第4話 感謝と謝罪

 最も会いたくなかった相手。今まで学校に行かなかったのは居心地の悪さもあるけど、ナオに会うのをきらったためだった。

 俺はナオにみつき血をすすった。あの時の強烈な感覚が未だに脳裏のうりにごびりついて離れない。

 ひどく足取りが重い。まるで両足に重りが着いているみたいだ。ナオに近づくにつれて気分まで悪くなってくる。

 一体どんな顔をして会えば良いと言うんだ。どんな話をしろと言うんだ。


「なんて顔してんのよ」

「別に……普通だろ」


 向かい合っての第一声はそんな言葉。出来る限り装ってみたのに、表情は隠しきれなかったようだ。そもそも家がとなり幼馴染おさななじみに隠し事なんて出来るわけもないか。


「なんか用か? 俺は忙しいんだよ」

「学校サボってるくせに忙しいわけないでしょ」


 反論の余地すら無い。お前に会いたくなかったなんて言えるわけもなく、取れる選択肢は沈黙することだけ。

 ナオはジャングルジムの上から見下ろしている。何時も通りの姿、ナオは昔も今も何も変わっていない。

 だけど違う、ナオはもう人間じゃない。俺が変えた。首筋に噛みつき、血をすすり、俺がゾンビに変えてしまった……

 どうしても視界に入る首筋から目をそらしたくて、地べたに腰を下ろしてジャングルジムに背中を預けた。


「……傷は大丈夫なのかよ」


 静寂せいじゃくが辛くて口にした余計な一言。時間を戻してくれ、どうして訪ねてしまったのか分からない。

 そんな無茶な願いがかなうわけもなく、ナオのため息が頭上から降り注いだ。


「やっぱり、それを気にして避けてたわけね」

「…………」

「もうあとすら残ってないわよ。ゾンビの回復力みたいな? まあ、タクトのお陰でね」


 その言葉には腹が立った。そりゃ原因は俺にあるとも。だけど好きで噛み付いたわけじゃない。助けたい一心だったのに、それを『お陰』なんて言葉で片付けられて黙っていられるか。


「お前ッ――」


 言い返そうと顔を向けた瞬間、当の本人がジャングルジムから俺の正面へ飛び降りた。

 完璧な不意打ち。先手を取られて言葉を続けられなかった。

 振り返ったナオがひざをついて俺と向かい合う。互いの息すら届く距離までせまった顔が視界の脇へと消えた。


「な、なんだ急に!?」


 気づけばナオに抱きしめられていた。

 まったく脈絡のない行動に思考が追いつかない。只々パニックを起こす脳内、視界すら白黒に明滅めいめつしている気さえする。


「ずっと守ってくれてありがとうね」


 耳元で聞こえたナオの言葉が頭の先からつま先までの熱を一気に下げた。

 そして湧き上がる感情という名の膨大ぼうだいな熱。

 体が震えて視界がゆがむ。涙が止まらない、羞恥心しゅうちしんすら働かずに次から次へとあふれて流れ落ちていく。


「うあ、あぁ……ごめん、ナオ……ごめんなぁ……」


 今まで絶対に謝らないと固く決めていた。謝って済む問題じゃない。何をすればつぐないになるのか分からないけれど、謝ることだけはしてはいけない。ずっとそう考えていたんだ。

 だけど謝りたかった。許されなくても良い、伸し掛かってくる重圧を少しでも軽くしたかった。

 今は軽い、驚くほどに肩が軽く感じられる。心から自身が救われたんだと実感できる。


 ナオは良いヤツだ。今なら学校でナオが人気な理由がわかる気がする。

 勝ち気で、口うるさくて、男勝りで、俺には恋愛対象にすらならない幼馴染だったが、他の男に聞けば黒髪のショートヘアが良いだの、性格が良いだの、顔が整っているだの大絶賛だいぜっさん。告白した男どもに眼科を勧めた回数はもう数えきれない。

 でも今ならそんな男たちの気持ちが少しだけ分かる。良いヤツなんだよ、本気で彼女にはいらないけど親友としては最高級だろう。

 だから感謝の気持ちを込めて厚い抱擁ほうようを行おうと思った……のだが、


「ちょっと何時まで抱きついてんのよ!」

「――ぶはぅ!?」


 力いっぱいに突き放された衝撃しょうげきで後頭部がジャングルジムに激突した。


「イデェエエッ!! お、おまおまっ! お前いきなり何――」

「うっわ……ちょっと! 服に鼻水ついてるじゃないの!! お気に入りだったのに!!」

「そんなん、ナオが抱きついてくるからだろうが!!」

「鼻水付けられるって知ってたらしなかったわよ! も~~最悪ッ!」


 ポケットティッシュで付着した俺の鼻水を心底嫌そうに拭き取っているナオ。

 その様子を見ながら確信した事が二つある。それは、こいつに告白する奴の気持ちは一生理解できないってことと、今後は何があっても罪悪感をいだく必要なんて無いってことだった。


「ほら、タクトも使いなさいよ。顔が汚くて見てらんないわ」

「……おう」


 放られたポケットティッシュで顔に付着した汚れを拭う。涙と鼻水が混ざり合って確かに顔全体がひどいことになっていた。

 その間にたかぶっていた感情も静まり、落ち着きを取り戻した頭で会話を再開する。


「ここで何してたんだ?」

「タクトと一緒。学校行くきもしないし、暇潰ししてたってだけ」

「そりゃそうか」

「あとはまあ……これからどうなるのかってね」


 先の事……それは俺だって何度も考えたことだった。けれど、考えれば考えるほど待っている未来はロクでもないものだと考えてしまう。


「ねえ、どうしてアタシとタクトだけが人間っぽいの?」

「分かんねえ……そもそも今の俺たちってゾンビなのか?」

「首の傷が一ヶ月かからず消えたのよ? 絶対普通じゃないわ」


 傷の深さは噛み付いた俺が誰よりも知ってる。どう考えても一ヶ月であとすら残さず完治するなんて無理だ。


「やっぱ拓人に噛まれたのが原因なのかしら?」

「う~ん……」


 ナオも俺と同じゾンビらしくないゾンビ。同じ症状の者は他に見たことがない。

 そう考えると俺に原因があると考えるのが自然だ。

 だが、そうだった場合、非常に困ったことになる気がする。


「仮に、仮にだぞ? 俺のせいだったらヤバくね?」

「そりゃ間違いなく誘拐ゆうかいされて、解剖かいぼうされて研究コースでしょ」

「ですよね……」


 俺の体にゾンビ化をおさえる力があるとしたら、謎の組織に捕まり研究されるなんてのはパターン中のパターンだ。

 映画の見過ぎとかじゃなく、こんなゾンビが溢れる世界が訪れたら誰だってそうするだろう。


「今にきっと知らない番号から電話があって、最後は脳みそだけホルマリン漬けに」

「怖えこと言うなよ!? ってか、ナオだって同じ状況なんだかんな!」

「はあ~……こんな事なら別の人に噛まれれば良かった……」

「好きで噛んだわけじゃねえしなあ……」


 呑気のんきに晴れ渡る青空を見上げながら、二人そろってため息をつく。

 そんな時間が五分ほど経過した時だった。聞き覚えのある小さな異音が、俺たちの鼓膜こまくを激しく揺さぶり、二人仲良く発生源であるナオのポシェットを凝視する。

 間違いない、この音は携帯電話のヴァイブレーションが鳴ってる音だ。


「鳴ってんぞ……?」

「産まれて初めてスマホ持ってるの後悔したわ……」

「ど、どうせ家か学校からだろ……?」


 なんてタイミングだ。たった今話していたことが一気に現実味を帯びてきた感じがして、気分が悪くなってくる。

 恐る恐るといった様子で、ポシェットからスマートフォンを取り出したナオが、画面を見て頭を抱えた。

 一瞬で理解できてしまった。俺の眼前に突きつけた画面には、誰かの名前ではなく番号だけが表示されていた。

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