第六章その3

 そして七月に入り、最初の週末になるとホームルームが終わるなり席を立って鞄を持つと廊下でみんなと合流すると、奥平唯は早くもテンションを上げている。

「それじゃみんなで、七夕祭りに出発よ!」

「あまりはしゃぐなよ奥平、これから人混みに揉まれに行くんだから」

 入学した頃に比べて灰沢君はすっかり表情が柔らかくなり、このクラスでも平塚駅周辺で行われる「湘南ひらつか七夕祭り」に行く者も多くいて、そのまま江ノ電に乗って藤沢駅まで行き、そこからJR東海道線に乗り換える。

 藤沢駅から電車に乗ると、都内の通勤ラッシュ並かそれ以上の高密度の乗車率で、初めて七夕祭りに行く水季は困惑していた。

「この人逹みんな七夕祭りに行く人逹!?」

「うん、多分……臨時列車やシャトルバスも出るくらいだから!」

 陽奈子は背中合わせになってる水季に言う。

「ある程度は覚悟してたけど、慣れるものじゃないな」

一段と逞しくなって男の顔に近づいた透の言う通りだと思ってると、陽奈子は「うわっ!」とバランスを崩す。

「陽奈子! 危ない!」

 右手で吊革に掴まる唯は陽奈子を左腕で抱き寄せると、なんとか転倒は免れたが陽奈子は唯に抱き付いて顔を唯の豊満な乳房に埋まる。

「だ……大丈夫? 陽奈子?」

「ごめんね唯ちゃん、ありがとう」

 陽奈子は恥ずかしそうに顔を上げると唯の体の奥が熱くなり、全身の血液がマグマのように沸騰して噴火寸前のところを押し留める。

 ほっっっひいいいいいぃぃぃぃぃぃっ!! あぁ~ん陽奈子ぉぉぉぉ~あなたはなんて罪な子なのぉぉぉぉおおっ!! あたしをこんなイケない気持ちにさせるなんてぇぇぇっ!!

「大丈夫か二人とも? それと奥平、お前なんか我慢してるようだけど大丈夫か?」

「えっ? ああ、大丈夫よ灰沢君、心配かけてごめんね」

 灰沢に指摘されると唯は笑って誤魔化すと、ようやく電車は平塚駅に到着。駅のホームに降りると臨時の改札口ができるほどの人で溢れ返る北口改札を通り抜けた。

「やっぱり降ってるね」

 陽奈子の言う通り外は小雨でそろそろ梅雨明けしていい頃だが、それでも多くの人で賑わっている、それだけ平塚の人々はこの祭りを大事に、そして毎年楽しみにしてるのだろうと唯は関心する。

「うわぁ……今年も人多いな」

「うん、なんかコミケみたい」

 初めて来ると言ってた水季は呟く、何かのイベントのことかな?

 まあ後で聞けばいいかと思いながら紅谷パールロード商店街を歩くと、たまにうちの学校の制服を着てる生徒とすれ違う。

 雨足が強まり、唯は傘を持ってこなかったことに公開する。

「雨足強まってきたわね……傘持ってこればよかった」

「唯ちゃん、一緒に入ろ!」

「ああ、悪いね陽奈子」

 唯は陽奈子が持ってきてくれた傘に入ると、前を歩いてる灰沢は濡れることを気にする様子もなく、透が心配したのか折り畳み傘を開いた。

「灰沢君、大丈夫? 濡れてるけど」

「気にするな尾崎、それより小野寺を入れてやれ……レディーファーストだ」

 灰沢はそう言うと水季は「あ、ありがとう」と少し困惑した様子で躊躇いながらも、透が差した傘に入る。

「お……尾崎君、入るね」

「う、うん」

 透は頬を赤らめながら半分以上のスペースを水季に入れて、右肩が雨に晒される。

「あら? あらあらあらあらぁ~甘酸っぱ~い!」

 陽奈子は見てるこっちが恥ずかしいのか、左手で顔を覆い隠して甲高い声になるが、唯の胸に小さな針がチクリと刺さったような痛みを感じた。あれ? どうしたのあたし? 普通だったらアオハルかよぉおおおおっ!! ふぅぅぅっ!! って叫ぶはずなのに……。

「そうだ、写真撮ってやろ……尾崎君、水季こっち向いて笑って!」

 唯はそのモヤモヤした気持ちを振り払うかのように精一杯微笑んでスマホを取り出して構えると、嫉妬の気持ちがわかるほどお似合いだった。

「ええっ? 撮るの?」

「は……恥ずかしいよ!」

 透と水季は画面越しに見る二人はガチガチに緊張している。微笑ましいはずなのに、振った男の子なのに、どうして妬ましいなんて思ってるんだろう?

「よし、撮れた! みんな、送るね!」

 写真を撮ってみんなのスマホに送信すると、短冊に願いを書くコーナーがあり早速みんなで書いてみるが、ペンが動かない。あれ? どうして? 願いを書くぞって意気込んでたのに。

 結局唯は『心に秘めてる願いが叶いますように』と書いたが笹に結ぶ時に、灰沢にやんわりとだが、キツく指摘された。

「そんな曖昧な願いでいいのか?」

「うん、灰沢君の方は?」

 唯は苦笑しながら訊くと、恥じる様子もなく短冊を見せる。

『好きな人に思いを伝えられますように』

「意外だね、灰沢君に好きな子なんて」

「ああ、自分に嘘は吐きたくない……自分に嘘を吐けば、地獄に堕ちる」

 灰沢の言葉には妙な重みがあった。好きな子は誰って訊きたい気持ちもあるけどそれは駄目な気がして訊かないことにすると、向かいの透は水季と楽しそうに話してる。

「小野寺さんは何を描いたの? 僕は『嫉妬や不平不満を口にする人が改心しますように』って書いたの?」

「私は『もっと絵が上手くなりますように』かな?」

 水季の微笑みも妙に艶っぽいし、透も可愛い声を立てて笑うと唯は見なかったフリして願い事を書く陽奈子に訊く。

「陽奈子は何を書いたの?」

「うん『世界中の猫ちゃんが幸せになれますように』って書いたの、私猫を飼っていてYouTubeにも動画上げてるの」

「意外だね、陽奈子がYouTuberなんてね!」

「……唯ちゃん、なんか元気ないけど大丈夫?」

 陽奈子の澄み切った眼差しは唯の気持ちを見抜いてしまいそうで、唯は重い表情になる。

「大丈夫……って言ったら嘘になるかな? なんてね!」

 せっかくのお祭りなのに、暗い気持ちになっちゃ駄目だと笑って誤魔化してしまったが陽奈子は小さく頷き、強さを秘めた眼差しで言う。

「唯ちゃん……どんなに些細な悩みでも、一人で抱え込まないでね」

「……うん、ありがとう陽奈子」

 唯のモヤモヤした気持ちが陽奈子の優しさで晴れ、胸がいっぱいの気持ちだった。


 雨の七夕祭りを楽しんだ金曜日の夜から三日後の月曜日、いつものように水季と登校して教室に入ると、田崎がニヤニヤしながら尾崎を冷やかしていた。

「尾崎、お前小野寺と相合い傘してたって?」

「ああ灰沢君が入れてやれって言っててね、その話をどこで?」

 透は気にする素振りもなく、毅然とした態度を見せている。

「この写真だよ、SNSにも出回ってるぜ……」

 田崎は悪意に満ちた笑みで意気揚々とスマホを見せると唯が撮った写真が、どういうわけか田崎の手に渡っていた。全くこの小悪党が! 唯は駆け寄って田崎の手首を掴む。

「ちょっとやめなよ田崎! その写真誰からよ!?」

 問い詰めると灰沢が申し訳なさそうに謝る。

「すまん奥平……俺が啓太に写真を送ったら、どういうわけかこいつの手に渡っちまった」

「いやいやいや俺が悪いんだ! すまん! 田崎にせがまれて送っちまった!」

 羽鳥も灰沢に泥を被せまいと、必死に謝る。まあみんなに送った唯の過失でもあると透に謝罪する。

「ごめんね尾崎君、水季と尾崎君だけに送るべきだったわ……そして、た・さ・きいぃぃぃぃっ!」

 唯は田崎の手首を握る手にギリギリと締め上げ、柄の悪いギャルの形相になる。

「ひぃぃぃぃいいいいいっ!! 痛い痛い痛い痛い!!」

 田崎は裏返った声で情けない悲鳴を上げ、汚いものを見るような冷たい眼差しで田崎の眼球を貫くように睨む。

「あんたに尾崎君のこと冷やかす権利あると思ってるの?」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんさい」

「何であたしに謝るのかな? 謝る相手間違えんじゃないわよ!」

「俺が悪かったぁあああっ! 尾崎! 許してくれぇぇぇぇっ!!」

 田崎は泣きべそかいて鼻水を垂らしながら必死に謝罪したが、これで反省するとは思えず水季は気まずそうに見ていた。

 騒ぎが一段落して朝のホームルーム直前に唯は頭を抱えながら透に改めて謝る。

「ごめんね尾崎君、あたしの不注意でこんなことになって」

「いや……大丈夫、慣れてるから……悪い意味でね」

 透は苦笑しながら言う、唯は呆れる。

「全くあいつは……あたしが生殺与奪を握ってるってことを忘れてるね」

「どういうこと? もしかして弱味とか?」

「当たり、今からスマホで送るね」

 透は首を傾げると唯はスマホを操作し、それを透のスマホに送信すると彼は送られてきたばかりのスマホの画面に目を通すと、今まで見たことのない不敵で怖い笑みを見せた。

「なるほど、奥平さん……ありがとう後は僕が直接手を下すよ」

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