そしてホンコン- 1964年の香港にタイムスリップしたら妻⁉︎が……

高円寺実

第1話 

 あれは数年前に私が友人を訪ねて香港に行った時の事だ。

 

 久しぶりの香港なので、夕食後にスター・フェリーの乗り場辺りから香港島の100万ドルの夜景を見ようと、九龍サイドの油麻地地区にある民宿が入っているマンションを出た。


 地下鉄で行くと二駅しか無いので、気候も良いし散歩がてら歩いて行こうと思い、まず高速道路下の通りを南下する事にした。


 どちらを向いても高層ビルが立ち並び、往年の混沌とした香港の面影や何処に、などと年寄り臭く嘆いていた所、クラッと目まいがした。たいして酒を飲んでもいないのにと思いながら高層ビルの入り口近くの低い生垣の前に座りこんでしまい、目をつぶると瞼越しに強烈な閃光が走った。


 閃光が収まり、体が浮いたような気がしたので目を開けると、一瞬意識を失っていたかの様に徐々に目が覚めてきた感じで、気がつくと尻餅をつき、商店の様な建物の頑丈そうな横開きの、蛇腹のシャッターに寄りかかっていた。


 高層ビル入り口の生垣の横にいたはずだと思いながら、ボーっとしながら辺りを眺めていると少しづつ周りの景色がハッキリと見えてきた。


「あれ……」


 辺りは、今まで有った高層ビル群はどこにも見えず、頭上を走っていた高速道路は姿を消していた。もう少し南下すると、有ったはずの高速道路が左に大きくカーブするところだ。


 ひどく暗かった。


 キツネにつままれたと言うのはこんなことを言うのだろう。目をつむって頭を振りながら深呼吸をしてみた。


相変わらず暗い。


 夢でも見ているのかなと思った。さっきまでと周りの様子が全く違っている。道路の右手の先にぼんやりとした明かりがちらほらと見えて、揺れていた。


目を凝らしてよく見ると、なんと無数の幌付きの小舟が隙間なく停泊しているではないか。これはおかしいと思い、少し落ち着くべく暫く目を閉じた。


目を閉じていたら、フッと思い出した。この景色見た事があるぞ!


そうだ、今まで油麻地と言う地区を歩いていた。もしその時と同じ場所にいるとすれば、位置関係からすると私は油麻地の避風塘(台風シェルター)内の蛋民の居住用サンパン(小舟)が集まっている辺りを見ている事になる。段々と頭がハッキリして来た。


 道路を横切り反対側に渡って係船岸まで来て見た。蛋民のサンパンだらけだ。


 何て事だ……!


 何らかの理由で意識を失っている間に、自分の古い記憶に迷い込んでしまって夢の中で夢遊体験をしているのか、はたまた時空を横切って「あの時代」に迷い込んでしまったのか?

 

 「あの時代」とは、学生時代に香港に行った時だ。1964年だった。その時見た、あのおびただしい数のサンパンが岸をびっちりと隙間なく埋め尽くしている珍奇な情景が、目の前にぼんやりと広がっているのだ。


先ほど歩いていた通りは、渡船街(フェリー・ストリート)だった。そう言えば渡船街はかつては海岸べりを走っていたのだ。


サンパンが群がっている避風塘内の辺りはとうの昔に埋め立てられて、今さっき見ていたようにビルがにょきにょき建っているはずの辺りだ。


困った!

香港島の夜景どころではない。


宿をとったマンションに戻ろうにも、辺りを見てもそんな高層ビルはひとつとして建っていない。


この辺りは暗くてなんとも物騒な感じだ。

ともかく人通りの多いメイン・ストリートの彌敦道(ネイサン通り)の方に行かなくてはと、急いで東へ東へと向かった。


大分人通りが多く、明るくなってきた。「北海街」と言う通りだ。すぐ先は彌敦道だ。


フッと気が抜けた瞬間、またクラっと来て目がくらみ道路に片膝をついた。


女の人の声がした。目が眩んだのは瞬間の事だったと思う。

ひょっとして、今までのは夢で、やっと目が覚めたのかなと思っていると、何やらまた女の声が耳元で聞こえた。


抑揚の多い中国語のようで何を言っているのか皆目分からない。ただ、何と無く声に聞き覚えがあった。その人が脇を抱えてくれているようだ。辺りの景色は先程と変わっていない。街並みは古くいかにも往年の香港らしく、ノスタルジーを感じるが、今はそんな感情に浸っている場合では無い。


 

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