馬鹿げた仮想世界に振り回される君へ
桂
第1話 鈍くさい奴
松村晃(まつむら のぼる)は、病院の黄ばんだ天井を眺めていた。
交通事故に遭った後、意識を失い実家の近くの総合病院に緊急搬送された晃が意識を取り戻した時、最初に放った言葉は意外にも「またかよ。」だった。
いやもしかしたら「ちくしょう。」だったかもしれないと思いながら、晃は花瓶に差されている病室に不釣り合いな赤いハイビスカスを見て首を傾けるが、実際晃が最初に放った言葉は「またかよ。」だったのだ。
「ちくしょう。」は確かに晃のツキのない人生を通して自然に身についた口癖だったから晃がそう予想するのは仕方のない事だった。実際「またかよ。」の後、晃の口から続いて出た言葉は「ちくしょう。」だった。
だから正確には晃は虚ろな意識の中でこう叫んでいた。
「またかよ。ちくしょう。」
晃のことをよく知るこの病院の医療関係者と晃の家族はそんな晃を見てほっと胸を撫で下ろした。というのも晃が車に轢かれたのは今回で22回目のことであり、最初の一回目の事故を除けば晃は意識を取り戻すたびに毎回「またかよ。ちくしょう。」と同じように叫んでいたからだ。
今では母性愛の強い看護婦と晃の母にとって晃がそう口汚く叫ぶのは、新生児が産声をあげるようなものだった。
だからここ最近夜勤が続いていたベテラン看護婦の山崎さんが思わず晃の母に
「おめでとうございます。元気な男の子です。」
と言ってしまったのを誰も咎めなかった。
それどころか病室にいる全員が山崎さんが何故そう言ったのかを理解して笑った。
病室に朗らかな笑い声が響く中、晃は22回目の復活を果たしたのだった。
そんなことを知らない晃は相変わらず自分が意識を取り戻した後、最初に何を言ったかを気にしていた。
晃は大抵においてそういう奴だった。つまり意味のあることよりも意味のないことの方に時間も思考も使う愚か者だった。
そして何より20年という短い人生の中で22回も車に撥ねられる鈍くさい奴だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます