感染者の楽園-感染したら異能に目覚めたので人間を救います-

氷結MAX

第1話 長い長い逃走劇

 走っている。


「ハッ……グッ! ハアッ……ハアッ……!!」


 大口を開けて必死に空気を肺へ取り込み、かわききったのど唾液だえきうるおすことすらせず、全力で両足を動かし続ける。

 目指すべき場所は無い。何処かにゴールはあるかもしれないが、今の俺には見当もつかない。ただひたすらに前へと突き進む。


 そうしなければ――


「キャアッ!?」


 背中を叩く声に思考と両足が停止する。振り返れば俺の幼馴染おさななじみ佐々木ささきナオがアスファルトの道路にうつせになっていた。

 最悪だ、最悪すぎる。止まってはいけなかった……何があろうと絶対に止まっては行けなかったというのに。


「大丈夫か!!」

「…………」


 上体を起こしたナオは駆け寄る俺に何の返事も寄越よこさない。けれど、痙攣けいれんするすねに手を乗せてうつむくくナオの姿を見た瞬間に全てを理解した。

 限界だった。もう何キロか分からない距離を全速力で走り続けたんだ、体力なんてとうに尽き果てていた。


『アッ……アアァー……』


 風に乗ってかすかに耳に届いた異音。

 顔を上げたくない、けれど確認しなくちゃならない。その異音を放つ存在との距離を正確に測らなくちゃならない。


「近くに別のヤツがいたのか……」


 視線の先には足を引きずりながら近づいてくる男がいた。肌は生気を感じない土気色つちけいろ。白目をむいて半開きになった口からはよだれと共に鳴き声のような異音を発している。

 アレの正体は未だに分からない。言葉にするならゾンビとでも言うのだろうけど、そんな化物が実際に存在するなんて有り得ないし、信じたくもない。


 だが、一ヶ月前にゾンビが全国で発生したのはまぎれもない事実だった。

 あの日から俺の住む世界は滅茶苦茶になった。それでもこの一ヶ月間、多くの者を失いながら懸命けんめいに生きびてきた。俺の両親、ナオの両親、友人、近所の老夫婦、共に逃げた皆を失いながら逃げ続けたんだ。

 だけど救いの道は見えない。いくら逃げてもゾンビ共は数を増やし、俺たちへとおそいかかろうと寄ってくる。


 何度もあきらめかけた。もう逃げずに身を任せよう、そうすればこの地獄じごくから抜け出せると考えた。

 それをせずに今まで逃げ続けたのはナオが側にいてくれたから。

 こんな世界だろうと幼馴染一人くらいは守れるはず。いや、守らなければ犠牲ぎせいになっていった皆に合わせる顔がない。


「逃げるぞ!」


 無理やり心をふるい立たせる。

 あのゾンビとはまだ離れている、俺たちを追いかけていた奴らも直ぐには来ないだろう。

 ヤツらが走れなくて良かった。映画やゲームでよく見る愚鈍ぐどんなゾンビそのもので本当に良かった。

 そんなことを考えながら視線だけはせまるゾンビに合わせてナオの体を起こそうとうでを伸ばした時――


「もういいよ拓人たくと……一人で逃げて……」


 しげもなく涙を流すナオが俺の腕を握りしめながらそう懇願こんがんした。

 絶望に心が折れたわけじゃないのは直ぐに分かる。皆そうなんだ。皆、最後はこうやって他人を生かす選択肢を取るんだ。

 泣きたくなる。辛いんじゃない、悔しい。自分自身の不甲斐ふがいなさに涙がこぼれそうになるんだ。

 それでも泣くわけにはいかない。ナオだけは守ると、どんな事が起きても守り通すとちかったんだ。


「ふざけ……ふざけんじゃねえッ!!」

「拓――」

「この遠藤拓人えんどうたくとを甘く見るんじゃねえぞ!!」


 ナオの言葉をさえぎって背負っているリュックサックを放り投げる。中には水や食料が入っているけど仕方がない。

 無理矢理にナオを背負い立ち上がる。


「ちょっと!?」

「黙ってろ!! ああクッソッ!! 豚かお前は!! もう少しダイエットしとけ!!」

「標準だ――ってそうじゃない! 降ろしてってば! このままじゃ拓人まで」

「甘く見るんじゃねえって言ったろうがよお!! ってか、さっさと荷物捨てろ!!」


 矢継やつばやに口を動かしながら再び走り始める。

 たがいの荷物を捨てても足取りは重い。そりゃ俺だって体力の限界なんだから当然で、そんな状態でナオを背負っているんだから重いに決まっている。

 けれど、足を動かせばゾンビとの距離は目に見えて開く。


「人間様の生命力をなめんなああッ!!」


 走って走って、い上がってくる嘔吐おうと感を押さえつけて走り続ける。

 時間にしてせいぜい十五分程度だろう。直感を頼りに人気のない場所を選んだことがこうそうしたのか、運良く閑散かんさんとした通りに辿たどり着く。

 まばらに建つ民家へ恐る恐る近付いて聞き耳をたてる。

 こういった場所には必ずと言っていいほどゾンビが住み着いている。逃げ遅れて襲われてしまった人たちが彷徨さまよい続けているんだ。

 そんなことはこの一ヶ月でたっぷりと味わったし、仲間が襲われたこともあった。


「大丈夫そう……だよな?」

「ええ。この近くにゾンビはいなそうね」

「散々走ったんだ、追ってくるヤツらもまいたろ。今日はここで休もうぜ」


 背負っていたナオを降ろして安住の地……には程遠い一時ひとときのセーフハウスへ向かう。

 外観はかなり疲れ果てた時代を感じさせる平屋の民家。築六十年は経っていそうな玄関の引き戸は施錠せじょうすらされておらず、俺たちを迎えるように静かに口を開いた。

 警戒はおこたれない。もしゾンビが中にいるのなら襲ってくるはず。それだけヤツらの鼻というか感覚はするどい。

 玄関前で一分ほど様子をみて物音一つしないのを確認した後、直ぐに引き戸を閉めて内側からねじ巻き式の施錠を行う。

 後は手慣れたものだ。手分けして部屋を回って窓とカーテンを締め切り、食料や使える物をき集めていった。


「缶詰がかなり残ってたわ。水は出ないけどね」

「こっちは替えのバッグと地図。懐中電灯もあったけど電池が切れてるなこりゃ」


 十二畳くらいの客間に集めた物資をまとめ、あらかた見終わった後でようやく食事にありつくことができた。

 そろそろ太陽がかたむき始めた時間、カーテンを閉めて薄暗い室内。電気が通っていないせいで仏壇から蝋燭ろうそくを拝借して火を灯す。


「まったく散々な一日だった……」

「拓人が車を川に落っことさなけりゃね~」

「無免に期待するほうが間違ってるだろって」

「いくら無免許だからって落としはしないでしょ、落としは」

「ぬぅ……」

「ぷぷっ! 冗談だってば」


 今のは冗談だと言って笑うナオに対し、俺は素直に納得できず言葉をにごす。

 反論の余地は無い。運転中にゾンビをけた先が運の悪いことに川だったんだ。斜面が緩かったのと水深が浅かったお蔭で怪我はなかったが、その際に電気系が故障でもしたのか、大音量でアラートが鳴り響きやがった。


 結果、さっきまでの逃走劇というわけだ。

 まあでも助かっただけ良い。それに、俺の失態をからかうナオは笑っている。さっきまで絶望のふちに立っていた相棒が笑っている。それだけで救われる気分なんだ。

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