第2話 赤に染まった幼馴染

「ッ!?」


 ガシャンと近くでガラスが割れたような音が聞こえた。いや、ような音じゃなくまぎれもなくガラスが割れた音。

 居場所がバレた。隣家りんかではない、間違いなく俺たちが隠れているこの民家の窓ガラスが突破されたんだ。


「荷物を詰めろ!! 逃げるぞ!!」

「わ、分かってる!」


 手早く必要な物だけバッグに詰め込み、さっきナオが見つけてきた金属製のバットをにぎりしめて音の反対側へと走る。

 そこは台所。既に裏口があるのは確認している。そこから急いで逃げだして遠くへ離れるんだ。


「クソッたれが!!」


 目の前の光景に悪態が飛び出す。

 何処にこれだけの数が隠れていたのか、裏手にそなわった窓ガラスにはゾンビたちがびっしりとり付いていた。


「こっちだ!」

「何処行くの!?」

「……――トイレだ!! そこの窓から出られる!!」


 それにトイレは家の中で最も頑丈がんじょうな作りになっているとテレビで見たことがある。そこならゾンビたちのいきおいにも耐えられるかもしれない。

 とは言え、このボロ屋とボロ扉じゃ期待する耐久性は得られそうにもないが……


 トイレに駆け込み中を確認する。光を取り込む小さな窓が備わっており、それは俺たちなら十分に通り抜けられるはばだ。

 だがしかし、窓越しからはゾンビたちの鳴き声が聞こえてくる。

 直ぐには出られない。ここで耐え抜いて奴らが窓際から離れるのを待つしか無い。けれど、それまでドアの耐久は保たないだろう。


「ナオはトイレに入ってろ! 俺はドアの前で時間をかせぐ!」

「拓人も一緒に隠れたほういいって!」

「ドアがたねえよ。大丈夫だって、ゾンビ退治は慣れっこだ!」

「だけど……」


 まくしたてる言葉に、ナオは首を立てに振らず不安そうに見つけてくる。

 さっきナオが自分を見捨てろと言ったように、今度は俺が犠牲ぎせいになろうとしているのだと考えているのかもしれない。

 だけど俺は死ぬ気なんて無いし、犠牲になってやるつもりも無かった。

 半ば突き飛ばすようにナオをトイレに押し込んでトイレのドアを閉める。そして少しでも安心させてやれるように声を張り上げた。


「俺は……俺たちは死なねえ!! 何が何でも二人でここを逃げるんだ!!」

「一人じゃ無茶よ!!」

「同感!! 五分ぽっち耐えられる自信もねえ!! だから逃げるタイミングを見逃すなよ!!」


 精一杯せいいっぱい虚勢きょせいを張った返事。五分だろうが十分だろうが耐えて見せる自信はあるが、希望という脱出路がまるで見えない。

 それでもやるしかないんだ。かく、今はナオを無理にでも納得させて命が続く限り時間を稼ぐしか無い。

 そうこう考える内に、ガラスを突き破った張本人と思しきゾンビが廊下の角から姿をのぞかせる。

 痛みを感じないのか、腹や顔にガラス片が刺さっているというのに歩みにおとろえがない。


「来いよゾンビ野郎!! お前の弱点は分かってんだぞ!!」


 思いっきり地面をりつけゾンビの頭目掛けてバットを振り下ろす。来いと言いながら自分から行く辺りどうかと思うが関係ない。どうせ相手に言葉なんて通じないんだ。

 バットを通じてにぶい感触が両手を伝わり、脳天が陥没かんぼつしたゾンビが地面に倒れ込む。

 こいつらの弱点は頭。この弱点も映画やゲームとまったく同じだった。


「次は誰だ!! まだまだ行けちゃうぞオラアァッ!!」


 後に続くゾンビの頭も同様に叩きつぶす。廊下ろうかが狭い影響で複数におそわれずに済んでいるのが幸いした。

 二匹、三匹、四匹と順調に処理が進んでいく。初めの頃は人間の脳天のうてんを潰す感触だと思うと気分が悪くなったものだが、一ヶ月経った今じゃもう何も感じない。


「うじゃうじゃ来やがってキリがねえ……」


 際限なく押し寄せるゾンビ。いくらせまいと言えども走り回り体力の消耗しょうもうしきった体じゃ持ちこたえられない。

 そうしてジリジリと後退を余儀なくされた時――


「痛ぅッ!?」


 唐突とうとつに左足をおそったするどい痛み。

 即座に痛みを確認した時には全てが遅く、脳天の陥没したゾンビが俺の左脛ひだりすねに歯をくい込ませていた。

 こいつは確かついさっき頭を潰したゾンビ。腕力が足りなかったのか、殺したと思ったのに生き延びている。


「アッ……ガッ!?」

拓人たくと……? 拓人ッ!? ねえってば!!」


 全身の力が抜けていく。バットが腕からこぼれ落ち、せまるゾンビが俺の首元へみついて押し倒した。


「……ナ……オ……に、げ――」


 逃げろ。たったそれだけの言葉すら発せられず、俺の意識は黒一色に染まっていく。

 全てが闇に染まる寸前まで聞こえていたのは、壊れるだろうと注意したくなる程にトイレのドアを叩く殴打音おうだおんだけだった……





 ――ゴクリッ……


 のどを鳴らす音で意識を取り戻す。視界は未だに黒一色、真夜中よりも暗い視界の中で何かが俺の喉をうるおしている。


 ――ゴクリッ……


 また喉を鳴らす音。どうやら俺は今なにかを飲んでいるようだ。

 そう言えば半日走りっぱなしで喉がカラカラだった。あのボロ屋じゃ水は出ないし缶詰に含まれた汁じゃまるで足りない。


 ――ゴクリッ……


 またまた喉を鳴らす音。味は分からないが何故だかとても満たされる。

 もっと飲みたい、もっともっとこれを飲みたい。そう思うと喉を鳴らす音の間隔が短くなった。


 ――ゴクッゴクッ……


『……たく……と……』


 美味しい美味しいと飲み続けていると女の声が聞こえた。

 これはナオの声だ。そうだ、ナオも喉がかわいているだろう。独り占めしないで分けてやらないといけないな。

 そう考えていると――


『ごめ……ん……ね……』


 ナオが謝ってきた。何を謝っているんだ? ころんで俺が背負った時か? あんなのお互い様なんだから気にするな。

 そう思いながらも飲むのを止められない。これ以上飲んだらナオの分が無くなってしまう。

 体は嫌がったが理性を総動員して何とか行為を止めさせる。

 するとそこで自分が四つんいになっていることに気がついた。

 何だ? 川の水でも飲んでいたのか? いくら何でも腹を壊すぞ。

 上半身を起こす。それに合わせて漆黒しっこくの視界に光が差し込んでいくのを感じる。


「…………え?」


 久しぶりの明るい世界は言葉に表現できないものだった。

 赤い、真っ赤だ。大量の赤と生気を感じないナオの顔。その土気色つちけいろほほに赤いしずくがポタリッと落ちる。

 その赤は落としてはいけないと直感が訴えた。まるで数億円するという絵画に赤の絵の具を垂らしたような、全てを駄目にしてしまったような感覚。


「ナ……ナオ……?」


 名前を呼びながら俺は無意識にナオのほほに両手を当てる。

 目を閉じていたんだ、眠いっているような安らかな表情だった。


「ああ……あああ……」


 気付いた。俺の両手が真っ赤に染まっている。その手が触れたナオの頬が真っ赤に染まっている。

 その時に何もかもを理解した。


 俺は――


「ウウゥアアアァァッ!! ギィィアアアアァァ――ッ!!」


 ナオの血を飲んでいたんだ……

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