3.「これって……『恋』の始まり、ですよね?」




 それから、俺とチェルシーさんは昼飯を食いながら、彼女の『設定』について話を詰めた。



 今回転入したきたのは、また親の仕事の都合ってことにするか? いや、一人暮らししているのがバレた時に、何故同居していないのか説明が厄介になる。


 それなら、昔一年間だけ住んだ時にチェルシーさん自身が日本をいたく気に入って、親に頼み込んで留学を許可してもらった、というのはどうだろう?

 それなら、日本語が話せるのも『興味があったから独学で勉強した』と言い訳しやすい。


 で、俺との関係は、あくまで『昔、一年間だけご近所さんだった』ってだけの、たまーに公園で一緒に遊ぶことがあったかなーくらいの仲に留めておく。細かいこと突っ込まれると、お互い困るからな。



 ……などと、だいたい話がまとまったところで、昼休み終了のチャイムが鳴った。


 彼女はロコモコを頬張る合間に熱心にメモを取っていたが……その文字は、どこからどう見ても日本語に

 彼女曰く、そういう風に見える魔法がかかっているらしい。原理はわからないが、便利なものだな。魔法ってやつは。




 そうして、午後の授業も滞りなく終え……

 あっという間に、放課後になった。




 俺はほっと胸を撫で下ろす。

 チェルシーさんが転入生として紹介された時には心底驚いたが……逆・異世界転移、案外なんとかなるものだ。


 さて、チェルシーさんの住まいは学院の近くだと言うし、帰りは一人でも大丈夫だろう。あまりベタベタ構っても不自然だ、今日はこのまま別れるとするか。

 そういえば、今週からゲーセンに新しいフィギュアが入荷されるのだった。煉獄寺を誘って行ってみるかな。


 などと考え、煉獄寺に声をかけようとした……その時。



「──まぁ。それは本当ですか?」



 教室の中央で、チェルシーさんの楽しげな声が上がり、思わずそちらに視線を向ける。

 彼女は、転入生の噂を聞きつけやってきた隣のクラスの男子数名に囲まれていた。


 その内の一人……見るからにコミュ力の高そうな茶髪の男子が、意気揚々と彼女に話しかける。



「マジマジ! 俺、フィンランド超リスペクトしてんの! だってヘヴィメタルの聖地じゃん! 一度行ってみたいんだよー。ねぇ、ルーチェちゃんはフィンランドのどの辺出身なの?」



 ……嘘だろ、おい。

 まさかこの学年に…………



 フィンランドガチ勢がいるとは!!



 誤算だった……フィンランドに関する知識なんてみんなムーミ●とサンタくらいだと踏んでいたから、さすがに細かな出身地名までは決めてねーぞ?!


 案の定、チェルシーさんは予想外の質問に目を泳がせまくって、



「さ、さぁ……言ってもわからないかもしれません。すっごく田舎なので……」

「えーそうなの? じゃあさ、ヘヴィメタは何か聴いていた? 好きなバンドとかいる?」

「へっ、へび? いえ、ヘビはどちらかと言うとあまり好きでは……」

「好きじゃないの? でも聴いたことくらいはあるでしょ? あ、なんなら今から一緒にカラオケ行こうよ! ちょうど俺たち行くところなんだ」

「……『からおけ』とは、何ですか?」

「流れてくる曲に合わせて歌うことができる場所だよ。すっげー楽しいんだから!」

「歌を歌える場所……? それは楽しそうですね!」



 と、あからさまに目を輝かせる彼女。おいおいおいおい!



「──チェルシー。帰るぞ」



 顰蹙ひんしゅくを買うのを承知で、俺は盛り上がっている野郎どもの輪に割って入るように声をかけた。

 当然「なんだお前」という視線を向けられるが……怯みそうになるのを堪え、



「……そいつ、幼馴染みなんだ。日本に慣れるまで面倒みてやれって、そいつの親に頼まれている。転入初日で疲れているだろうし、今日のところは帰してやってくれないか?」



 咄嗟に口をついて出た言葉に、俺は『しまった』と思う。これじゃあ『たまに遊ぶことがあった程度の仲』という設定から『親とも面識がある仲』にランクアップしてしまうじゃねーか。いや、でもこのままチェルシーさんの無知が露見するよりはマシか。


 納得いかない表情で睨んでくる男どもを一瞥し、俺は半ば強引にチェルシーさんの手を引き、教室を後にした。

 そのままスタスタと廊下を抜け、階段を下り、昇降口まで来たところで、ようやく彼女の手を離す。



「まったく……『それは楽しそうですね!』じゃないだろ? あのままあいつらについて行くつもりだったのか?」



 たしなめるように言いながら振り返ると……彼女はわかりやすく凹んでいた。眉も長い耳も、八の字に下がっている。



「申し訳ありません……軽率に話すべきではないとわかっていながら、つい……」



『つい』でバレたら面倒なことになるだろうが!

 というツッコミが、喉まで出かかるが。



「……こんな風に、同年代の方々と一緒にご飯を食べたり、お勉強したり、おしゃべりしたりすること自体、初めてで……楽しくて。つい、浮かれてしまいました」



 続いたその言葉に……俺は、何も言えなくなる。


 そして、思い出す。

 一人暮らしを楽しそうに語り、食堂にいるたくさんの学生をキョロキョロ見回し、昼飯を嬉しそうに食べていた彼女の姿を。


 彼女は、一国の姫君……いや、国を統べる女王だ。

 こんな風に学校で友だちを作って、くだらない話をしたり、遊んだり……という経験が、ないのかもしれない。

 それどころか、国の存亡のために会ったこともない男と子をもうけることを義務付けられていたのだから……彼女の意思とか自由とかって、ずっとないがしろにされてきたんじゃないのか?


 つまり、ここでの生活は……

 彼女が、生まれて初めて手に入れた『自由』なのでは……?



「……………」



 俺は、再び彼女の手を取ると、足早に学校を出た。



「さっ、咲真さん? 何処に……?」



 戸惑いながらもついてくる彼女に、「いいから来い」と答える。

 やがて辿り着いた最寄り駅で二人分の切符を買うと、彼女を連れて三つ先のターミナル駅へ向かう電車に乗った。


 ゆらゆら揺れるつり革や、次々に映像が切り替わるテレビ広告──初めて乗る電車内の光景を、チェルシーさんはを興味深そうに眺め。

 そして、窓の外に目を向けた。



「わぁ……」



 住宅街の屋根から、徐々に背が高く、無機質になっていく建物の群れ。

 彼女の目に、この景色はどう映っているんだろうな。見開かれたその瞳は、やはり宝石のように輝いていた。



 目的のターミナル駅に到着し、ホームへ降り立つ。

 アニメのイベントで数回来たくらいの場所だから土地勘があるわけではないが、今から向かおうとしている建物はこの辺りで最も高い。迷うことは、恐らくないだろう。


 地下にある改札を抜け、案内板を見ながら地上に出る。西へと傾きかけた太陽が、ビルの窓に反射して眩しかった。

 俺は相変わらずキョロキョロしている彼女を連れ、一際高く聳えるビルを目指し、メイン通りを進む。


 さすが繁華街、平日だというのにものすごい人である。あっちにあるアニメショップも、こっちにあるゲーセンも気になるが、今はスルーだ。



「……着いた。ここだ」



 目的の建物に辿り着き、一度足を止め、見上げる。

 横で、チェルシーさんもつられるようにして天を仰ぐ。長い睫毛が、何度も空を切っていた。


 建物の中へと入り、しばらく進む。

 ちょうど停まっていたエレベーターに乗り込み、俺は最上階のボタンを押した。


 扉が閉まる……と同時に、エレベーター内が急に暗転した。チェルシーさんが「ひゃっ」と俺の腕にしがみついてくるので、少し笑いながら、



「大丈夫。そういう仕様だから。上、見てみて」



 そう促す。

 彼女が恐る恐る見上げた、天井部分には……



「………わ……」



 星空が広がっていた。


 電光パネルに映し出された、LEDライトだ。

 地上六〇階まである複合施設のビル。そのエレベーター内の人工の星空は、ちょっとした名物スポットになっている。初めてコレに乗った時には、俺も驚いたものだ。



「た、建物の中に夜空が浮かび上がるだなんて……ひょっとして、幻術魔法ですか?!」

「いや、これは科学技術だな」



 我ながらロマンもクソもない返事だと思うが、チェルシーさんが「かがく?」と首を傾げるので、愕然とする。そうか、そこから教えないといけないんだな。



 そうこうしている内に、高速エレベーターはあっという間に俺たちを最上階へと導いた。


 六〇階──展望台だ。


 一面ぐるりとガラス張りになっており、街並みを一望できるようになっている。



「今さらだがチェルシーさん、高いところは平気か?」

「はい、平気です!」



 そう言って頷く彼女を窓の近くへと誘う。

 瞳に映り込んだ眼下の景色に、彼女が「おぉ…….」と小さく息を漏らすのが聞こえた。



 見渡す限りの、ビル、ビル、ビル。

 少し先に、スカイツリーなんかも見える。


 正直に言おう。俺は、この景色を綺麗だと思ったことは一度もない。

 灰色で無機質なコンクリートの塊が、おもちゃのブロックみたいに所狭しと地面に刺さっている。そんな風にしか見えないからだ。彼女の城の窓から見た、自然豊かなあの国の景色の方がずっと綺麗に思える。


 では、何故彼女をここに連れてきたのか。

 身も蓋もない言い方をすれば、『勢い』だ。


 彼女に、ここがどんな世界なのかを手っ取り早く知ってもらうためには、とりあえず俯瞰で見てもらうのがいいだろうと、そう思ったのだ。

 小学生みたいな発想だろ? 綺麗な景色を見せてやりたいとか、そういう小洒落た動機ではないことに自分でもがっかりするわ。


 しかし、彼女は……



「……きれいですね。あの建物の数だけ、窓の数だけ、人々の営みが……人生があるのですね」



 ……一国の姫君には、そんな風に見えているらしかった。

 そして、沈みゆく真っ赤な夕日を、金色の髪に反射させながら。



「ここが……咲真さんの住む世界、なのですね」



 窓に指をそっと当て、確かめるように、そう言った。

 その横顔に思わず見惚れてしまいそうになり、俺は一度咳払いをしてから、



「そう。ここは、君がいたあの世界とは違う。まったく別の世界なんだ。文化も、ルールも、技術も、何もかも……だからここでは、まったく別の君でいても、いいんじゃないか?」



 彼女が「え……?」と驚いた表情でこちらを振り返る。俺は続ける。



「こんなこと、簡単に言うべきじゃないかもしれないが……こっちにいる間は、女王っていう立場とか、魔王を滅ぼす使命とか、そういうのを少しだけ忘れて……等身大のチェルシーさんでいてもいいんじゃないかと思うんだ」

「等身大の……わたくし……?」



 きっと彼女は、長くはこちらの世界にいられない。

 女王として、いつ魔王が復活するかわからないあちらの世界を、いつまでも放っておくわけにはいかないだろう。

 だからこそ、せめてこちらにいる間だけは……彼女に、『自由』であってほしいと。

 そんな風に、思ってしまったのだ。



「……友だち作ってさ。一緒に勉強したり、放課後寄り道したり、買い食いしたり……そういうの、好きなだけすればいいよ。あのばーさんが、俺を諦めて帰って来いって言うまで、ここにいればいい。困らないよう、多少は面倒見るから」



 嗚呼、だめだ。こういうセリフを、目を逸らさずキリッと言えればアニメの主人公っぽいのだが……どうにも気恥ずかしさが勝る。声は尻すぼみ、目線は宙を泳いでしまう。



「そのためにも、やっぱこの国のジョーシキをもっと知っておいてもらわないとな。さっきみたいにボロが出そうになると心配で、いつまで経っても落ちつかねーから」



 終いには彼女を責めるようなこの物言い。カッコ悪すぎ。目も当てられん。

 そんな俺を、彼女は一体どんな顔で見上げているのか……恐る恐る見てみると。



「………………っ」



 ……顔が赤く見えるのは夕日のせいか。

 チェルシーさんは、今にも泣き出しそうな、それでいてどこか嬉しそうな……なんとも切なげな表情で俺を見ていた。



「……ありがとうございます。そんな風に言っていただけて、嬉しいです」

「あ、いや……君がこっちに来ることになったのは俺のせいでもあるしな、うん」

「……あの、咲真さん。……手」

「えっ? ……あっ」



 言われて、俺は繋いだままだった彼女の手を慌てて離す。しまった。学校を出てから今の今まで、ずっと握りっぱなしだった。



「わ、悪い。その……無我夢中で」



 キョドる俺に、チェルシーさんはくすっと笑い、



「咲真さん。先ほど、わたくしのこと……『チェルシー』って、呼んでくださいましたよね?」

「へっ? あ、ああ、ごめん。幼馴染みっぽさを出すためには、呼び捨ての方がいいかなって……」

「……これからも、そう呼んでいただけないでしょうか?」

「よ、呼び捨てで? 別に、構わないが……なんで?」



 そう問いかけると、彼女は自分の胸に手を当てて、



「初めてだったんです。男性からあんな風に、親しげに呼ばれたの。咲真さんに『チェルシー』って呼ばれた時……胸の辺りが、なんだかきゅっとなりました。苦しいような、でも決して不快ではなく……むしろ心地いいような。今もそうです。咲真さんに、この世界で『等身大でいてもいい』と言っていただけて、胸がきゅうっと、温かくなりました」



 それから彼女は、はにかんだように笑って、



「これが、世に言う『胸きゅん』というものなのでしょうか。これって……『恋』の始まり、ですよね? えへへ」



 なんて、それこそ世界が一瞬で恋に落ちそうな笑顔で言うもんだから。


 俺は……俺は……………




「………いや、不整脈じゃないか? あまり続くようなら医師に相談した方がいい」

「えっ?! これ病気なのですか?! いやです、まだ死にたくないです!!」




 と、俺の言葉に涙を浮かべ、本気で狼狽える彼女。

 可哀想なことをしたが、こちらの不整脈を誤魔化すにはこうするしかない。嗚呼、『そんなだから彼女の一人もできないのよ』という姉たちの声が今にも聞こえてきそうだ。



「……と、冗談はこれくらいにして。寮の門限も迫ってきたし、ぼちぼち帰るとするか」

「あ、はい……素敵な場所に連れてきていただき、ありがとうございました」

「いいや。むしろ強引に連れ出すような真似して悪かった」

「とんでもないです。今日一日で、咲真さんのこと、たくさん知ることができた気がします。またいろんな場所へ、連れていってくださいね」



 ……こんな風に彼女に微笑みかけられて断れる人間が、果たしてこの世にいるのだろうか?

 少なくとも俺には無理だ。


 だから、



「………ま、その内な」



 ヘタレな俺は、非モテ全開の言い回しで、『YES』と答えたのだった。

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