7.見つめ合う練習




 ──そこから先の記憶は、あまりない。


 どうやって支払いを済ませて、カラオケ店を出て、駅まで辿り着いたのか……頭ん中が真っ白なまま、ほとんど無意識に動いていたのだろう。

 とにかく、気がついた時には駅の改札内にいた。煉獄寺とは、別方向の電車に乗ることになる。


 何と言って別れればいいのか。俺は頭をフル回転させて適切な解を導き出そうとするが、



「……じゃ。また月曜日に学校で」



 俺のポンコツな脳みそが答えを出すのを待たずして、煉獄寺はあっさりと背を向け、去って行ってしまった。

 残された俺は、それを暫しぽかんと見つめ……

 やはりいまいち思考の働かない頭を抱えたまま、電車に乗り寮へと戻った。





 ふらふらとした足取りで帰り着いた自室。

 俺は後ろ手にドアを閉め、鍵をかけると……



「…………はぁぁぁ」



 クソでかいため息をつきながら、ベッドにダイブした。



 ……ああもう。何なんだ、一体。


 おそらく、チェルシーに出会う前に煉獄寺からあの話を聞かされていたら、俺は信じていなかったと思う。『何それ、流行りのラノベか何かの話か?』と笑い飛ばし、あのまま欲望に負けていたことだろう。


 しかし俺は、あの話を信じられるだけの情報を、既に持ってしまっていた。


 だから、シンプルにショックだった。

 最高のオタ友に出会えたと思ったのに、それが仕組まれたもので……俺の魔力だけが目当てだったということが、虚しくて、悲しかった。前述の通り繊細なんだよ、俺のハートは。プレパラート並みの脆さなんだよ。



 ………いや、つーかナニ『魔力』って!? 

 俺そんなん持ってないから!!!!



 まだ自覚があるならわかるよ? 『たしかに俺ってすごい魔力の持ち主だし? そりゃモテても仕方ないよなー』とかって思えるだろうよ。けど自覚ないから! 自覚ないモノで美少女に迫られても、『え? なんで?!』ってなるだけじゃん!!!!


 チェルシーだってそうだ。俺に魔力があるだなんだと一方的に決めつけてきて……



 って、待てよ。

 あれ……もしかすると、すごいことに気がついてしまったかもしれない。



 もし、今日聞かされた煉獄寺の話が本当だとしたら……魔王をあっちの世界から永久に葬り去るというチェルシーの目的は、既に果たされているじゃないか。その結果生まれたのが煉獄寺なわけだし。


 チェルシーの両親が魔王との戦いの末、永久追放を成功させていたということだろうか。煉獄時の言った『光の勇者』ってのは、チェルシーの親父さんのことなんじゃないか?



 つまりチェルシーは……俺と子どもを作る必要が、ない……!!



 なぁんだ。途端に心が軽くなった。これは是非ともチェルシーに教えてやらねば。



 と、彼女の喜ぶ顔を思い浮かべ、ワクワクする一方で……なんだか無性に残念な気持ちにもなる。

 ……子作りできないからじゃないぞ? だって……



 ……そのことをチェルシーに伝えたら。

 きっと彼女は、すぐにあちらの世界へ帰ってしまうだろう。

 目的が果たされているのなら、俺なんかに用はないわけだからな。



 くそっ……どいつもこいつも、俺の魔力カラダだけが目当てなのか……子作りに応じるつもりはさらさらないが、今さら不要だと言われると、どうにも虚しさを感じてしまう。




 振り出しに戻り、鬱々とした気持ちでベッドに伏せていると……枕の上のスマホが震えた。芽縷からのラインヌだ。



『やっほー! 明日の体験入部、よろしくね♪ お昼ご飯ってどうするか決めてる? あたしは自分でお弁当作っていくよ。迷惑じゃなければ咲真クンの分も作っちゃおうかな、なんて思っているんだけど……どうかなぁ?』



 そのメッセージに、俺は……心が打ち震えるのを感じる。

 なにこのコ、やっぱり女神なの? 絶妙なタイミングでこの申し出。美少女の手作り弁当だなんて、迷惑なわけないじゃん!!



『いいのか? ぜひお願いしたい!』



 と、俺は速攻で返信をする。

 すると芽縷からもすぐにレスポンスがあり、



『よかった! 嫌いな食べ物とかある?』

『ない! なんでも食べます!!』

『お、好き嫌いがないなんて咲真クン偉い! じゃあいろいろ作って持っていくね。メニューは見てからのお楽しみってことで』

『ありがとう! お礼に飲み物奢るよ。あ、あと部活終わった後にアイスも』

『やったー! よーし、頑張って作るぞー』



 はぁ……なんなの、可愛い。ささくれていた心が、一気に癒されていく。


 ウジウジしていても仕方ない。明日は身体を動かして、芽縷の作った弁当を食べて、リフレッシュしてこよう。


 そう自分に言い聞かせると、俺はベッドから起き上がり、芽縷に『本当にありがとう』とメッセージを送った──




 * * * *




 ──翌日。


 待ち合わせ時間の五分前に寮を出ると、芽縷もほぼ同時に隣の女子寮から出て来た。日曜日だが、学校に向かうので二人ともいつもの制服姿だ。



「おはよう、咲真クン。いい天気だね!」



 今日も今日とて完全無欠な美少女スマイルを浮かべ、芽縷がこちらに駆け寄ってくる。



「おはよ。晴れてよかったな。つってもやるのは体育館だから、天気あまり関係ないけど」

「もー。確かにそうだけどさぁ、晴れていた方が気持ちがいいでしょー? そんなイジワル言う人には、お弁当あげないんだからね」

「あっ、嘘ですすみません。晴天最高! 弁当日和!!」



 口を尖らせて言う芽縷に、慌てて謝る俺。彼女はクスクス笑って、



「ふふ、冗談。ちゃんと作ってきたから、お昼に食べようね」



 手に持った小さなトートバッグを掲げてみせる。おお、本当に作ってきてくれたのか。



「わざわざ俺の分まで悪いな。寮の調理スペースで作ったのか?」

「そ。いつもは学食だけど、たまには手作りもいいかなって。料理、けっこう好きだし」

「へー、そうなんだ。実家でもよく作っていたのか?」



 そう口にしてから、俺はハッとなる。

 詳しくは知らないが以前話した限りでは、どうやら芽縷には複雑な生い立ちがあるようなのだ。

 そんな彼女に、家のことを聞いてしまうなんて……考えが足りなかった。


 案の定、彼女はあからさまに表情を曇らせて、



「あ、うん……でも、本格的に作り始めたのは、割と最近かな?」



 と、歯切れの悪い返答をする。ほらな、やっぱりあまり話したくないんだ。

 だから俺は、慌てて話題を変えることにする。



「そうか。いやぁ芽縷の作った弁当、楽しみだなぁー。そういえば、ここ数日はどうだった? 通学の電車。また変なおっさんに遭ったりしなかったか?」



 って、馬鹿か俺は!

 これはこれで痴漢されたこと思い出させることになるだろうが!!


 しかし……そのことが本当に心配で、気になっていたのも事実だ。チェルシーのところへ行っていたため、芽縷とはあまり一緒に登校できなかったから。


 内心あたふたする俺に、芽縷は一度きょとんとした顔をしてから、



「……あー、そうそう。咲真クンが一緒に登校してくれなかった日は、毎日知らない人にカラダ触られちゃったなー。あれたぶん痴漢だなー」



 ぷいっとそっぽ向き、低い声でそんなことを言う。

 俺は慌てて彼女の正面へ回り込み、



「ホントか?! どんな奴だった? 顔憶えているなら、今からでも警察に……」



 ……と、必死に話す俺を見て……

 芽縷が「ぷっ」と吹き出す。



「あはは。ウソウソ、ごめん。大丈夫。なんにもされていないよ」

「へ……? そ、そうか。ならいいんだが……」

「………ていうか」



 そこで。

 彼女は唇をつんと尖らせながら、ぽつりと、



「……そんなに心配なら、毎日一緒に登校してよ」

「…………え? な、何……?」

「……なんでもないっ。ほら、行こっ」



 と、身体を翻し再び歩き出すので、俺は思わず立ち尽くす。


 ……咄嗟に、難聴系鈍感主人公みたいな返しをしてしまったが……

 ああいうセリフって、案外ちゃんと聞こえるモンなんだな……


 なんて。

 彼女の言葉に鼓動が加速するのを感じながら、俺はどこか他人事ひとごとみたいに考えていた。






 ──乗る予定の電車が来る数分前に、俺たちは駅に着いた。

 日曜日だし、平日に比べれば人もまばらなのでは? と高を括っていたのだが……



「……けっこう人、多いね」



 ホームを見回しながら、驚いた様子の芽縷。

 スポーツバッグを背負った学生や、賑やかな家族連れ……そりゃあ、日曜は日曜でみんな電車に乗って出かけるか。


 程なくして到着した電車も、既に座席は空きなし。立っている人もそれなりに多かった。


 車両に足を踏み入れると、後ろからどんどん人が乗ってきて、俺たちは為す術もなく反対側の扉の方へ押し込まれた。

 扉に背を付ける芽縷と向かい合うようにして俺も立つ。彼女を潰してしまわないように、俺は扉に手をついて彼女との間に隙間を作った。


 そして、電車が発車する。

 ふと彼女を見下ろすと……少し微笑みながら、こちらをじっと見つめていた。



「ふふ。なんだか初めて会った時みたいな体勢だね」

「お、おう……そうだな」

「あの時はほんとにありがとう。それから、今も」

「……ああ、ていうかごめん。近いよな。嫌だったらもうちょっと離れるから」

「ううん。嫌じゃないよ。むしろ……ちょっとドキドキしちゃうかも」

「えっ」



 素っ頓狂な声を上げる俺に……彼女は笑って、



「だって……なんか咲真クンに迫られているみたいなんだもん。なんて言うんだっけ、こういうの。壁ドン?」



 などと悪戯っぽく言うものだから、俺はたまらず目を逸らす。



「せ、迫られるって……俺はそんなつもりじゃ……」

「あ、また目逸らした。咲真クンてよくそうするよね」

「へ? そ、そんなに目逸らしてるか?」

「そうだよ。ねぇ、なんで?」



 そ、それは……

 芽縷があまりにも完璧な美少女スマイルを向けてくるから、眩しくて直視できなくて……

 なんて、そんなことを馬鹿正直に言えるか。



「……苦手なんだよ、元々。人と目を合わせて話すの」



 という、まるっきり嘘というわけでもない返答をしておく。

 すると芽縷は、



「……ふーん。じゃあさ、練習しよっか」



 内緒話をするように、囁く。

 俺は思わず彼女の目を見る、と……



「……目を合わせる練習。これから毎日、こうして、電車の中で……学校の駅に着くまでずっと、あたしと見つめ合ってみるの」

「え、駅に着くまで……?!」

「ほらぁ、また目逸らした。ちゃんとコッチ見てよ」



 ぐいっ、と。彼女の手にほっぺたを挟まれ、無理矢理顔の向きを変えられる。


 すぐ目の前には……スッと細められた色素の薄い、猫みたいな瞳。

 それが、俺の心の中まで覗くように、じっとこちらを見つめていて……


 彼女は、唇の端を少しだけ吊り上げて、




「……ね? ちゃんとあたしのことだけ……見ていて……?」




 ねだるように言われては……脳が甘く痺れるような感覚を覚える。


 抵抗することも忘れ、吸い込まれるように。

 俺は彼女の命じるままに、その瞳を見つめ続けた。


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