86話 魂
「それじゃっ、おにーさん、あそぼーっ」
「え……? 遊ぼうって、一体……」
「こうやって遊ぶんだよ。ふふっ――」
「――はっ……?」
チクッとした痛みが頬付近に走って、恐る恐るその箇所を触ってみると、僕の指に血がべっとりと付着していた。この子に指一本すら触れられてもいないのに、一体どうして……。
「あれぇ? おにーさん、そんなに驚かないんだ。すごーい。
「……」
なるほど、大体読めてきた……。おそらく、この【精神世界】ではすべてが彼女の思うがままだし、招き入れた他者の精神に対して、色々とイメージするだけで自由に傷つけることができるんだろう。
つまりは錯覚のはずなんだけど、そう思わせないのはここが絶対に侵されない
「さすが冒険者さんだねっ。じゃあ、これはどうかなっ……?」
「っ!?」
強烈な痛みが右腕を襲ったと思ったら、前腕部分が中心からぐにゃりと直角に折れ曲がっていた……。
「ぐ、ぐああぁっ……!」
「ふふっ。痛い? 怖い? 苦しい……? 思いっ切り泣き叫んでもいいんだよ。そしたらね、アリスがすぐに治してあげるっ、よいこよいこしてあげるっ……」
「ぐぐぐっ……」
絶対に負けるもんか。これはあくまでもアリスっていう子の【精神世界】だ、まやかしに過ぎないんだ……! それでも、尋常じゃない痛み、吐き気、目眩がしてきて汗がどんどん顎を伝って零れてくるけど、負けたくないので必死に堪える。
「……変なの。おにーさん、なんでそんなに頑張ろうとするの? 一杯泣き叫んでアリスをうんと喜ばせてくれたら、すぐに楽にしてあげるのにいっ……」
「……」
それはそうなのかもしれないけど、絶対にこの子の言う通りにするわけにはいかない。こういうただ残酷なだけの遊びなんて、全然楽しくないんだってことをわからせてあげないといけない……!
「それならぁ、もう一本っ……!」
「ぐ……ぐはあぁぁっ……!」
今度は左足を折られて、僕は立っていられなくなった。
「うふふっ。どう? 降参するぅー?」
「ぐ、ぐぐっ……」
ま、まだまだ……。僕はアリスを見上げつつ笑ってやった。すると、それまで勝ち誇っていたアリスの顔が徐々に歪んでいくのがわかる。
「何このオモチャ、つまんなーい……。もう壊しちゃおうかなあ……」
「うぐっ……!?」
気付けば、信じられない圧力が僕の首にかかっているのがわかった。このままじゃ窒息するどころか、首がねじ切られる……って、あれ? 力が弱まった……?
「ふふふっ、どうするー? 今までのこと、ちゃんとアリスに謝ってひれ伏するなら、これ以上いじめるのはやめてあげるよ……?」
「……嫌、だ……」
「……」
僕がそう絞り出すように言ったとき、彼女の目の奥が光るのが見えた。
「どうして? ねえ、どうしてそんなに頑張れるの? 冒険者ってそういうものなの……?」
「……そうさ……こんな虚しい世界より、ずっと楽しいよ……。思い通りにならないことも多かったけど、だからこそチャレンジし甲斐があると思えて頑張れたし、その結果今がある……」
「ふぅん……。冒険者って自信家でもあるんだねえ……。でも、アリスの【精神世界】では、なあんにもできないよね?」
「今はそうかもしれない……けど、諦めなければ必ず道は開ける。僕はずっとそうやって生きてきたからわかるんだ……」
僕の前向きな言葉にアリスが動揺したのか、【精神世界】が微かに揺れるのがわかった。
「そ……そんなの、嘘だもん……ただの強がりだもん……!」
「君は……本当の喜びを知らないだけだ……。自分の力で、厳しい現実を打開していくということの喜びを……。それがたとえ、ほんの僅かな変化であっても……」
「……い、嫌……そんなの絶対嘘……現実なんて、嫌なことばかり、傷ついてばかり……なのに……」
「……それでも、僕は諦めたくない、負けたくない……こんなところで死ぬわけにはいかない……!」
「……嫌ぁ……嫌ああああぁぁぁっ……!」
アリスが頭を抱えて後ずさりしていくたび、部屋が傾いたかのように大きく揺れ、絵画や箪笥、鏡台や燭台……色んなものが床に落ちたかと思うと消えていった。そんな中、僕は自分の体が元に戻っただけじゃなく、自由が利くようになってきたのがわかる。いよいよ壊れ始めているんだ、彼女の【精神世界】が……。
「……え……嫌っ、どうして動けるの……?」
アリスは僕が普通に歩いてるのが余程不思議らしく、壁を背にして驚愕の表情を浮かべている。
「それはね、アリス。ここが【精神世界】だからだよ。だから、心が強いほうが勝つんだ……!」
「……い、嫌……来ないでえぇ……」
「怯えないで。現実っていうのはそんなに怖くない。それに、こうして自分の【精神世界】に他人の心を呼び込むこと自体、君が現実を求めてる証拠なんだ。だから、もっと自分の気持ちに素直になるんだ……!」
「イヤ……イヤアアアァァァァァッ!」
アリスの悲鳴がこだましたとき、僕は周囲の視界がねじれてバラバラになっていくのをはっきりと感じ取ることができた……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます