらのことを考えても、アイリ。いえ、アイリ様――おそらく、あなたは聖女です」
その言葉に、私は驚きを隠せなかった。
私が、聖女。
おそらく、という言葉をつけてくれたはいるけれど、アラン様やキース達の表情を見てもその可能性が非常に高いんだということは想像がついた。
でも、そんなの……。
「で、でも! あの人は! クリス様の魔導師は私は聖女ではないと――」
「それは完全にその者の誤りです。この状況でアイリ様が聖女ではないなどと、そんなことはあり得ません」
「あり得ないんですか?」
「はい」
いつの間にかアラン様の口調が、そして私の呼び名が元の通りに戻っていた。おそらく聖女であると、判明したから。
……ん? 待って、ということは。
「じゃあ、私が聖女なら聖女の力を使ってみんなの役に立てば、元の世界に戻す魔法を国王様が使ってくれる可能性もあるってことですか?」
そうだ、私が聖女じゃないからそんな魔法を使ってくれるわけがないっていう話になっていたけれど、本当に聖女なら話は変わってくる、はずだ。最初にアラン様は言っていた。国王なら私を元の世界に戻す魔法が使えると。なんだ、むしろ聖女だってわかった方がラッキーなのでは? ただ国王が私に魔法を使ってもいいって思ってくれるようなことって、一体何をしたらいいんだろう。
そんなことを考えていると、アラン様は口ごもってしまう。
「アラン様?」
「それは、難しいと思います」
「どうしてですか!?」
「……アイリ様が聖女であることが知られるとどうなると思いますか?」
「どうって……」
そう言われても困る。知られたからといってどうなるっていうのか。本来なら国難に立ち向かう人々を助けたりその希望になったりすることが仕事なんだろうけど、今はたしか特に何もない、言うなれば平和な時代だとキースが言っていた。そんな中、聖女がいると知られたからってなにがあるわけでもないと、思うんだけれど。
「……我が国では召喚された聖女様は一人を除いてもれなく時の王、もしくは次代の王と婚姻を結んでいます」
アラン様の言葉に、私は嫌な予感に襲われた。
次の王はクリス様だと聞いた。
つまり……。
「元の世界に戻られた方はいらっしゃらない。戻る魔法はあるけれど使われたことはない、ということです。今回、アイリ様が聖女だとわかれば――おそらくクリスとの婚姻がアイリ様の意思とは関係なく決定するかと思います」
「そんな!」
これで元の世界に戻ることができると思ったのに、むしろ聖女だとわかる方がリスキーだなんて酷い。それに望んでもいない結婚なんて……。
「むしろクリスはそれを望んで聖女を召喚しようとしていたはずです。聖女と婚姻を結べば、確実に王太子になれるから。……そんなことしなくても、私が王になることなどあり得ないのに」
「アラン様……?」
「ああ、なんでもないです。ですので、アイリ様。今のあなたにある選択肢は二つです。一つは聖女だということを話し、国で保護してもらいそしてクリスと結婚しこの国の王妃になる。もう一つはこのまま聖女であることを隠し私の元にいて帰る方法を探す」
「ここにいます!」
返事は決まっていた。今更やっぱり聖女だったからクリス様と結婚して王妃になれと言われても困る。私は絶対に元の世界に戻るんだから!
……それに、どうせお世話になるならアラン様の方がいい。
「って、私は何を考えてるの!」
「アイリ様?」
「あ、いえ。なんでもないです。なので私はできればこちらでお世話になりたいと思うのですが……。でも、聖女を匿っていたなんてことがバレたらアラン様にとってマイナスじゃないですか? 私のせいでアラン様が誰かから責められたりするのは……」
「アイリ様はお優しいですね」
「え?」
「ですが、今はご自分のことを心配なさってください。幸い私たち程度の魔力ではあなたの魔力値を鑑定することはできません。ですがもし聖女であることがわかってしまえば……」
その先は言われなくてももうわかる。頷く私を見て、アラン様は優しく微笑んだ。その笑顔に少しだけ緊張がほぐれていく。
「安心してください。ここにいらっしゃる限りは私があなたをお守り致します。そして、元の世界に戻る方法もきっと見つけてみせますので」
「ありがとうございます」
お礼を言って微笑み返す私に、アラン様もホッとした表情を見せた。
そのあと、魔法について色々聞いているとふいにアラン様が尋ねた。
「そういえばどうしてヒールを試そうと思われたのですか?」
「どういうことですか?」
「いえ、本来教本にはファイヤやアクアなどの初歩的なものが載っているはずなのに、と思いまして。アイリ様は聖属性の魔法が使えるのでヒールで問題なかったわけですが……ああ、もしやヒールに何か惹かれるものがあったとかでしょうか?」
聖女に対して並々ならぬ期待を抱くアラン様の目を、私はそっと反らした。
「アイリ様?」
「いえ、その……最初は他の魔法も試そうとしたんですが、この部屋の中でファイアを使って燃えたら嫌だな、とかアクアを使って水浸しにしたらどうしようと思うと不安で」
「ああ、そういうことですか。ファイアやアクア程度でしたらこの程度のものですよ」
アラン様が「ファイア」と唱えると指先に小さな炎が浮かび上がる。なんていうか花火の時に使う着火ライターに似ているような……。でも私が想像したような大きな火ではなかったのでホッとする。これなら私も使ってみても大丈夫かもしれない。
「そうなんですね! じゃあ、私も――」
「待ってくださ……!」
「ファイア」
今度はさっきよりも簡単に魔力を練り上げることができた。そして唱えた瞬間――魔力は霧散した。
「あれ? どうして?」
「……ああ、よかった。アイリ様は火属性とは相性が悪いようです」
「相性? それによかったってどういうこと?」
私の疑問にキースはあっさりと答えた。やけにホッとした表情を浮かべて。
「この世界には火・水・風・土という四つの元素が存在します。さらに稀なるものとして聖、そして闇があるのです。この中の一つもしくは複数を大なり小なりみなが持っております」
「アラン様やキースもですか?」
「ええ。アラン様は四大元素全て、私は二つです。私たちが持つ力については別の機会にお話ししましょう。今、アイリ様は聖属性の魔法を使うことができますが、魔力値が大変高いので二つもしくは三つ以上の属性の魔法が使えるのでは、と思いましたが……」
「ちなみにさっき私がファイアを使おうとしたときにキースはとめようとしたよね? あれはどうして?」
『ファイア』と唱えようとした私の言葉を慌てた様子でキースが遮ろうとしているのに気づいていた。けれどアラン様のような着火ライター程度なら大丈夫だろうと思ったんだけれど。
でも、そんな私の疑問にキースはため息を吐く。
「気づかれていたのであればおやめ頂きたかったです。……アイリ様は初めて魔法を使われたということもあって魔力の操作ができておりません。逆むけを治そうとして身体中の傷全てを治してしまったのがその証拠ですね。おそらく今アラン様と同じ魔法を使われたとしてアイリ様の魔力値なら……そうですね、この部屋を軽く飲み込むような火球ができあがるかもしれません」
「あはは、まさかそんな」
「…………」
「アラン様。キースの冗談、ですよね?」
キースなりの冗談、異世界ジョーク的なやつだと思ったのに、笑う私の隣でアラン様とキースは眉間に皺を寄せて考え込んでいた。
いったい二人にそんな表情をさせるなんて私の魔力値どうなってるの……?
そういえばさっきキースが使っていた『鑑定』という魔法。あれは私には使えないのだろうか? 使えれば自分の能力を知ることができるのに。でも、言われないということはきっと使えないか何か言わない理由があるんだろう。
そんなことを考えている間も、キースは話を続ける。
「ですので、ファイアが発動しなくてホッと致しました。とりあえず、今は知識を増やすことにして魔法自体はもしアイリ様がお使いになりたいということであればそれ相応の場所を用意致します。それまでお待ち頂けますか? 他の属性の適性も確認はしておきたいところですし」
「わかりました……」
「そんな顔をしないでください。魔法を発動せずとも先程のように魔力を練り上げることによって魔力操作の技術を上げることはできます。そうすればいざ魔法を使うときに思わぬ事態を引き起こすことを避けることができます」
「思わぬ事態、ですか?」
「ええ。大きすぎる魔力は使う本人も、そして周りにいる人間をも巻き込むことがあります。それは大切な人を守る力にも、そして傷つける力にもなるのです」
キースの言葉に、背筋が寒くなるのを感じた。大切な人を傷つける力に……。
そんなこと考えたこともなかった。魔法を使おうと思ったのだって興味本位だ。本の中で見た、ファンタジーの世界を味わえる。それだけだった。その力が誰かを守る力にも、そして傷つける力にもなるなんて……。
「アイリ様……」
「私、いらないです」
「え?」
「聖魔法は癒やしの魔法なんですよね? なら聖魔法以外、いらないです。私の力が誰かを傷つけるなんて、嫌だ。どうせなら誰かを守る為に、そして癒やすために使いたい。傷ついた人の身体を、心を癒やすために魔法を使いたい」
「――その気持ちがあれば、大丈夫です」
私の言葉に、アラン様は、ううん。キースもそしてイヴァンも優しく頷いていた。その表情の意味がわからず思わずアラン様を見上げる。アラン様は私の手を取ると、まっすぐに目を見て言った。
「そんなふうに思えるアイリ様であればきっと誰かを傷つけるために魔法を使ったりなどしないと私たちはそう思います」
「そうで、しょうか?」
「ええ。それでも不安になることもあるでしょう。そのときは私たちにいつでもその気持ちを吐き出してください。どうすれば解決するか、しないときはどのように乗り越えればいいか、一緒に考えていきましょう」
「ありがとうございます」
アラン様の言葉は不思議だ。胸の奥にストンと入ってきて、さっきまでの不安だった気持ちが払拭されていくのを感じる。言葉に力を感じる。もしかしてこれは、何かの魔法だろうか。そういえば昨日もアラン様と話をすると気持ちが落ち着いて、何故か安心できた気がする。
「あの、アラン様は今何か魔法を使いましたか?」
「どうしてですか?」
「アラン様の言葉でさっきまで感じていた不安が一気になくなって……。だから何か安心できるような気持ちが落ち着くような魔法を使ってくれたのかと思ったんです」
「そんなことしていません。ですが、そのように言ってくださってありがとうございます」
どうしてだろう、アラン様の頬が少し赤くなっている気がする。
コホンと咳払いをするとアラン様の代わりにキースが口を開いた。
「それでは魔法を使ってアイリ様もお疲れでしょうから私たちはこれで失礼します」
「あ、はい」
露骨に話をそらされた気がするけれど、なんとなくそれについて聞くことはできなかった。
そして別に疲れているわけではなかったけれど、気を遣ってくれたんだろうなと思って素直に頷く。
そんな私に微笑むと、アラン様はキースを連れて部屋を出て行った。残されたイヴァンも部屋の外で警護をすると言って私はまた一人になった。
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