君はサンタクロースだけを待っている。

フランシスコ家光

第一部 青年は夢の船に乗る。

バサバサプロジェクト

第一話 君はサンタクロースを待っている。

「はっ」

 少年は、目の前で繰り広げられている光景になにも感じない自分が急におかしくなって、声にならない笑い声を上げた。口角はわずかに上がっているが、その目は死んだ魚のように微動だにしていない。

 少年が見ている光景は、二頭の龍が火を吹きながら取っ組み合っているという、"ごく普通"の光景である。赤く雄々おおしい龍が、青く上品な龍の挑発に乗ったのだ。

 両者の実力は互角。どちらの龍も相当のエリートである。

「おう、レイ!てめえ、最近大規模な戦争がないから身体なまってんじゃねぇか?」

 雄々しい赤い龍は炎を吐き出しながら言った。

「そういうホムラこそ、今日はやけに炎がぬるいじゃないか。キミは炎の火力超エリート級だというのに。あ、まさかミスティアに褒められたことがそんなに嬉しかったの?あーあれ、ボクの計らいだからね。感謝してよ」

 先ほど赤い龍、ホムラのヒゲの短さをからかったばかりだというのに、青い龍、レイはなおも挑発を続ける。その顔には余裕の笑みが浮かべられており、声にもあからさまに笑いが混じっている。

 対するホムラは鼻息を荒くして、爆発してしまいそうなほどに口の中で炎を転がしている。

「てめえに感謝ぁ?するわけねぇだろうが!ちぃっ、余計なことしやがって。今日こそ決着つけてやるよ!」

 一言一言、話すたびに地団駄を踏むので、ホムラの足下では地割れが起きている。


 この様子を、少年はぼんやりと眺めていた。

「どうして、こんなのの中にいるんだろう、僕は」

 そう呟くと、少年の意識は徐々に霞がかり、ついに何も考えられなくなった。


ピピピ、ピピピ、ピピピ……


目覚まし時計の呼ぶ声が聴こえる。少年は真っ白な世界から、いざなわれるままに現実へと意識を戻していく。



  一、〈君はサンタクロースを待っている。〉


 青年、手塚裕太てづかゆうたはゆっくりと上体を起こした。身体が重い。動かすたびに軋む感じが何とも言えずだるい。寝巻は色が変わるほど湿っており、肌に張り付く感じがまたなんとも気持ち悪い。

「はぁ、最悪な目覚めだよ、まったく。今日から学校だっていうのに」

 裕太は今日から高校二年生だ。教師から散々脅されている通り、今年からは遊ぶ暇など全くなく、来年のために勉強やら進路相談やらに明け暮れる日々が待っている。

「ま、余分なことがない方が退屈しなくていいや」

 これから始まる勉強生活に胸を膨らませながら、裕太は朝食の用意を始めた。叔父が同居しているが午前中は起き出してこないため、朝食は裕太ひとりで取る。今日はベーコンエッグだ。


 黄身の火の通り具合、ベーコンの焦げ目、そして付け合わせに用意したほうれん草のおひたしの出来、そして大根の味噌汁。どれをとっても完璧だ。かつてない自信作のベーコンエッグ定食を前にしてほくほく顔の裕太。その腕前はもはやプロだ。

 裕太にとっては全てがどうでもいいのだ。どんなに素晴らしいものでも、三年前まで見てきたものに比べればチープに見えて、それに対する感動など微塵も感じられない。ある意味で、目が肥えすぎてしまっているのである。そこで裕太は、ならば普通に生きていたら手が回らないであろうところに感動して生きていこう、と考えたのだ。

 そうして裕太がたどり着いたのが、料理である。本で調べ、インターネットで調べ、定食屋を営む友人の父に直に話を聞き、部員でもないのに料理研究部に入り浸り、ありとあらゆる手段を用いて料理についての技術や知識を得た。そして一年間、家にいるときはほとんど料理の研究をして過ごしてきたのだった。

「ベーコンエッグ定食は上手く作れるんだけどなぁ。やっぱり料理は難しい」

 それだけの時間を費やしても、裕太がプロ級に作れるのは好物である目玉焼き、おひたし類、味噌汁、サラダのみで、それ以外は平均的な腕前だ。それでも男子高校生にしてはなかなかのものではあるが。

 達成感と幸福感をモクモクと噛みしめながらベーコンエッグ定食を完食すると、手早く食器を洗い、裕太は支度を始めた。

「でもまあ、支度しようにも、授業はないからただカバン背負って歯を磨くだけなんだけどね」

 裕太はそう言ったが、実際には一科目ある。倫理という授業で、教科書を使わない他あまりにも退屈な内容であるため、裕太はその時間を、〈寝る時間〉として授業にはカウントしていない。明らかなるサボタージュだが、それに対する裕太の言い訳は、「だってプリントを見れば内容がわかるし、提出課題も楽勝なんだもん」である。



 手塚宅から学校まではあっという間の十五分。大きな道に出たらまっすぐ進んでバスに乗り、着いて二分で到着だ。バスの中では友人の三田翔みたかけると話しているから本当にあっという間だ。

「手塚。なんでお前はこうも夢のないことしか言えないんだ!」

「なんでもかんでもないよ。君の言ってることはこの世界じゃあ実現不可能だ。僕こそ知りたい。なんで君はそこまでぽんぽんと口から理想論が飛び出してくるの?夢みがちだって言われない?」

「言われるけどさ!にしたってお前は夢がなさすぎると思うぞ。なんだよ、『人間はどうしたって飛べない。翼なんて生えないし、そもそも飛ぶようにできてない』って。そりゃあ事実、生物学上そうなってるよ?だからなんだ!遺伝子組み換えだとか機械で飛ぶとかあるだろ!」

「機械で飛ぶにしても、人間は空気抵抗が大きすぎる。滑空程度の時間ならまだしも、君の言うようなバサバサ空を飛ぶような体験はできない」

「決めつけんのはよくない。俺はバサバサやりたい、生身でな。そうできる手段がどっかにあるはずだ!」

 裕太と翔の会話は、大体いつもこのような具合だ。久しぶりの再開のためか、いつもより熱が入ってはいるが。そしていつも、

「だから言ってるじゃないか!この世界ではそれは──」

「戸中井公園前、到着です。ご乗車ありがとうございました」

 こうした形で打ち切られる。大抵はその時点で二人は絶交スレスレのため、どちらかが先に降りてスタスタと歩いていってしまう。

 今日は裕太が後から出る方だった。バスを降りるといつものように、バス停横のベンチに腰掛けて頬杖をつき、何をするでもなくそこにいるのだが、今日は少し違った。

 バスを降りた人たちがはけたのに、バス停から少し離れたところに立って、裕太と同じように何をするでもなく宙を眺める少女がひとり。少し茶色がかった髪の毛を後頭部辺りで束ねるリボンの赤が目を引く。少女は私服を着用してるので生徒というわけでもなさそうだ。

 いつもは誰もいなくなるだけに、裕太にはこの少女という異分子が、ありふれたジーンズを芸術へと変質させる破れ目のような、この退屈な世界に注ぎ込まれたスパイスに見えた。

 別段、今は何をしてもいけない時間というわけではない。むしろ、遅刻スレスレまでのこの永く憂鬱な時間に、見かけない少女というスパイスは魅惑の刺激である。

 はやる好奇心を押し殺して、裕太は座ったまま少女に声をかけた。

「ねえ、君さ、何してんの?」

 裕太自身も驚くほどぶっきらぼうな声が出た。しかし裕太にとっての今の最優先事項は、この少女は何者なのか、何をしているのか、どんな人物なのかを知ることだけであり、嫌われるか否かなど問題ではないし、ジャブを打つほど時間があるわけでもない。

 果たしてこの少女は、僕の言葉を無視しているのか、聞こえていないのか、などと裕太が疑いはじめるくらいの間を置いて、少女は口を開いた。

「あなたは、サンタクロースさんですか?」

 放たれた言葉は裕太が予想したどの珍妙なセリフよりも突拍子もなく、意図の読めないものだ。だがそれも一興。退屈をしない会話になりそうだ。裕太にそう思わせ、この少女との時間に引きこむ一言であった。

 裕太は立ち上がり、ベンチの少女に最も近い側の端に腰掛け直した。はたから見ればただのナンパである。

「いいや、僕はサンタクロースじゃあないよ。でも、サンタクロースって呼ばれている男を知らないわけじゃない」

 裕太にとってはサンタクロースなど珍しいものではない。しかしここは異世界ではない。この少女が求めているのが裕太のよく知るサンタクロースでないことは裕太もわかっている。相手に合わせた、といったところだ。

「えっ、」

 これは単なる会話の導入だと思っていたのはどうやら裕太だけのようで、少女はぐるりと振り向くと、裕太を押し倒さんばかりの勢いと迫力で詰め寄った。

「本当ですか⁉︎それはどんな人ですか⁉︎今からお会いできますか⁉︎」

 まさに、目がマジだ、という表現がぴったりと当てはまる形相ぎょうそうで裕太の胸ぐらを引っ掴む少女は、身長こそないが、そこらの男たちをはるかに凌駕りょうがする男らしさを放っている。

 これまでにこの程度は目ではないような迫力の怪物を見てきたはずだが、この少女の圧力に、裕太は気圧されている。

「あ、ああ。確かに知ってはいるよ。さすがに今すぐとか、今日会ったりはできないけど…」

 この裕太の返答に、少女の気迫はいくらか弱まった。裕太はこれを好機と見て、少女をそっと退けていそいそと少しばかり距離を取る。少女の顔立ちが愛らしいだけに、先ほどの状態のままでは平常心が保てなさそうだったのだ。

 すぐにはサンタクロースに会えないと知った少女は、しゅんとなりながらも質問を続けた。

「どんな人なんですか?」

「サンタクロースなんて、ロクなやつらじゃない。自分勝手な存在だよ」

 裕太がすまして答えると、少女はむっとした表情を浮かべた。

「そんなことないです。私が待っているのは、優しいサンタクロースさんなんです」

 懸命に訴える少女の姿は、裕太の目にはとても滑稽に見えた。

「へぇ。あんな偶像に、よくそこまで夢中になれるね」

この世界において、サンタクロースは単なる空想上の存在に過ぎない。「サンタクロース」という職業があるが、世に言う"サンタさん"とはまったくちがった存在である。

「あなたも…私を馬鹿にしてるんですね。私は、サンタクロースが会いに来てくれるのを真剣に待っているんです。茶化さないでください」

 くるっとターンし、少女はまた元の姿勢で佇んでいる。裕太がどう声をかけても、「あなたに興味はありません。帰ってください」の一点張りで、もう話をしてくれそうにない。

 ふと、裕太の頭に名案が降りてきたが、腕時計は始業式の十分前を告げている。仕方なく学校に向けて歩みを進めるが、校門をくぐっても、クラス分けを見ても、教室に着いても、裕太の頭からサンタクロースを待つ少女の姿が消え去ることはなかった。






 ちなみに、本編の進行とは全く関係がないが、手塚裕太は両親の離婚に際し、父親が親権を持っていたものの、父親が「あいつとの繋がりを断ちたい」という身勝手な理由で叔父の養子にされた。そのために叔父と二人暮らしをしているわけだが、叔父の方が本当の父親よりも父親らしく接してくれるので、裕太は叔父を〈父さん〉、父親を〈あの人〉〈アンタ〉と呼ぶ。叔父やその他の親族などは登場機会があまりないので、ちょっとした裏設定である。

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