文字喰い

丸田信

1.ルール

 世の中には、たくさんのルールがある。生きていくうえで必要なものから、本当に意味があるのか首をかしげたくなるものまで、数えきれないルールでかんじがらめになっているのが現代だ。


 ここでも、同じことが言える。

 ネット依存症の改善を目的に、社会と隔離して集団生活を送る大学教授発案の治療施設にもルールがあった。


 一週間に及ぶ隔離期間は、世間から切り離されてスマホなど通信機器の持ち込みは禁止、毎日行動記録も兼ねた日記を書かされ、奇妙なルールとしてはなぜか本名を隠してニックネームで呼び合う決まりとなっていた。食事の準備でさえ――八名の参加者が当番制で執り行うルールになっている。


 初日目は困惑が大きく気恥ずかしさもあったが、さすがに三日目ともなれば慣れてきた。


「フミくん、お皿を取ってくれる」

「わかりました、ユアさん。これでいいんですよね」


 僕は食器棚から大皿を二枚取り出し、アイランドキッチンの空いたスペースに並べた。

 油を切ったカラアゲを、ユアさんが手際よく盛りつけていく。プライバシーに関わる話にふれたことはないが、彼女の左手薬指には指輪が光っている。日常的に食事を用意していた身の上であることは想像に難くない。

 ユアさんの年齢は三十代前半といったところ。どういう経緯でネット依存症となったかは……想像もできない。


「いいにおいだな。今晩はカラアゲか?」


 食事当番でもないのに、ふらふらと肥えた体を揺らしてタミーがキッチンに入ってきた。出っ張った腹の奥から、急かすように虫がくぐもった鳴き声をもらす。

 僕は苦笑して、つまみ食いを狙う手を軽くはたいた。高校生の僕より、タミーは十歳ほど年上なのだが、世代差を感じさせない気安さがあった。


「タミー、すぐに食事なんだから、もうちょっと待ってなよ」

「いつ食おうが、腹におさまるのはいっしょなんだ。別にいいだろ」

「みんなで食事するのが、ここのルールだ。こればっかりはしかたがない」

「マジメなヤツだなぁ。若いのに堅苦しすぎるぞ、フミは」


 別にマジメなわけでも、ルールに厳格な性分というわけでもない――僕は昔から、他人の目を気にしすぎる傾向があったのだ。ユアさんの目がなければ、つまみ食い程度は見逃している。


 たぶん、双子の弟がいた影響が大きいのだと思う。

 大人たちは双子に、同じであることを求めていた。似た見た目、似た行動と、そっくりであることを口にこそしないが要求しているのを感じながら育ってきた。


 その結果、気づけば弟を意識して、彼と自分を重ねるようになっていた。他人の目を気にして、同じであると思われているか確かめるクセがついていたのだ。


「はいはい、くだらないことで争わないの。早く食べたいなら、タミーも料理運ぶの手伝いなさい」


 まるで子供をさとすようなやんわりとした口調だ。呆れ顔のユアさんが、盛りつけの終わった皿を押しつける。

 僕とタミーは顔を見合わせて、きまりの悪さを共有すると、皿を手にして食堂へ向かう。


 すでに食堂では、ネット依存症改善プログラムの参加者が揃っていた。大きなテーブル席を囲んで、思い思いに座っている。


「でさ、そいつが言うには、うちの大学の学食に裏メニューがあって――」


 真っ先に目がいったのは、少々チャラい自称大学生のカズマだ。彼は身を寄せて、物静かで控えめなチイに話しかけていた。よほどタイプなのか、初日目から積極的に声をかける姿を目撃している。


 整った顔立ちにそぐわないオドオドとした受け身なチイは、流されるまま聞き役に徹していた。カズマとの会話で耳にした情報によると、同僚と折り合いが悪く、入社から一年足らずで会社をやめたという話だ。人生に大きなアドバンテージを得られる美人であっても、いいことばかりではないらしい。


 少し離れた席で、静かに本を読んでいたのは参加者最年長のゼンさんだ。その向かい側の席に最年少のマッキがおり、こちらも本を読んでいる。文庫と漫画と読んでいる物の違いはあったが、親子ほど年の差のある二人が、似たような姿勢で読書に興じている姿は微笑ましい。


 いつも眉間にしわを寄せた険しい表情のゼンさんは、四十歳手前の働き盛り。神経質そうな顔立ちに、メガネがよく似合う。見た目のイメージとぴったりな役所関係の堅い仕事をしていると言っていた。


 対してマッキは、まだ中学生だ。第二次性徴途中の幼さのなかに、陰気な影がこびりついている。多くを語ろうとはしないが、学校の人間関係に問題を抱えていることは言葉の端々から感じ取れた。


「早く準備しようぜ。腹ペコで死にそうだ」


 タミーに急かされ、僕は皿をテーブルに置いて食事の用意を進めた。各人の食器を並べて、キッチンから炊飯器を持ってくる。

 そうしてあらかた用意が整ったところで、参加者最後の一人――サーヤがふらりと食堂にやって来た。彼女はちらりとテーブルの食器に目をやったが、席に着こうとはせず、窓辺に寄ってぼんやりと外の景色を眺めている。


 不思議な女の子だった。僕と同年代だと思うが、話す機会がなかったのでくわしくはわからない。僕だけではなく、他の参加者とも交流している気配はなかった。カズマは何度か声をかけていたようだが、会話が成立しているところを見たことはない。

 印象的な物憂げな表情の下に、いったい何が根づいているというのだろうか。


「あら、教授はまだなの?」


 味噌汁の鍋を手にして食堂に入ったユアさんが、集まった顔ぶれを見て首をかしげた。

 食事は全員揃って取るのがルールだ。そのなかに責任者である教授も含まれている。ルールを選定した立場上からか、教授が時間に遅れることはこれまで一度もなかった。


「どこにも行く場所はないんだ。すぐに来るだろ」


 几帳面にしおりをはさみ、文庫本を閉じたゼンさんが顔を上げて言った。

 その言葉通り、行く場所は宿泊施設として利用する、この別荘以外にどこにもない。ここは無人島にあるヴィラ風の邸宅――ネット依存症改善という性質上、外界との接触をさける立地を求めて、大金持ちの大学理事の別荘を教授が借りたと説明を受けている。


 電話回線も、当然ネット回線もつながっておらず、船による運航でしか陸地とは行き来できない。その連絡船も最終日の四日後まで着岸予定のない徹底ぶりだ。

 夏場ならば贅沢なプライベートビーチとして楽しめる場所もあるのだが、残暑も落ち着き秋口に入った現在、教授が決められた食事時間に出歩くとは思えなかった。


「わたし、呼んできます」


 珍しくサーヤが、自ら仕事を買って出る。意外とキビキビした足取りで、まっすぐ廊下に踏み出した。

 慌てて後を追い、彼女の隣に並ぶ。サーヤは長い髪を揺らして、不審そうな目を向けた。


「待って、僕も行く」

「教授の部屋に行くだけだよ?」

「そうだけど……もしいなかったら、手分けして探そう。こういうのも食事当番の仕事のうちだと思うし」


 後に引けず適当な思いつきを言ったものの、自分の行動に自分自身でも疑問を感じる。どうしてついていこうと思ったのか、明確な答えを出せない。

 サーヤはいまいち腑に落ちないという顔つきを浮かべていたが、その気持ちをわざわざ口にすることはなかった。ほんの少し床板を蹴る足音が、乱暴に聞こえたのは気のせいだろうか。


 教授の部屋は、廊下の一番奥にある。本来の持ち主が私室に使っていた大きな部屋を、教授は寝室兼面談室として使用していた。

 こちらに来てから行われた面談で一度入ったが、豪華な調度品とはつり合わない資料の詰め込まれたダンボール箱が乱雑に置かれていたのをおぼえている。


 部屋の前に到着すると、サーヤは迷いなくドアを叩いてノックした。まるで苛立ちをぶつけるような、わりかし雑なノックだ。


「教授、食事の時間ですよ」


 サーヤが声をかけないので、代わりに僕が呼びかける。

 ノックと呼びかけを交互につづけても、まったく反応はなかった。しびれを切らしたサーヤが無造作にドアノブをつかむと――カチャリと音を立て、すんなりドアは開く。

 僕たちは思わず顔を見合わせて、視線で同意を得ると、そっと部屋に入った。


「教授、いないんですか?」


 向かい合わせのソファと中央に猫脚のテーブル、その奥にアンティーク調のデスクがあり、部屋の隅にすえられた本棚を塞ぐようにダンボール箱が積んであった。以前僕が立ち入ったときより、多少は整理されている。


 教授の姿はどこにも見当たらない。周囲を見回していると、隣のベッドルームにズカズカと押し入ろうとすサーヤの姿があった。

 遠慮の欠けらもない不作法な行動は、普段の人を寄せつけない態度からは想像もできない。こちらが彼女の本性なのだろうか。


 僕は遠慮して大人しく待っていると、いきなり――

「いやぁぁぁぁあ!」


 耳をつんざくサーヤの悲鳴が、ベッドルームから響いた。あまりに唐突な展開に、混乱して身動きできなくなる。いったい何があったというのか、彼女が出てくる気配はない。

 悲鳴を聞きつけた参加者たちの、食堂から駆けてくる足音が聴こえた。その音でようやく我に返り、僕は急いでベッドルームに飛び込む。


「どうしたんだ、サーヤ!」


 彼女は入ってすぐのところでへたり込み、ガタガタと体を震わせていた。顔面蒼白となり、瞳孔が激しく揺れている。

 理由は、すぐに察した。キングサイズの大きなベッド脇から、横たわった足が突き出しているのを見つける。


 おそるおそる覗き込むと、目があう――大きく見開いた目と、偶然かちあったのだ。教授は苦悶に歪んだ顔をして、胸をかきむしるような動作の途中で倒れていた。

 僕は息を飲んで、教授の顔に軽くふれてみた。白髪混じりのごま塩頭が、抵抗なく崩れた。指先の感触でわかる。教授は――死んでいた。


「ど、どうなってんだ……」


 疑問をぶつける場所を探して、サーヤにいきつく。彼女はまだ混乱のさなかだ、話を聞ける状態ではない。

 そこに、参加者たちが駆けつけてきた。カズマは教授の遺体を見て、「ヒィ」と喉を鳴らす。恐怖を顔に張りつかせて、逃げるようにベッドルームを出ていってしまった。遅れて到着したチイが、サーヤの肩を抱いて退避させる。


 僕も気持ちを落ち着かせて、ベッドルームを出た。ちょうど積まれたダンボール箱に寄りかかり、汗だくになって震えていたカズマが、ぽつりと口走った奇妙な言葉を耳にする。


「……文字喰い」


 カズマの視線の先にあったデスクには、一枚の紙が置かれている。

 書かれていた不思議な文に、僕は目を奪われた。

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