電車と人形

メンタル弱男

電車と人形

 近鉄大阪線、大阪上本町行き急行。平日の昼間ということもあって、車内はさほど混んではいない。上田は電車に乗り込み、座席の端に座った。そしてその時から、目の前にぶら下がる人形を見つめていた。


『なんでこんな所にあるんだろう?』

 

 その人形は、何をモデルにしているのか判別できない姿をしていた。耳はウサギのように長く立っていて、鼻はブタに似ている。歯は剥き出しで、目は半分閉じているような寂しげな形だ。胴体は人間のようにシャープで、よくその身体でその大きな頭を支えているなぁ、というくらいにバランスが悪く思えた。そして疲れた表情のまま、車内の人間をじっくりと観察しているようにも見えた。


 河内国分駅で小学校低学年くらいの男の子がお母さんと手を繋ぎながら車内に入ってきて、上田の斜め向かいに座った。しばらくすると、やはり思った通り、その子供はぶら下がった人形を指差して、

『なんなんあれ?変なのー。』と、気に入ったようだった。そしてその言葉をまるでしっかりと聞いていたかのように、人形はくるっと子供の方を向いた。なんとも気味の悪いタイミングだったが、子供にとってはそれがさらに面白かったようで、声を上げて笑っていた。


 一体誰がこんな所に取り付けたのだろう?しっかりとストラップの紐をつり革に括り付けている。忘れたのではなく、わざとやっていったのは間違いない。加速する電車に合わせて頼りなく傾く人形の顔を茫然と眺めながら、上田は『よく分からないなぁ』と漏らすように大きなあくびをした。



          ○


 上田は子供の頃、よく二つの人形を使って遊んでいた。どちらも猿の姿をしていて、片方は茶色、もう一方は灰色だ。"この二匹は若い頃は同じ釜の飯を食う仲だったが、お互いに目指す場所が異なっていた事から対立を繰り返すようになり、壮絶な闘いを繰り広げる”

という王道のような物語を一人で自作自演していた。必殺技の名前も有名な漫画から借りてきたものだし、些細なストーリーはすっかり飛ばしてしまうような酷い構成だったが、その遊びは当時の上田にとって、何にも変えられない特別な習慣となっていた。

 だがあの人形は今どこに行ってしまったんだろう?



          ○


 鶴橋に着いたが、ゆらゆら揺れている人形は(もちろん当然の事だが)、降りる気配はない。上田は少し、その寂しげな表情に同情したのかもしれない、ゆっくりとストラップを外して、一緒に電車を降りることにした。

『あの、すいません。この人形忘れ物です。』

『ありがとうございます。お預かり致します。』

 駅改札横の係員に渡した時、この人形が『ありがとう』と言ってくれると嬉しいなと思ったが、すぐに何を考えてるんだろう?と可笑しくなった。

『人形を忘れる方、結構いらっしゃるんですよ。ただ持ち主から連絡あることもあるんで帰れるといいんですけどねえ』と、係員が心の底から思いやるような口調で言った。上田は苦笑しながら『そうですね』と曖昧に答えた。


 恐らくあの人形を括り付けたのは持ち主ではないだろう。落ちていた人形を遊び半分でつり革に取り付けただけだと思う。もしそれが持ち主だったならあの人形は決して帰ることはない。。。



          ○


 その日の夜、上田は人形に囲まれる夢を見た。囲まれると言っても、何か嫌がらせをしてくる訳でもないし、睨まれてもいない。むしろ人形達は穏やかな笑みを浮かべている。その中につり革に括り付けられていた人形の姿もあった。その日見た時よりも、少し体が筋肉質に見えたのは夢のふわふわした雰囲気のせいもあるだろう。その奇妙な夢の中、ボソッと『待っていたんです。ありがとう。』と聞こえた。上田はあの人形だなと、嬉しく思った。



          ○


『どうした?そんな眠そうな顔して。』

 同僚の森岡がデスクを挟んで聞いてきた。

『変わった夢を見たんだけど、途中で起きてしまって。それからすっかり眠れなくなっちゃってさ、、、』と、上田はボンヤリとした目をわざと大きくして見せた。

『疲れてるんだな。』

 森岡は周りの人の些細な変化に良く気付くとても気配りのできる人だ。

『もっと気楽に行こうぜって言えたらいいんだけど、俺達はなんだかんだで、いつもせかせかしてるよな。なんか今日はいい事ないかなあって思える余裕が欲しい。』

 部屋の入り口近くで、ウィーンと機械音を立てながら延々と資料を量産していたコピー機が突然エラーになり、『なんだなんだ?』と言いながら面白がるように何人かが集まった。

『もっと毎日毎日小さな視点で見ると、なかなかいい事も見つかるのかも。』と、上田がひとりごとのように呟くと、

『それは、、、そうかもしれない。なんかよく分からないな。』難しく考えるような顔をしながら、明るい声で森岡が答えた。

 暖かい日差しが窓の外でゆっくりと地面に降り注ぐ。まるで窓を隔てて、時の流れが違ってしまっているようにも思える。

『おっ。そろそろ休憩の時間だ。』

 簡単に片付けをして、昼食に向かう。いつもと同じ、何も変わらない毎日。

 そう思っていた。


『あれ、上田のその人形は何?』


 え???



          ○


 机の下の鞄置きにパソコンが入るくらいのバッグを置いている。その持ち手のところにしっかりと括り付けられていたのは、前日に上田が駅員に渡したはずの人形だった。会社に持ってくる時には確実に何も付いていなかった。いつの間にこんなところにぶら下がっていたのだろう?全くありえない事が目の前で実際に起こると、意外と冷静になれるものなのかもしれない。その人形をじっと見つめながら、上田はあれやこれやと頭の中で考え始めた。だがやはりその考えはどれもとりとめの無いものだった。

『そんなの持ってたっけ?』

 森岡は笑顔で聞いてくる。『いや、持ってはいないんだけど、、、』と、上田は適当に返事をした。

 人形の顔はなぜか机の奥側を向いていて、よく見えないが、それがより一層不気味だ。

『でも人形付けてると、気分明るくなるよな。俺も明日付けてこよう。』

 何も知らない森岡がとても羨ましく感じたが、それでもこの人形をどこかに置いて行くわけにもいかなかったので、上田は仕事終わりに一緒に持って帰る事にした。


 鶴橋駅で、上田の頭の中はさらに混乱した。昨日預けた人形は、無くなってしまったらしい。駅員に尋ねると、忘れ物の管理場所に昨夜まではあったのだが、今朝出勤した人は人形を見ていないと言う。

『侵入者の場合も考えられたので、入口の監視カメラを確認したんですが、誰も映っていませんでした、、、。』



          ○

 この物語はフィクションです。実際の人物、団体名等とは関係ありません。

 この物語は、、、、、、。


 終着駅は一つなのに、無数に枝分かれしている線路の上を僕は歩く。



          ○

 それからというもの、奇妙な人形は常に上田の側にあった。特に何かで必要になる事はないが、バッグに付いている事がなんとなく安心感を与えた。そして上田のまわりでも良いことが少しずつ増え始めた。仕事で評価されたり、友人が結婚したり、漫画の懸賞が当たったり。お守りのような力があるのではないかと考える程だ。

 そして実家に帰った時には、子供の時に遊んでいた猿の人形を見つけた。就職するまでは実家暮らしだったから、こんなにもずっと近くにあったのだ。それでも心が離れてしまう事に上田はひどく悲しみを感じた。ずっと待っていた人形はどんな気持ちだったんだろう?動くことができないまま、持ち主を信じ続けていたのかもしれない。信じること、それに応えることを繋ぐのは、きっと優しさであって欲しいと思った。


 上田のこの人形との出会いは、忙しない日々の中で、幸せや優しさを考え続ける一つのきっかけになった。きっと、これからも一緒に歩んで行くのだろう。



          ○


『あぁ体が痛い。ちょっと寝違えたかも。』

 重い瞼。あれ、おかしいな。上田はゆっくりと目を開ける。

 知らない景色。揺れる景色。流れていく車窓からの景色、、、。車窓??

 宙に浮いたカラダは加速する電車に合わせて頼りなく傾いた。


 つり革に括り付けられた人形は持ち主を探し続ける。







 


 



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