第四話 町屋の住人

 未練たらしくタッセルイヤリングをさわりながら「おかえり」と言うと、光流くんは愛らしい小動物のようにぴょんとはねる。


 靴をあわてて脱ぎすて部屋に上がり込むと、私の足元へ抱きついてきた。そして熱烈なセリフを一言。


「ゆきちゃん、会いたかった!」


 って、昨日も会ったでしょうに。そんなことはあえて言わない。だって、かわいいから。

 男の子もこれぐらいで成長がストップすればいいのに。


 将来イケメンになりそうな光流くんの頭をよしよししながら、五歳児の将来を摘み取るようなことを思う。


「みつ、ピンチやで。ゆきちゃんに運命のお相手があらわれたかも」

 情け容赦のない母親が、息子の恋路を邪魔しにかかる。


「ゆきちゃんは、ミツヒデの嫁にするの。誰にも邪魔させへんもん」


 そう言い、にやにや笑う市香ちゃんの顔を睨み上げる。

 光流くんの人称はなぜか、「ミツヒデ」である。今年の大河ドラマにおじいちゃんたちと一緒にはまっているからか。


 市香ちゃんは面白がって、光流くんの前世はきっと明智光秀と言っている。

 それを聞くと決まっておじいちゃんは「いや、みつは松さんの生まれ変わりや」と言う。


 松さんとは、亡くなったおじいちゃんの奥さんである松子さんのこと。つまり私のおばあちゃん。

 人は亡くなると、一族の中から次に誕生する子供に、生まれ変わると言われている。京都では。

 おもしろいことに、性別は反対になるって。


 泣きそうな顔をして、私から離れない光流くんに言葉をかける。


「光流くんが大人になるころには、私のことなんかどうでもよくなるよ」


 私はなぐさめるつもりで言ったのに、光流くんは泣き出した。


「ゆきちゃん、そんなこと言わんといて。ゆきちゃんはいつまでもゆきちゃんやー!」


 ちっとも収拾のつかない事態に、おじいちゃんがカステイラのことを光流くんに思い出させ、二人で内玄関から台所へ入っていった。


「ほんま、あの子ゆきちゃん命やな」


 やれやれと、市香ちゃんは肩を落としパソコンをシャットダウンして、帰り支度を始めた。この店は四時までの営業。ライティングビューローの蓋をしめつつ、ふと思い出したように手をとめる。


「そういえば、たくちゃん今度京都くるみたい。ネットニュースにあがってたよ。忙しいなあ、たくちゃん。うちに来てくれるんかな。ゆきちゃんなんか聞いてへん?」


 私は首を横にふる。

「さあ、どうだろお兄ちゃん今めちゃくちゃ忙しいし」


                   *


「このみたいな、なもんなんや」


 ダイニングテーブルに向かい合い、おじいちゃんと二人ニョッキを食べていた。

 「すい」とは漢字になおすと「粋」である。しかし「いきな、いかしている」と字ずらの通り解釈してはならない。


 奥ゆかしい京ことばにおいて、「かわった、けったいなもの」という相手にマイナスのイメージをあたえる言葉は、漢字だけでも、プラスへ変換してしまう。


 内玄関を入ると、町家に似つかわしくないリビングダイニングが広がるおじいちゃんの家。おばあちゃんが病気になってから、炊事がしやすいようにと、土間の台所をリフォームしたのだ。


「市香ちゃんがつくったニョッキっていうイタリア料理だよ」

「なるほど、ほんでトマトソースなんやな」


 と言って、ニョッキにからんだトマトソースをスプーンですくい口へはこぶ。

 おじいちゃんには、トマトソースイコール、イタリア料理という思考回路なのだろう。


 けったいなといいつつ残さず完食。戦中生まれの人は、決して食べ物を粗末にしない。次に里芋の煮っころがしを食べる。


「うまいなあ。この小芋こいもいたん。これ竹さんのやろ。松さんと同じ味や」


「やっぱり、姉妹だと同じ味付けになるんだね」


 竹さんとは、市香ちゃんのお母さん、竹子さん。つまり、鶴亀双子兄弟の元へ、松竹姉妹が嫁いだということ。

 姉である松子さんは兄の鶴さんと。妹の竹子さんは弟の亀さんとそれぞれ結婚した。姉妹は双子ではなく、年子である。松竹姉妹の実家は染物屋。商売つながりの縁談だった。


 同じ兄弟同士の夫婦は大変仲が良く、もはや家族といっしょであった。五年前おばあちゃんが亡くなり、この家で一人暮らしをすることになったおじいちゃんのことを、亀じいちゃん家族が支えてくれた。


 食事は市香ちゃんが店番の間に、ここの台所で自分の家族の分と私たちの分をつくってくれる。

 竹さん――亀じいちゃんといってもよいが、けして竹ばあちゃんと言ってはいけない――も、おかずを届けてくれる。


 しかし二人は示し合わせていないのでちぐはぐな献立になることもしばしば。今日の献立は、二人のおかずに大根サラダをつくってつけたした。


「市香がさっきうてた、運命の相手ってなんの話や?」

 おじいちゃんは食後のお茶をすすりながら、探るように聞いてくる。


「たいしたことじゃないよ。ちょっとかっこいい外国人に転びそうになったのを助けてもらっただけ」

 ちょっとではなく、だいぶかっこいいのだけど、話を半分にしておく。

 素知らぬ顔で私は答えた。


「観光客か?」

 おじいちゃんはしつこく聞いてくる。


「多分違うかな。ジャージ着てたからジョギング中な感じだった。あのあたりに住んでる人っぽい」


 コトンと湯呑をテーブルに置き、やけに深く息を吐きだした。


「さよか。このご時世用心してもしすぎる事ないんやからな。おまえに何かあったら弾正家だんじょうけのみなさんに申し訳ないわ。ここ京都で雪深に悪い虫つけるわけにはいかん」


 この年齢のシニアの方々に比べ、おじいちゃんはかなり柔軟な思考の持ち主。流行りものにも流されやすく、こっそりSNSもしていることを私は知っている。


 生駒商店の学生アルバイト、吉乃ちゃんのあけすけなコイバナだって眉をしかめるどころか、前のめりで聞いていることも知っている。


 それなのに、孫の事に関しては超保守的。大事な預かりものであり、仏壇の引き出しにしまうがごとく男性関係をシャットアウト。


 私が京都の大学に通いたいと言った時、お母さんとおじいちゃんの間で裏取引があったのだろう。何かあれば強制送還とか。


 孫と二人暮らしをしたいおじいちゃんにとって、悪い虫は死活問題。私にとってもこの京都生活を失う死活問題。


「新しいつまみ細工の人って、おじいちゃんの知り合い?」

 私はそれとなく話題をそらせた。


「お茶のおつれや。手先の器用な人でな。センスも抜群や。今度、市香の店にも来てみたい言うてたわ」


 おじいちゃんは裏千家の茶道を習っている。という事は、おなじような年配のご婦人かな。きっとあのブローチのような洗練された上品なマダムだろう。


「そや、今度の週末浄福寺でお茶会があるんや。何着ていくかまだきめてへんかった」


 そう言うと、おじいちゃんは「ごちそうさん」と自分が使った食器を流しに持っていき洗う。

 私はその背中に「よろしおあがり」と声をかける。このセリフを言うたび、亡くなったおばあちゃんの顔が浮かぶ。

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