第十五話 いけないこと
「その封筒に僕の分も入れてるから。バックでも買いなさい。それ、今日の洋服には似合わないよ」
そう言って、毛糸のバックに視線をおとす。
「これ、自分でつくったの。お兄ちゃんに見せたくて」
兄の言葉には従わなければならない。でも、ブラコン妹のふりをして些末な抵抗をこころみる。
「うん、かわいいけどこういう場にはふさわしくないね」
おっしゃる通りです。私は、かわいらしくペロリと舌を出す。そんなTPOもわからないあほな妹に慈悲の眼差しを向ける兄。
あー、足がもう限界。つま先が圧迫されて痛いことこの上ない。早く、早くこんなもの脱ぎ捨てたい。
「そうだね。じゃあ、帰りに伊勢丹によってお買い物しよっと。ありがとう、お兄ちゃん」
兄とは,そこでわかれた。去り際、血統書つきの猫の頭をなでるみたいにされて、その愛玩する手から舞い上がった毛にくしゃみが出た。
ダークな中に赤いサンタ帽が目立つ集団は、新幹線ホームまでお見送りにいかれるのだろう。ご苦労様です。
お小遣いをたんまりもらった妹は、いそいそとその首にはめる首輪を買いに行かなければならないのです。
「雪深さんですよね」
昨日聞いたばかりの渋い声が、背後から聞こえてくる。
どうしてこの人はいつも私の情けない場面に出くわすのか。きっと今ひどい顔をしている。彼の顔を見たら泣き出してしまう。こんなとこで泣いたら……。
ぐっと顔に力を入れて振り返る。
そこに立つ彼を見た瞬間、逆に吹き出した。だって、エメラルドグリーンのパンツに白シャツ。襟元に赤いストールってどこのテンプレイタリア人だ。
「なんだか、いつもと違いますね。お互い」
バツが悪そうに、頭をかく彼。何時もシックな服装が多いのに今日はどうしたことか。
「あっ、そのバックやっぱりかわいい。今日の装いにも似合いますよ」
目ざとく毛糸のバックに話題をすり替え、自分の格好はスルー。
固く閉じた蕾がのどかな日の光をあびほころぶように、唇から言葉がこぼれ落ちる。
「足が痛い」
どういう理由でその格好? なんでこんなところに?
つっこみどころ満載なのに、私の口は勝手にしゃべりだす。
「こんな高いヒールはいて、痛くて痛くて。もう我慢できない。立ってられない」
彼のせいではない文句を垂れ流し、ボロボロ泣き出した。
驚いてかけよってきてくれる。子供みたいにしゃくりあげる私を、慌ててソファーに座らせた。ひざまずき、ハイヒールを脱がせる。
「靴ずれができてる。ちょっと待ってて」
そう言い、フロントへ走っていきフロントマンに何か言っている。
イタリアンカラーのスペイン人は、とても目立つ。宿泊手続きをしているカップルがしげしげと彼を見ていた。
あの人たち、夫婦には見えないな。クリスマス前にホテルでお泊りなんて……。
幸せで何より、ふたりにメリークリスマス。
彼は、フロントで絆創膏とティッシュをもらってきた。靴ずれのところにパンストの上から絆創膏をはり、ティッシュをヒールのつま先につめてくれた。
「このヒール足に合ってない。こんなのはいてたら、転ぶよ。ただでさえ危なっかしいのに」
ちょっと今、私の事ディスりました?
泣きやんだクリアな視界に、彼の手が差し伸べられる。
「さっ、送るから帰ろう。立てる?」
その手をつかもうと腕を動かすと、コートのポケットにしまった封筒が、がさりと音をたてた。
この諭吉さんをあの家に連れて帰りたくない。ましてやバックなんか買いたくもない。
「アルさん、今日これから予定ある?」
手を差しだしても、いっこうにつかまらない私を不審な顔をして見下ろしている。
「ないけど。でも、足痛いなら早く帰った方が……」
その言葉を無視するように、私はすっくと立ちあがる。うん。絆創膏とティッシュのおかげか、もう痛くない。
「これから、いけないことするから付き合って」
そう言い、彼の腕をつかみフロントへ。
「予約してないけど。部屋は空いてますか?」
クリスマスも近い。観光客も多いだろう。でも、あの部屋ならあいているはず。
「申し訳ありません。部屋は満室でして」
ちらりと私と彼を一瞥したフロントマンに、怖気づくことなく言い返した。
「スイートなら空いてるでしょう?」
若いからって舐めないでよね。私今すごくリッチなんだから。この封筒にはそれぐらいの金額が入っている。
「失礼いたしました。スイートなら空いております。どのタイプのお部屋がよろしいでしょうか」
手のひらをかえしたフロントマンが見せる、タブレット端末なんか見ないで答える。
「最上階のタワーが見える部屋で」
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