第四章その2
唯はなに食わぬ顔で店の扉を開ける、店内にはお客さんもそれなりにいた。
「いらっしゃいま――なんだ唯じゃない、店の手伝いしなさいよ!」
母親は営業スマイルから露骨に機嫌の悪い顔になるが、唯はニヤけながら腕を組んで横着な態度になる。
「そんなこと言っていいのかな? 今日はお客さん四人も連れてきたのよ」
「こんにちわ、唯さんのクラスメイトの小野寺です」
四人のお客さんを代表して水季が礼儀正しく挨拶すると、母親は上機嫌になって歓迎する。
「あらまぁいらっしゃい! すぐに案内するわ!」
「おじゃまします」
陽奈子はまるで初めて友達の家に上がるかのように、緊張した面持ちで店に入る。
「みんな、すぐに作るから待っててね」
四人を席に案内すると、唯はすぐに栗色の髪を結んで三角巾を被り、エプロンを着て石鹸で手を洗うと、父親の仕事場でもある厨房に入る。
「ん? 唯? 出かけたんじゃなかったのか?」
「仕事中邪魔して悪いけどお父さん、お代はあたしが払うからみんなの分作らせて」
「あ、ああ……構わないが」
いつも以上に真剣な表情を見せる唯に、きょとんとした表情を見せる父親。
唯は今まで教わった知識と店番の経験を総動員して五人分のしらす丼を作る。休みの日や土日、繁忙期には休みなしで働かせられた経験が、まさかこんな形で活かされるとは思わなかった。
こんなことならもっと積極的に手伝えばよかった、唯は後悔しながらも、しらす丼屋の娘の意地とプライドをかけて友達のために振る舞った。
「お待たせ、みんな」
唯は自分を含めて五人分を作り上げ、エプロンと三角巾を脱いで椅子に席に座ると透は興味津々の眼差しで見つめる。
「これ、もしかして奥平さんが作ったの?」
「もっちろん! 江ノ島名物、しらす丼屋の娘だからね!」
唯は胸を張って誇らしげに自信満々で言うと、母親がハッキリと響く声でツッコミを入れる。
「よくサボるけどね!」
それでみんなの笑い声で満たされる、そしてみんな手を合わせて「いただきます」とお昼ご飯を食べ、陽奈子と水季が早速誉めてくれた。
「これ唯ちゃんが作ったの!? 美味しい!」
「凄い、こんなの作れるんだ」
透も口にすると複雑な笑みを見せた。
「まさか、こんな形で奥平さんの作った料理を食べるなんてね」
唯は思わず心がチクリと刺されるような気がした、それ以上のことは言わずみんなと他愛ないお喋りしながら食べる。
灰沢も美味しそうに食べながら賞賛してくれた。
「うん、美味い。さすがしらす丼屋の娘だな」
「よかった……みんなが喜んでくれて」
久し振りに作ったから正直あまり自信なかったけど、みんなが喜んでくれてしらす丼屋の娘でよかったと不思議な充足感を得た。みんなしらす丼を残さずあっという間に食べ尽くし、唯は自分のお店にお代を支払うため、立とうとした時だった。
「あっ、唯ちゃんちょっと待って、お米ついてるよ」
陽奈子は唯の唇の下に付いていた米粒を小さくて細い人差し指で取り、それを口に入れて天使のような笑みで小悪魔みたいにウィンクする。
「唯ちゃん小さい子みたいだよ」
「あ……ありがとう陽奈子……や、優しいのね」
ほっひぃいいいいいいいいいい!! 陽奈子たんマジ天使!! あたしが男だったらもうメロメロのぶひぶっひぃぃいいいい!! 興奮を表情に出すまいと必死で抑えているが、鼻から血が垂れて水季が慌てる。
「唯! 鼻血! 鼻血! 鼻血!! ちょっと大丈夫!?」
「ええっ!? ああ、ごめん水季、陽奈子がもう可愛すぎるのよ!」
しまった! つい本音が出てしまったと唯は慌ててポケットティッシュで拭った。
少し早いお昼ご飯を食べ終えて唯の家でもあるしらす丼屋を後にすると、緩やかな坂を登った先に江ノ島神社に続く石段の前に五人は立つ、さてどこに行くかで天国にも地獄にもなると、唯は恐る恐る訊いた。
「みんな、どの方向に行くか一斉に指差して、せーの!」
唯は右、陽奈子は左の江ノ島エスカー、水季と灰沢、そして透は真ん中を差した。
「ゲェ……よりにもよって真ん中?」
唯が思わず青褪めると陽奈子もこの世の終わりみたいな表情になる。
「尾崎君や灰沢君ならまだわかるけど、水季ちゃん本気なの?」
「うん、登り切ったらいい景色が見られるかもしれないの、それにあんまりお金使いたくないし……熊本にいた時に日本一の石段で三三三三段登ったこともあるから」
水季の言うことに唯は思わず目眩がしそうになる。
「へ……へぇ……水季、キツいと思わなかった?」
「凄くキツかったよ、自衛隊の人達が訓練に来るくらいね」
水季は涼しげな顔で言うが、そんなに登ったら足がゴジラみたいに太くなりそうだ。
そういえば水季の太ももをよく見ると細くなく、尚且つ太すぎない健康美を感じさせる肉付きのいい美脚だった。
「足腰は鍛えた方がいい、俺の祖父ちゃん足を悪くしてな……歩けることの大切さを痛感してる、食後の運動にもいいしな」
「僕も、運動する時に家から江ノ島の裏側までよくここを通っていたから慣れっこだよ」
灰沢と透も涼しげな顔で言う、仕方ない……ここから江ノ島の裏側まで地獄の行軍演習よ! 唯は腹を括って目の前の石段と向き合った。
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