第一章 よそおう

第一話 鴨川デルタ

 京都、出町柳駅近く。鴨川デルタにめずらしく、人影はまばら。

 秋の三連休も終わり、紅葉のベストシーズンにはまだ早い。連休中は、人でごった返していた、鴨川デルタも閑散としていた。


 成層圏まで突き抜ける青空の平日、午後二時。突然教授の私用で休講となり暇を持て余した私と友達の津々木つづき かおるは、大学からほど近いこの川の中州までぶらぶらやってきた。


 モラトリアム満喫中の大学生二人は、陽気に誘われ次の講義を勝手に自主休講と決め、桜の落ち葉が降り積もった土手に座り、コンビニスイーツを食べていた。


 きらきらと輝く水面。おむつをはいた大きなお尻をぷりぷりさせ、お母さんと水遊びをする子供たち。お揃いの帽子をかぶった老夫婦が、仲良く河原を散歩している。


「はあ~平和だなあ。いいねえ、心がとろけそう」


 ほぼクリームのロールケーキのゴミをかたづけながら、日本から一歩もでたことがないのに、戦場カメラマンが戦地から帰って来たようなコメントを言った。


雪深ゆきみってほんま、ばばあやな」

 隣に座る薫が、プラスチックのスプーンを赤い唇にくわえながら言う。


「だって私、薫より一つお姉さんだし。若いうちの一歳って大きいよ」

 耳に下げた、青いイヤリングをいじくりながら私は言う。


「その思考がもうばばあなんやって。子供やろうが年寄りやろうが一歳は同じ一歳」

 この口の悪い年下の同級生は、入学式の席順が前後になってからの付き合いだった。


 式の始まる前、学部ごと五十音順に割り振られた席に座り、広い講堂内をきょろきょろ見回していると、突然後ろから肩をつかまれた。驚いてふりかえると、つやつやの黒髪に少々つりあがった目が印象的な美少女が座っていた。


「ごめん、どっかで会ってへん? うちら」


 手慣れたナンパ男みたいなセリフが赤い薔薇の蕾のような唇からこぼれ、あまりのギャップに度肝をぬかれたのだった。こんなインパクトある美少女、私の人生でお目にかかったことはないと言うと、薫は首をかしげ納得しきれないようだった。


 東京出身で、この大学に知り合いもいない私は人見知りもあいまって、これからはじまる大学生活に一抹の不安を感じいた。そんな私に、薫の手をかり、神様が手を差し伸べてくれたような気がした。


「あのぉ、あなたとは初めてあったけど、前世ではあってたかもよ。だから現世でもお友達になっていただけませんか」


 なんて、浮世離れした発言をしてしまったら、薫は宗教がらみのやばい奴とドン引くどころか大笑いして、オーケイしてくれた。


 スイーツを食べ終えた薫はゴミを自分のかばんにしまいながら、川の中州を指さす。

「食後の運動しよ」


 ここ鴨川デルタは、西から流れてくる賀茂川と東から流れてくる高野川が合流する地点にできた三角州。二つの川と間の中州を結ぶように飛び石が設置されている。この飛び石は休日ともなれば、観光客が大行列をつくる名所である。


 石は大人二人が十分乗れるだけの大きな四角い石。ところどころ亀の形の石もある。石と石の幅はそんなに離れていないが、なんせ運動神経の少々鈍い私にはちょっと遠慮したいところだ。


 しかし、薫は立ち上がり、お尻をパンパンはたいてさっさと飛び石の方へ行ってしまった。しょうがない。私も重いお尻を持ち上げた。


 教科書で膨れたカバンを肩に下げロングスカートの裾を気にしつつ、私は一つ一つの石を慎重に飛んでいく。

 薫はとっくに渡り終え、向こう岸にいた。


 次の石へと飛ぶたび、重いカバンが肩からずり落ちる。京都の有名店の帆布バックはとっても丈夫でついつい荷物をつめこんでしまう。とにかくバランスがとりにくいのだ。


「雪深、はよう!」


 向こう岸の薫に呼ばれ、視線を上げる。すると、次に飛ぶ予定の石に男の人が立っていた。

 スカイブルーのスニーカー、グレーのジャージをはいた足は恐ろしく長い。肩幅はあるが、痩身そうしん体躯たいくに首と同じ幅の小さな頭がのっていた。後頭部しか見えないが、黒髪の少し巻いた毛を川風にそよがせ、前方を見あげている。


 私もつられて振り仰ぐと、頂上付近が紅葉し始めた比叡山の姿が、秋の澄んだ空気にはっきりと見えた。あの紅葉がだんだんと裾野まで降りてくると、京都の市中も観光シーズン真っただ中となる。


 また、朝から晩まで大渋滞の日々がはじまるなあ。嫌だなあ。


 市バスも恐ろしく混む。そして乗車に不慣れな観光客が、出口付近でもたつく。イラつくおばちゃんが、観光客に聞こえる声で嫌味を言うとバスの空気は凍り付く。そんな地獄絵図のようなバスに乗らなければならないのだ。


 観光客の皆さんは京都にお金を落としていってくださるありがたい人々だが、はっきり言って地元住民はなんの恩恵も受けていない。そんなこと言う私も、一年半しか住んでないにわか京都市民だけど。


 あほなことを考えている間に、石の上の人がどいてくれたらいいのに。私の淡い期待はみごとにはずれた。比叡山を見上げる人は微動だにしない。

 まだしょうもない妄想を続け、時間稼ぎをしなければならなかった。


 どこぞのおしゃれなモデルさんが体重管理のため、ジョギング中。私は勝手に人様の事情を捏造する。


 きっと、下鴨神社の境内に建ったお高いマンションに住んでるんだろう。ただすの森の景観を壊さない、低層建築の和モダンなデザイナーズマンション。うん、この人ならあそこに住んでも様になる。って後ろ姿しか見てないけど。


 ちっとも動かない後ろ姿をみつつ、私はだんだん焦りだす。横を通り過ぎたい。通るだけの隙間をこのモデルさんはちゃんとあけている。まわりに迷惑はかけてない。親切だ。でもできない!


 こういう見るからにきらびやかな人、もっとも苦手なタイプなのだ。大学構内でもちょくちょく見かける、リア充感をまわりにふりまく華やかな人たち。横を通り過ぎるたけで、動悸がする。


 石の上の人はリア充大学生より、明らかにステージが違う華やかさだった。こんな「同じ人間ですいません」と言いたくなるようなお方の横を通り過ぎるなんて。これは、動悸どころか息もとまるレベルかもしれない。


 でも、そこを通らないと薫の待つ向こう岸にはたどり着けない。きっといらちの薫はしびれをきらしているだろう。私には横を通り過ぎるという一択しかゆるされないのだ! 


 もう清水の舞台から飛び降りる覚悟で、動かないモデルの横を通り過ぎようと、大きく一歩をふみだした。


「かんじ~ざいぼ~さつ、ぎょうじんはんにゃ~は~ら~み~た~」

 へっ、なんで般若心経? 


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