✯2 触れた瞬間わかった。帰りつくべき家を見つけたという感じだった
あたしのお姉ちゃん。今年で二十二。
隠し子がいた。
産まれてすぐ施設に預けられて、それから八年間、音信もなにもかも断絶していた。
つい五カ月前まで知らなかった事実。
ずっとお姉ちゃんとふたりきりの家族だった。姉妹で親子みたいだった。のに、つい五カ月前まで、三人の家族になるその瞬間まで、あたしだけ知らなかったお話。
夜祥ちゃんは、お姉ちゃんの娘。血のつながった親子。
あたしは夜祥ちゃんの叔母さん。血のつながった姉の妹。
姪っ子を加えて、血のつながった家族。
家族なら、いっしょに暮らすのが当たり前。
親子なら、いっしょにいるだけで幸せなのが当たり前。
甘えて甘えさせて、あたしが入る余地がないくらいイチャイチャしてるのが当たり前。当たりマエダのこんこんちき。
ふたりは親子。八年ぶりの、どころかひょっとすると、八年遅れでようやく初めて出会えたのかもしれないっていう関係。
ようやく元に戻れたふたりだから、今までの失われた時間を取り戻すかのように、目と目が合うだけで自然と――
「わっらわねぇぇぇ……」
プリクラの
薬局と古着屋にはさまれて小ぢんまりとしたゲームセンターだけど、店先にいるだけでもピコピコピキュウンピキュウンギュインギュインバァァァンギャァァァンユゥダァァイのせいでほかのお店がかけてるBGMがまったく聞こえない。当然、前方二十メートルくらい先をとことこ歩いているおねえちゃんアンドよるたんペアの会話も、ふたりがどんなに猛烈にはしゃぎまくったところで、あたしの耳に届くことはない。
まあそんなのは、まずあのふたりの間に会話があってから気にすべき問題ですが。
「おまえの報告はもちろん話半分のさらに半分で聞いていたが、これは予想以上だな」
ひなっちはほかの筐体に背中で寄りかかっていた。いつの間にかあたし以上に神妙な顔をして、お姉ちゃんたちを見ている。
「ここまで会話の気配一切なし。手もつながない、目も合わせない。衛幸さんがときどき振り返って、夜祥ちゃんがちゃんとついてきてるか確認するだけ……というかどこまで歩くつもりだ?」
「このまま商店街の端まで行っちゃうね、間違いなく」
「なにがしたくて?」
「ショッピングに決まってんじゃん」
「とてもそうは見えないんだが」
「おそらくだけど、おたがい自分たちが楽しそうにショッピングしてる姿が想像できないんだと思う」
「……なんだそりゃ?」
おっとり移動。少し大胆に。
ターゲットまで十メートルくらいの距離に詰めて、二階がかばん屋で一階がくつ屋の店の前で止まる。
となりはテナント募集中で、そのシャッターの前に陣取ったパステルカラーの屋台から、生クリームの甘い香りがただよってくる。
「クリスマス
「最近の女の子の気は知れないが、あのふたりは見向きもしなかったな」
なにもこの屋台に限ったことじゃない。
お姉ちゃんが先を歩いてその半歩うしろをよるたんがついていく、アヒルみたいなあの親子は黙々大移動するだけで、立ち並んでいるどのお店にも目をくれない。
ひょいと屋台のわきから中を覗くと、パフェやソフトクリームの並ぶショーケースのむこうで黒ひげのサンタみたいなおじちゃんがこころなしかしょぼくれた顔をして立っていた。
アヒルっつーか色的にカルガモみたいな親子が目の前を通ったのに自慢のエサへ見向きもされなかったのだから当然の反応だろう。
元気出せよ、おじちゃん。あたしがひとつ買ってやっからさ、一番安いやつね。
「衛幸さんって……」
「んー?」なにをいいかけたんだい、ひなっち? ちょっと待ってね。へい、おじちゃん、おいくらだい? は? よんひゃくえん?
「いや、衛幸さんって、あんな人だっただろうかと思って」
「おうおう、まひなん、最後までいっちゃえよ。おめえさんの中の先入観オブ衛幸様ゲロっちまえよ。ねえ、おじちゃん、もうちょっとまかんない? アイス一個四百はきちーよ。シーズンオフで売れないのわかるけどさぁ」
「聞く気があるのかおまえは?」
「聞く聞く、全然聞いちゃうっての。あたしはいつでも真剣だよ? ほら、せめて四段重ね!」
「……衛幸さんと直接話したことは、まだ数えるくらいしかないが、あそこまで無口というか、周りに無関心で無神経な人という印象じゃなかった。確かに必要なこと以外はあまり口に出さないが、必要に応じてなら、それなりにジョークもいう人だろ。妹のおまえから見ても、そうじゃなかったのか?」
「うっほう! おじちゃん太っ腹! いや見た目じゃなくて人間が太っ腹! ブラボッ、ダンディ!」
「おい、こっちは真面目に――」
「聞いてるってば。あたしから見たお姉ちゃんでしょ? ふーん、どうだったかなー」
「どうだったかって……ああ。ったく」
ひなっちどうやら気がついたらしい。
そうだよ、きみはさすがだ。たった数回話しただけで、妹のあたしと同じくらいお姉ちゃんの
あたしのお姉ちゃんは、『衛幸』という名の人間は、自分の家族に限らなくても、だれかにあそこまで無愛想な態度を見せたりなんかしない。
いくら離れて生きてきた自分の娘に今さらどう接していいかわからないからって、尻尾を巻いて逃げ出すような弱い人でもない。ずっといっしょに育ってきた妹のあたしだから、確信を持ってそういえる。
だからこそ、今のお姉ちゃんはとてもおかしいとも、だれかが背中を押さなくちゃ、あの親子が駄目になってしまうとも、さらに確信を持っていえるのだ。
それにおかしいのは、たぶんお姉ちゃんだけじゃない。
でなきゃきっと、あたしが最初にひと肌脱いだ時点でもう問題は解決に向かってる。
ひと肌どころかふた肌、み肌、あたしはすでに脱ぎに脱ぎまくってもうずるっずるのべろんべろんだ。フレッシュな人体模型だ。
それでもまだ吉兆は見えないから、こうして今日もお節介を焼きにきてる。
「わかった。もう少しつき合う」
オトコひなっち、ついに腹を決めたらしい。
「日没までは。それ以降はなにがあっても無理だ。母さんと父さんに、聖夜の
「ありがとう、まひなん。そこで見守っててね。聖夜に捧ぐあたしの第一投目」
「ちょっと待て。なぜアイスクリームを振りかぶっているおいっ――」
銀ちゃん投手、投げました!
美しい! 美しいフォーム!
投球は、伸びる、伸びる! トルコアイスのように伸びる!
ストライクゾーンまっしぐら! ごめんね、よるたん。
あたしが似合う似合うって全力で推しまくったそのポンチョ、あたし自身の手でだいなしにしちゃいますぅッ!!
ど真ん中、ストライィィィィッック!!!!
パァァァン
ファー…………る!?
「やっば!? ひなっち、隠れて隠れて!」
「だああッ、またまを抜いた! というかなにをしとるんだおまえは!?」
「おじちゃん、ごめんね! おわびにあとで一番高いやつちょうだい!」
パニックでハイになってるひなっちをくつ屋の入口からかばん屋の外階段へ引っ張り込む。
あたしがぶん投げた四段重ね上からソルト、抹茶、ドラゴンフルーツ、パパイヤのアイスクリン三百二十円は十五メートル先のよるたんの背中に向かって直進して、そのむこうにいたはずのお姉ちゃんの手にたたき落された。よるたんの背後へまわり込むのも含めてほとんど動きが見えなかった。
我が姉ながら恐ろしい神速。というか背中に目でもついてんの?
「いったいなにを考えてるんだおまえは!? そしてまを抜くんじゃない、まを!」
「どうどう、守雛くん。エンゼルスマイル発動する余裕もなくなっとりますやん。いやね、よるたんの服がアイスでべったべたに汚れれば、さすがのお姉ちゃんもそこらへんの服屋にかけ込まざるを得なくなるっしょ? というアレで」
「ひたすらろくでもないな!」
「いやしかしまさかむこう向いてるお姉ちゃんに阻止されてしまうとは。面目ねえっす」
「元々どこにもないだろうがッ。それどころか、今ので確実にバレただろ……」
ひなっちがそろそろと外をうかがう。
階段の手すりの下はすりガラスと透明なガラスの市松模様になっていて、透明な方を覗き穴にすれば通りが見える。
見本のかばんがたくさんかかっているから、通りからは階段にいる人の姿がつかみづらい。あたしも
「動いてない?」
「動いてない。というか動じてないな。衛幸さん、冷静に手拭いてるし、夜祥ちゃんはそれをじっと見てるだけ……」
「基本的にクールなのも災いしてるよね、あのふたり」
「……」
お姉ちゃんは一応きょろきょろして犯人を探している。当然見つからない、そりゃそうだよな、もう逃げ去ってるよな、というピンポンダッシュ慣れしたオバハンみたいな落ち着いた顔で息をついて、ハンカチをつまんでいた方の手をよるたんに差し出す。
さすがにひとりで歩かせとくのは危ないとでも悟ったか。でもつなぐだけじゃダメでしょうが、なんかいえよ。
よるたんももっと意外そうに見あげるか嬉しそうな顔しろよぉ、なんでもないことみたいに握り返すなよぉー。
「ぶー、やはり前途多難。いいもん、銀ちゃんは敵が強大すぎるほど燃えるタイプなのです。いざゆかん、守雛殿、ジャンボソフト割り勘じゃダメ?」
「帰ろう」
「ジョークだよ、ジョーク。冗談だからね、ちゃんと全額自腹切るから、ね? ね? あ、でも食べるのは手伝ってくれると、ちょっと嬉しいカナー」
なんつって、と階段を降りかけたところで、腕をつかまれた。うしろから。ひなっちの手。
「へ? なに、どったの?」
「割り勘にしてやる。それ買ってお店の人に謝ったら、そのままいっしょに帰る。いいな?」
「ちょっ!? なにいってんのいきなり、ひな――」
「まを抜くな」
ひなっちが手をあげる。
体がすくんで、思わず目をつむった。
ポンと、肩に手が乗る感触。
目を開けるとそこにひなっちはいなくて、あたしのとなりを通り抜けて先に階段を降りていく。
「ダメ!」
あたしは、ひなっちの手が肩から離れる前に、その手をつかみ返した。
「ダメだよ、ひなっち。帰らない」
「ええい、まを抜くなと何度いわせれば――」
「あのふたりを見たでしょ。あれで親子。あれが親子? そんなんでいいわけないじゃん」
「……
引けば彼は振り返る。
ひなっちってば、滅多に名前で呼んでくれない。
その彼が、半分いぶかるような、半分あわれむような顔をしてあたしを見ていた。
「あのふたりはだいじょうぶだ。衛幸さんと夜祥ちゃん自身に任せておいても、取り返しのつかないことにはならない。なるようになる。どころか――」
「……どこが?」
ひなっちは信じられないことをいった。
「どこがよ」
そうくり返していったら、もう考える気が起きなくなった。「どこが?」考えるより先にことばが出てくる。ぐちゃぐちゃのまま処理されてない感情が、ことばにするまでのいろいろな工程をすっ飛ばして出口付近に殺到していく。
「見てればわかるだろ。あのふたりは、もう充分親子してる。おまえがなにかしなくても、とうになるようになってるんだ」
「なってないじゃん。あんなののどこが親子だっての? 手をつないでもニコリともしない、いっしょにいてもいっしょにいるだけ。黙り込んで、気だけ使って、そんなのおたがい寂しいだけだってわかるでしょ?」
「それはおまえが……」
「あのままじゃダメなんだよ。幸せそうにしてないとダメなの。親子なら、目が合ったら笑って、手が触れたら笑い合って、あのふたりだけじゃそうならないから、あたしが手を貸さなくちゃって。あのふたりが本当に親子になれるように、なにも知らずに生きてきたあたしが面倒みてあげなくちゃって、だからっ――」
「四百円? ちっと高すぎじゃない?」
階段の下から声がした。
くつ屋が流しているジャズに混じって、卑屈そうな声が。
「だって三段でしょ? せめて四段にしてくんないかなぁ。実際そんなに原価変わんないでしょ?」
あたしと同じこといって屋台のおじちゃんを困らせてる声。あたしとよく似た声。
でもぶっきらぼう。全然似てない。あたしもっとかわいいでしょ?
――いやいやいやいや?
我に返った瞬間、あたしはすでに全速力でかばん屋の階段をのぼり始めていた。
「おいっ、ちょっ、銀っ」
「ひなっち、あとヨロシク! アイシテルから!」
「なっ!? だからまを抜くなって――」
「おっ? ひな坊じゃんか」
半開きのドアのすき間へ飛び込んだのと同時に、階下からひなっちのでない弾んだ声が追いついてきた。
つづく
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